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「英雄様、素敵です。もっと私を食べて、貴方様の一部にしてくださいませ」
エリンは片腕を男に食われながらも、恍惚とした表情を浮かべていた。肉体を咀嚼される激痛をも上回るほどの興奮が、彼女を包んでいる。
英雄と呼ばれたこの男に食べられてしまうならばそれも本望だ。最後には両眼だけ残しておいてくれればいいのだ、この方のことを最後まで見ることができるように。
狂気的な願望が、エリンの口の端をつりあげた。英雄様は昔から不思議そうにしていたが、私たちにとってはこれが正常だ。
命を賭けて国と未来を守ってくださった英雄様に、自分たちが体と命をお預けするのは当然のこと。たとえ苦しくても、英雄様がいらっしゃらなければそもそも私たちはこの世にいなかったのだから、全てを捧げなさい。
幼い頃からそう教わってきたし、その教育にいっさい疑問を持たなかった。
英雄様がいなければ、この国そのものが滅びていたことは明白だ。そんな未曾有の危機を救ったからこそ、この方は英雄と呼ばれ、慕われている。
誰もがこの方に献身的に尽くすことを夢見ては、生贄として選ばれた人を羨ましそうに見送るのだ。食われるごときで弱音を吐くなんぞもってのほか。英雄様の一部になれることは、この上ない喜びでしかない。
エリンは、自分のことを貪り食う男のことをうっとりと見つめていた。意識がだんだんおぼろげになっていくことだけが、ひどく悔しい。両眼と一緒に意識だけでも残しておくことはできないのだろうか。英雄様のご尊顔を拝むには、確かに視力だけでは足りない。今更ながらに気づいて後悔してきた。
それでも、この肉体が英雄様に食べてもらえることへの至上の幸福感が消えることはない。視界が赤く染まって。意識が遠のいていく。耳鳴りの奥で、咀嚼音が聞こえる。
──ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ、と。
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