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空のカップを引き取ると、彼がおずおずと口を開いた。
「あの、ありがとうございます……えっと」
「ああ、ジェイミーだ。ジェイミー・ハッター」
「マッドハッターのハッター?」
「ああ、そう。僕のご先祖なんだ」
自己紹介の際にしばしば行われるやり取りだが、彼は「え?」と目を丸くする。
「いや、何でもない。きみの名前は?」
「リュカ・アルトー」
リュカはもう一度「ありがとう」と言って、それから「美味しかった」と微笑んだ。
大きすぎる眼鏡のせいだろうか、どこか野暮ったく見えたリュカだが、よくよく見て見れば、なかなかどうして可愛らしい。
「具合が悪いなら家で休んでないと」とジェイミーは諭すように言った。
リュカは小さくなって「バイトだったんです」と応える。
「休めなかったのかい?」
「アルバイトは僕しかいないので……」
「それでも具合が悪いなら休まなきゃ。僕が見つけなかったらどうするつもりだい」
ほんのりと香る蜂蜜の香り。ジェイミーはアルファの中でも、特別に鼻が良い方だ。彼はオメガで間違いないだろう。
発情期ではないようだが、弱ったオメガほど非力な者はいない。魔法も使えないふつうの人間であったのなら尚更だ。
「すみません。ご迷惑をおかけして……」と縮こまってしまったリュカに罪悪感を覚える。
別に迷惑とは思っていないけれど、あまり危機感のなさそうなリュカが心配ではあった。
「じゃあ、僕はそろそろ帰るよ。お邪魔したね」
リュカが使ったカップを洗って、ジェイミーは早々に自分の部屋に戻ることにした。こんな時間に、恋人でもないオメガの部屋に居座るもんじゃない。
ジェイミーが玄関に向かうと、リュカも立ち上がってついてきた。扉に手を掛けるジェイミーの背中に向かって「ありがとう、ハッターさん」と声を掛ける。
ジェイミーは振り返って微笑んだ。
「ジェイミーって呼んで」
「じゃあ、僕のこともリュカと」
「リュカ。お隣同士、よろしくね。お大事に」
ドアが閉まる少し前、微笑むリュカの顔が目に入る。
彼の瞳の色は緑だった。
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