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「花言葉は『別れの悲しみ』、『失望』⋯⋯」
私は慌てて書店で花に関する本を購入し、グロスター伯爵邸の自室に籠った。アーネストは幸運にも外出中で、私は彼が突然現れるのを恐れて内鍵をかけた。
アーネストからの提案で結婚して1週間はお互いに休暇をとっていたはずだが、彼は一体どこに行ったのだろう。
私はベッドに腰掛けて先程購入した花に関する本の『キンセンカ』のページを開く。
「花言葉は『別れの悲しみ』、『失望』⋯⋯」
どうやらキンセンカの花言葉の由来は神話のようだ。水の精クリティが太陽神アポロンに叶わぬ恋をして、空のアポロンを見つめているうちにキンセンカの花になったと言う。
(いやいや私が太陽神? アーネストが水の精?)
私はアーネストの乙女な程のロマンチストっぷりについていけなくなっていた。どうして1年の結婚生活でこれだけ価値観の違う相手と上手くいっているなどと勘違いしていたのだろう。
扉をノックする音がして、ビクついて咄嗟にベッドの下に本を隠した。
ガチャンっと扉を引く音がする。
(しまった⋯⋯鍵を掛けている事がバレた)
どうしてこのようにビクビクしながら生活しなければならないのかと思いながら、鍵を開けると明らかに怒りを抑えたような表情のアーネストがいた。
美しい人が怒るとこうも怖いのかと思う。
「ソフィア、戻って来てくれたのだな」
スッと目の前に薔薇の花束を出される。
黄色い薔薇の中に赤い薔薇が一輪ある花束だ。
「美しい薔薇の花束をありがとうございます。昨晩、私が薔薇が足りないと言ったからですよね。でも、これからは花のプレゼントは控えて頂きませんか? 花の命はただでさえ短いのに、このように切り落とされて見せ物にされるのは可哀想ですわ」
私はアーネストから花で気持ちを示すという手段を奪おうと思った。回りくどい事をしないで、ダイレクトに不満をぶつけて欲しい。前回もそうしてくれれば、私は殺されるまで夫婦円満だという誤解をせずに済んだ。
「ソフィアは意外と優しいのですね」
「私は優しいですよ。アーネスト様は沢山の女性と関わって来たのに、どうして私を選んだのですか? あなた様と関係してきた女性たちと私では毛色が違う気がするのですが⋯⋯」
私はアーネストが私を好きになったきっかけを話してきたことを思い出していた。
彼にとっての初恋は私だったという結婚して半年後に明かされた話だ。
当時20歳だった私は王宮に用事があり、第2騎士団の訓練の場を通りかかった。
13歳のアーネストが第2騎士団で稽古をつけて貰っていて、上官に手荒な指導を受けているのを見えた。当時からアーネストは剣術の才能があり将来は団長になるのではないかと言われていた。それ以上に誰もが見惚れる美少年として有名だったので、彼の持っているものへの嫉妬心を持つ人間もいるのは想像に容易かった。
明らかに腕に怪我をしているアーネストを、一回り以上歳上の上官が痛めつけている。
私はその姿を見て男の嫉妬とはなんと醜いのかと呆れていた。
よく見ると、その上官は私に求婚して来ていたサンダース卿だった。
「サンダース卿、とても楽しそうですね」
私の声に反応したサンダース卿に隙が生まれる。
そして、その隙をつきアーネストはサンダース卿が手に持っていた木刀を振り払った。木刀が回転しながら地面にカランと音を立てて落ちた。周囲の騎士たちが、13歳の美少年の勝利に注目し歓声をあげる。
「お前、卑怯だぞ」
サンダース卿がアーネストに掛けた言葉に私はうんざりした。
彼は恥をかかされたとばかりに、顔を真っ赤にしながらアーネストに詰め寄っている。
「女に声を掛けられたくらいで隙が生まれたサンダース卿の方に問題があるのでは?」
私はレースの白いハンカチを取り出し、アーネストの二の腕からうっすら流れる血を止血しながらサンダース卿に言った。
剣術の資質があり将来性のあるアーネストを今の内潰しておきたいという嫌らしい気持ちが彼からは漏れていた。
「愛する女性の声に反応してしまった俺を咎めるのですか?」
「ふふっ、お断りするのが遅れてすみません。私はサンダース卿とは結婚できませんわ。出る杭を打ちにいくような弱い心を持った方に人生は預けられませんもの」
この頃の私は適当に相手に難癖をつけては求婚を断っていた。
「俺が弱いだと?」
「今、彼を打たなければ自分のポジションが奪われそうで不安なのでしょ。不安を他者にぶつけるだなんて幼稚ですわ」
私はそう言い残すと、王宮の医務室にアーネストを連れて行った。
その時の私の優しさにアーネストは惹かれたと言っていた。
正直、サンダース卿の求婚を断れただけで満足していたので、アーネストとのやり取りは全く記憶にない。
過去を回想していると、ふと温もりに包まれていることに気がついた。
アーネストが骨が折れそうなくらい強く私を抱きしめている。
心臓の鼓動が異常に早くなるのを感じた。
ときめきではなく、強い恐怖によるものだ。
アーネストが私の首筋にキスをしてきた。
恐らく多くの女が感じる準急所的な場所なのかもしれない。
(そこ、大動脈があるところ⋯⋯怖い、殺される!)
私は慌てて思いっきりアーネストを押し返した。
「やめてください。他の女性を口説いてきた小手先のテクニックを使われると冷めますわ」
私の言葉はアーネストの心にナイフのように刺さったのかもしれない。
傷ついた気持ちを隠せていないエメラルドの瞳が私を睨みつけている。
私は彼に殺されているのだから、彼を傷つけたことに心は痛まなかった。
むしろ、このまま彼には私を嫌って見切りをつけて欲しい。
「どうして君を選んだかって? 男に興味がなさそうに気取っているから落としてみようと思っただけだよ」
「そうですか。ならば、早く離婚してください。アーネスト様に私は落とせませんわ」
「離婚はしない。世間体があるからな」
彼はそう言い捨てると、持っていた花束をベッドに投げて部屋を出て行った。
私はその姿を見て、もしかしたら私の企みは成功しているのではないかとほくそ笑む。
そして、ベッドの下に隠していた本を取り黄色い薔薇の中に赤い薔薇を仕込ませるという組み合わせについて調べた。
「『あなたがどんなに不誠実でも』ですって?」
流石に腹が立ってきた。
1年間の結婚生活、表では甘い言葉を吐きながら不満を花言葉で伝え続けてきただろう彼。
彼は勝手に追い詰められて被害者ヅラしながら、私を撲殺する身勝手な男だ。
でも、今、彼の心は私から離れて始めている気がする。
離婚というゴールに向かい確実に私は駒を進めている。
彼と離婚して生き残る為に私はダメ押しの一手を繰り出す事にした。
私はマゼンダ王国、第9王子ブラッドリー・マゼンダに会いに行き、彼のバースデーパーティーに自分を婚約者指名するように頼もうと企んだ。
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