謳われる物語

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「貴女、とても綺麗な角を持ってるのね」  冷汗に駆られて背後を確かめると、紅色の巫女装束を着たうら若き巫女が佇んでいた。その黒瞳には隠し切れない好奇心が配合されており、鬼女は危機感から拳を握っていた。奪われる前に奪う。鬼族の鉄則であり、それはか弱き乙女に対しても例外ではない。此処に来た目的も忘れ、血に従って殺意を振り翳す。しかし巫女は優しく微笑むばかりで焦る素振りも見せなかった。 「落ち着いて。貴女、歌を習いに私の所まで来たのでしょう?」 「なんでその事を……!」 「……貴女の歌声が酷すぎて噂になってるからかもね」  巫女は鬼女の手を取って本殿の裏まで連れて行く。賑やかな人々の喧騒から離れて静寂だけが取り残される。白雲に隠されていた半月が顔を出して二人に熱視線を送り、涼風に靡いた髪が嫋やかに揺れる。この整えられた舞台上で巫女は無音と共に舞を始めた。優雅な手つきと共に、歌声が響く。歯痒い程に無遠慮な巫女の全てが鬼女の琴線を撫でる。視覚は巫女を執拗に追いかけて、聴覚もまた巫女を――。 「なんだその歌声!? 山伏が法螺貝(ほらがい)でも吹いてんのか!」  巫女は照れた様子で頭を掻く。褒めてる訳じゃねえと鬼女の怒号が空気を劈いた。巫女も鬼女に負けない程の酷い音痴の類だったのだ。素晴らしい完成度の舞に対して歌声はあまりにも拙く、唯の雑音と化していた。  巫女は事の顛末を話し出した。父母に甘やかされて育った結果、声質を矯正される事なくここまで来てしまったのだ。舞に関しては厳格な先生からの指導もあり改善が見られたが、寂れた田舎には歌を教えられる人は居なかったのである。祖父が残した遺産によって『皆の拠り所になる神社を作る』という巫女の夢は達せられたが神社である以上、舞や祈祷の仕事からは逃げられない。 「私、音痴を克服するために一緒に歌を練習してくれる人を探していたの」 「おいおい、私は歌を習いに来たんだぞ。人間如きと練習なんて本当御免だね」  呆れた様子で巫女を見下す鬼女はそのまま帰路に着こうと歩き出す。巫女は白く細い腕でどうにか道を堰き止めようと足掻くが、鬼の力には敵わない。半月も涼風も鬼の行進を止める術を持たず、常夜灯は寧ろ鬼の歩みを手助けしていた。 「その綺麗な角を狙う人達を、私なら対話で止められるわ」 「自分の身は自分で守る。それが私達鬼族だ」 「でも、その鬼族の一人から聞いたわ。争いは出来るだけ避けたいって。貴女も本当は戦いばかりで疲れているんじゃないの?」 「それは……」  歩みが止まった。鬼女にとってその言葉は図星だった。そもそも歌を上手くなりたい理由も唯一の趣味であり安寧を感じられる瞬間の質を向上させたいからであり、争いなど好む訳も無かった。鬼族としてのプライドか、自分の欲か。葛藤が脳内が駆け巡って一つの結論を弾き出した。 「ちょっとだけだからな。私の優しさに精々感謝しやがれ」  巫女は飛び跳ねて大袈裟に喜びを表現する。  鬼女は溜息をついて顔を背ける。  二人は月夜の下で、パートナーとなったのだ。
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