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そんなやっているうちに講義開始の時間になる。サイズの合わない背広をまとった白髪の江古木教授が「おうおう今日も女学生諸君は元気だねえ」といつもの昭和イズムをまき散らして講義の前座に入る。すぐに本題に入らない。20分くらいダラダラと雑談をする。その度にかぶりつきの観客であるゼミ隊が大笑いするので、内輪ネタなのだろう。
江古木が嫌われる理由は、時代錯誤のハラスメントとあからさまな身内ゼミ生へのえこひいきだ。
「なに見とったん」
「いや、別に」
加賀美に覗き込まれて手元の大学ノートをぱたんと閉じる。綺麗に清書されたそれは僕のではない。東海林という哲学コースの友人(僕にとって数少ない友人のひとりだ)から借りた現象学講義のノートである。僕も東海林も割り切っていて、板書したノートを入手することで単位が取れる講義は、持ちつ持たれつ。互いにノートを貸し合って助け合う。
しかし今回借りたノートはいつもと違った。第一に東海林のノートではない。参考書のように丁寧に記された文字は明らかに几帳面で真面目な学生が書いたものである。さらにそれだけでなく。
「さっきからずっとパラパラしよるん。気になるで」
「いいよ、気にしなくても」
加賀美に見られただろうかと少し焦る。化粧の奥で無邪気に笑って加賀美は「ケチくさ」と呟いた。
そのノートには、右ページの余白に漫画が描かれていた。厚めのノートをパラパラ捲ると、アニメーションのように動き出す。イタズラ書きながら見事な出来であった。
猫が3匹。不機嫌な顔をしたハチワレ猫を筆頭に、三毛猫、黒猫がダンスをして踊り歌う。次に小鳥が3羽。メジロ、スズメ、ブンチョウだ。サンバではなくコサックダンス。彼らは皆ツンデレの憮然とした表情のまま、陽気にリズムよく踊りだす。まるで僕を鼓舞するかのように。
昨日ノートを借りてから、もう何度もパラパラやっていた。見ていると自然に音楽とリズムが頭を支配して、その音楽に合わせて僕も脳内で踊りながら適当に歌いだす。
昔から僕は、スーパーのBGMやらCMソングやらに適当に歌を付けて歌う癖がある。決して人前で歌ったり歌詞を文字化できないシロモノであるが、気が付くとやっている。自分だけかと不安になったりもする。
ぼんやりとノートを手繰るのが癖になって、手が空けばなにかとパラパラしていたのである。
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