『それは、貴方が特別に可愛いからですわ』

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『それは、貴方が特別に可愛いからですわ』

 アーネスト・グロスターは夢の中で、彼の運命を変えた13歳の時の出会いの記憶を手繰り寄せていた。  剣術の才があると言われ、第2騎士団の演習に参加するも早速目をつけられた。打撲した腕を木刀で何度も叩いてくるサンダース卿に殺意が湧いた。いつか自分が出世したら彼に復讐してやると決意した時だった。  体格の違いによる一方的な痛めつけは剣など持った事ないような令嬢の一声でおさまった。  光り輝くプラチナブロンドに可愛らしいピンクルビーの瞳。  そのか弱そうで儚げな見た目からは想像もつかないような強さを持つソフィア・リットン子爵令嬢との出会いだった。  彼女にハンカチを巻かれた腕を見ながらエメラルドの瞳を持った美少年は感じたことのないような胸の高鳴りを抑えられずにいた。 『なぜ、余計な口出しをしてきたのですか?』  彼は助けてくれたお礼を言いたかったのに、弱い自分を認めたくなくて反抗的な言葉を彼女に浴びせた。 『ただ、サンダース卿が鬱陶しかっただけですわ。人を引き摺り落とす事しか考えないような人間は小蠅と同じです。貴方は彼を反面教師にして前に進むのですよ。5年後のあなたにとって彼は取るに足らない存在になっていますわ』  アーネストはまるで自分がサンダース卿への復讐心に囚われ始めていることがバレたようで恥ずかしくなった。  微笑みながら彼の手を引く女性が自分には手の届かない存在に見えた。  ソフィアはアーネストを王宮の医務室まだ連れて行った。医務官が席を外しているのが分かると、彼女自ら彼を手当てをしてくれた。彼をベッドに座らせ、跪いて膝の擦り傷までケアしてくれる。王宮に用事があって来ただろうに、医務官が来るまで話し相手にもなってくれた。 『ソフィア様はなぜ俺にここまでしてくれるのですか?』  どのような返答を期待して発した言葉なのか彼は自分でも分からなかった。ただ、彼女が自分をどう思っているのか聞きたかったのかもしれない。 『それは、貴方が特別に可愛いからですわ』  頬を柔らかい人差し指で突かれながら聞いた彼女の言葉は甘かった。 「可愛いのは貴方の方だ」と言う言葉を返すには彼は幼過ぎた。  彼は早く大人になりたいと願った。 ♢♢♢  目を開けて隣に愛しいソフィアがいない事に絶望する。  昨日、7年に及ぶ彼女への切ない片想いが実り、俺はソフィアを妻にした。  積年の想いが叶い、今宵彼女を自分のものにできると感慨に耽っていた。    しかしながら、結婚式の誓いを立てている瞬間から彼女に感じていた違和感は確かだった。 「グロスター伯爵様、奥様は今晩は部屋に来ないで欲しいとのことです」  メイドが言い辛そうに伝えてきた言葉に俺は頭が真っ白になった。  まるで全てを裏切られたような気分になりながら、諦めきれずにソフィアの部屋を訪ねることにした。  『ずっと貴方が好きでした』という意味の99本の赤い薔薇を束ねた薔薇を16本までに減らす。  結婚までこぎつけたのに、彼女が自分を拒否する意味がわからず不安で吐きそうだ。  緊張しながら彼女の部屋に行くと、離婚して欲しいと言われた。  目の前にはずっと恋焦がれた彼女がいる。  俺は我慢できなくなり、彼女の気持ちを無視してベッドに押し倒した。  彼女の小刻みな震えが伝わってきて、欲望に贖えなかった自分を反省する。    ソフィアは結婚をして翌日には実家に戻ってしまった。  俺は自分の一方的な気持ちを押し付けた事で彼女を傷つけたのだと反省した。とりあえず、すっきりしたくて王宮の第2騎士団の訓練所に向かう。  俺を見るなり騎士たちは驚いた顔をした。 「団長、結婚休暇中だったのでは?」 「いや、お前たちが俺のいない間にどうしているのか気になってな」  言い訳をしながら剣を振りまくった。  頭の中は昨晩押し倒した時に、心底俺に怯えていたソフィアの顔しか浮かばない。  彼女が男が怖いとは本当なのかもしれない。  そうでなければ、彼女のような素敵な女性がこれまで結婚していないはずがない。 「団長、シェイラ嬢がお見えです」  稽古中にこっそり耳打ちされた言葉に少し驚いた。  シェイラ・アルマンは俺が珍しく半年も付き合っていた女性だ。  来る者拒まずで女と付き合って来たが、1ヶ月と付き合いは続かなかった。  シェイラは俺がソフィアしか見られないことを告げても、それでも構わないと側にいた女性だ。  結局、俺は誰とも結婚する気がないと噂のあるソフィアを諦められなかった。  シェイラと恋人関係を解消してからは彼女とは会わなかったし、彼女も俺を忘れようと避けているように見えた。 「シェイラ、どうした? 何かあったのか?」 「いえ、その⋯⋯ソフィア様が私のところにいらして、貴方とヨリを戻して欲しいと⋯⋯」  言い淀みながら伝えてきた彼女の言葉に頭が急速に沸騰するのを感じた。 「グロスター伯爵様、そのような怖い顔をしないでください⋯⋯貴方様も難しい方を好きになったのですね。せいぜい苦しんでくださいな」  彼女はそう俺に言い残すと、困ったような顔をしながら去っていってしまった。  結婚したのに初夜を拒否し、他の女に夫をあてがおうとするソフィアに理解できない気持ちと共に怒りが湧いた。  グロスター伯爵邸に戻ると、怒りが一瞬で消えるような嬉しい知らせを聞いた。 「グロスター伯爵様、奥様がお戻りになりました」  心が躍り用意した花束を握りしめ、早くソフィアに会いたくて彼女の部屋へ急いだ。  深呼吸して扉をノックした途端、無慈悲な音が耳に届いた。  ガシャン!  扉には鍵が掛かっていた。  自分を拒絶するようなその音に、また怒りが沸々と湧いた。  ソフィアにどうして自分を選んだのかを聞かれて、彼女との出会いを思い出し愛おしさに彼女を強く抱きしめた。   「やめてください。他の女性を口説いてきた小手先のテクニックを使われると冷めますわ」  俺を拒絶し、軽蔑してくるような言葉にプライドが傷ついた。   「どうして君を選んだかって? 男に興味がなさそうに気取っているから落としてみようと思っただけだよ」 「そうですか。ならば、早く離婚してください。アーネスト様に私は落とせませんわ」 「離婚はしない。世間体があるからな」    全く思ってもないような事が口から出て、俺は逃げるように彼女の元を離れた。  翌朝、朝食をとりにダイニングルームに行くと彼女は俺のことを待っていてくれた。 「おはよう、ソフィア⋯⋯」 「おはようございます。アーネスト様」  窓から差し込む光に照らされながら、ソフィアは女神のように優しく微笑む。昨晩の気まずいやりとりなどまるでなかったかのようだ。  食事がサーブされると、ソフィアが俺を見てクスクスと笑っていた。 「何か、楽しい事があったか?」 「グリーンオリーブが本当にお好きなのですね」  俺は確かにグリーンオリーブのツルッとした食感と癖のある渋みが好きだ。だから、サラダに添えてあるグリーンオリーブを最後に食べようと皿の端に避けていた。  それだけで、彼女は俺がグリーンオリーブが好きだと気が付いてくれたのだ。もしかしたら、俺が彼女をずっと見てたように彼女も俺を気に掛けてくれてたのかもしれない。  淡い期待と共に本当は7年前からずっと彼女だけを見ていた話をしたくなった。派手な女性遍歴を知られているのだから信じて貰えないだろう。  それでも、彼女は自分の初恋で歳が離れてて結婚できるとは夢にも思ってなかった事。他の女性と恋をしようとしても、全く心臓が動かない程ずっと自分が彼女に夢中なのを打ち明けてみようと思った。俺が積年の想いを伝えるより、彼女が口を開く方が早かった。 「今日から仕事に出ようと思います。離婚については再考しといてください」  淡々と笑顔で俺を拒絶する言葉を吐かれ、頭が真っ白になった。
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