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フラワーショップ『ぐりーんガーデン』で
スーパーの一角に構える花屋の出張店舗。『ぐりーんガーデン』という名前の、そこが僕のバイト先である。
ぼんやりしたまま流れ作業でエプロンを着ける。薄々気がついていた。
あのテーマソングが流れると、僕はほとんど条件反射的に歌っているらしい。もちろん頭の中でである。いつものようにメロディに合わせて即興で作った適当な歌詞。
何を歌っていたのかはまったく覚えていないが、ただとても意欲的であった。まるで勇ましい軍歌みたいに。それもこれも全部あの猫トリオと鳥トリオの連中がけしかけるせいだ。だがしかし頭の中で歌っていると勝手に思っていただけで、
「まさか本当に歌っていたのか」
それに気づいて、下腹が震えるような強烈な羞恥心に襲われる。もしそうだとしたら、それは自分の寝言をSNSで生配信されていたようなものだ。
「サエキさん、お腹でも痛いの?」
一緒に働く先輩スタッフの三谷さんが心配そうに覗き込んでくる。
「いえ。なんでもないです」
と答えてから、「あ、三谷さん」と恐る恐る声をかける。
「あの、僕って時々なんか歌ってたりします?」
「なに、どうしたの」
明るく三谷さんが振り返る。
「いや、やっぱなんでもないです」
ウフフフ変なの、と口元を押さえてから、花かごにまとめられたお供え花の束を抱えて「まあ、たまーにね」と言い残してレジ奥へ去っていく。
たまーに?
え、ちょっと待ってくださいよ三谷さん、とヨロヨロと追いかけていくと、レジ前の通路に突然現れた見覚えのある顔と鉢合わせた。そのキリリとした瞳が特徴の顔は、僕を見るなり失礼にも肩を揺らせて笑った。
加賀美だった。クリーム色のポロシャツとエンジの帽子とエプロン。スーパーイテマエのユニフォームを纏った加賀美が僕を見ている。
「ヒーローやん」
「どういうこと。ていうかなんで加賀美がここにいるわけ」
加賀美は勤務中のおしゃべりを咎められないように、という感じで声をひそめる。
「ウチの大学でここでバイトしとるのメッチャおるで」
「分かってるけど」
「ごめんな。リーダーに見つかるとメンドいから行くわ」
そうしてスタスタ立ち去ろうとしていた加賀美は急に振り返り、そのままの体勢で摺り足で寄ってくる。
「さっきのサエキ君のラップバトル最高やった。胸がスカッとしよるね」
ウィンクしてきた。ラップバトルって?
「ボウジャクブジンなVIP気取り野郎はひとりでやってろナントカカントカって」
そして何かを思い返したかのようにアハッハーとひとつ笑う。なんだそれ、なんも韻を踏んでないじゃんか、と突っ込む前に思い出して赤面した。確かにそう歌っていた気がするぞ。ずっと白いミニバン見ながらそんなアホなフレーズを歌ってた。それまさか、加賀美聞いてたの?
「じゃ、またね」
そして加賀美はレジコーナーの方へと足早に遠ざかって行く。
最悪だ。やっぱりそうだったのだ。ずっと頭の中だけで陽気に歌っていたと思ってた。違うぞ。全部聞こえていたらしい。それもこれもあのクソ陽気な猫どもと鳥どものせいだ。パラパラとページが捲れる音が耳の奥に響いた。
向かいの生鮮コーナーの角から、一瞬ハチワレがちらっと顔を出して僕を見てきた気がした。あいつらめ、と僕はつぶやいた。
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