君がいるのは座標B

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 記者会見というものが、僕は初めてだった。  黒い長テーブルを前に背筋を伸ばして、堅い椅子に座している。フロアの最奥かつ一段高い場所が現在地。  大学学長が今回の発見内容と大まかな経緯について述べている。その後にやってくる詳細への質疑応答その時間に備えて、僕と、僕の上司に該当する力学学部教授は、思考パレットを分割して開き、理論を高速で並べ精査し言語化して、他者へ向けて発する準備をしている。自分以外の人間である教授が今まさにそれをしている、と分かるのは、僕自身も同分野の研究者であるためで、今回の発表に深く関わっていて、こうして現在、同等の説明責任を負う立場として此処に居るからに他ならない。  このような表現を用いてしまうと、なんだか僕達が、特に僕は、悪い事をしでかしたかのような錯覚に陥る。まるで、隠匿していた悪事を暴かれ、それを公にする謝罪会見のようだと。  僕自身、これが悪事だとは認識していない。そうした方面へ流されてしまうことは全力で回避しようと思っているし、その備えもしてから、この場まで至った。万全とまでは断言しないけれど、無策ではないし、愚かな選択をしたとも思っていない。  けれど、どうだろう?  この発表が、僕の発見が、形にしてしまった理論が、今後の世界のバランスを、科学のありようを、これまでの形とは異なるものへと変えてしまうことは疑いようがない。変化した後の世界で、もしくは変化の過程において、僕の功績は悪行へと評価を転じられてしまう可能性は大いにある。変革をもたらす者は時として、極悪人と同等の悪意と憎悪を向けられるもの。それは歴史が証明している事実であり、僕自身も覚悟して臨まなければならないことだ。  順番が回ってきたので、僕は椅子から立ち上がり、マイクを持って、頭の中に用意していた原稿をゆっくりと読み上げる。感情を乗せる必要などなくて、けれど抑揚くらいは付けて、冷静に成果を報告していく。  定例学会の発表で壇上へ上がって論文の口頭概説を行ったり、大講義室で大学の生徒達相手に基礎理論を説明したりすることはあっても、こうした歴史的発見や、人類未到達の域に関わり、それを自分が解説するなどとは夢にも思っていなかった。  嬉しい誤算と表して相応しいだろうか。それとも、身の丈に合わないものに手をかけてしまっているのだろうか。はたまた、そのどちらもを含有する自己矛盾、混迷の最中に、僕という存在はあるのかもしれない。  ここまで考えた末に、僕は少し長めに瞼を閉じる。  深呼吸をして、目を開けた。  景色は変わらず。僕達大学関係者三人に注目する大勢の人間と、眩しくて堪らないライト、うんざりするほど大量のカメラが、こちらを向いている。  仕事熱心なだけか、上司からの命令に忠実な者か、漠然とした好奇心からか、基準は曖昧。精密に測定する術がない以上、このような想像を巡らせる意味はあまりないのだけれど、それでも極少数くらいは、科学に関心があり、発表の重要性を理解した上で、この場に駆けつけた人がいるかもしれない。希薄な境界条件、希望的観測ではあるけれど、期待するだけしてみよう。期待値というものを見捨てないことが、科学者の性である。 「さて、既存の原子炉ではなく、核融合炉を建造し、現実的な運用を試みた際の最大の問題点とは、炉心の超高温化と、その核外壁の耐久性を保持し続けること、それを実現可能な建材がこれまで存在しなかったことです」  僕はマイクを片手に、報告内容の佳境に入る。 「仮に、炉心の外部を連続的に覆い続けるような工事を年中施工するなどして、融合核を覆い続けるのであれば、しかしそのコストがネックとなります。生み出されるエネルギィとその価値よりも管理コストの方が大きくなる、という本末転倒な現実、技術的不足が、核融合の実現を遠ざけ、机上の空論として位置付ける根拠でありました。砕けた表現をさせていただくと、危険と手間と投資の割に利益にならない、ということです」  僕の言い回しに、すぐ近くにいた記者の人達数人が笑ってくれた。  僕はその反応のおかげで、少しだけリラックスすることができた。 「では、広義の現代科学において、この技術的不足とは、具体的にどの部分を指すのか? 核融合炉の建設とその瞬間的な運用までであれば、実は可能でした。既存原子炉のように稼働することでエネルギィを生み出し、それを電気性質に変換して送電、利用すること自体は可能です。問題は、先程も部分的に述べました、莫大かつ絶えず連続的に生産され続ける超高熱エネルギィ、それを炉心内に留めておけるだけの機構と、それに耐えうる材料の不在、開発試験の複雑さと危険性、探求するための資金不足などでした」 「つまり、高熱に耐えられるだけの巨大な容器を建造することができなかったから、という認識でよろしいでしょうか? 作り出されるエネルギィが強過ぎて閉じ込めておけない、仕組み自体を組み上げても運用を長く続けることができない、そこまで分かっているものに時間も人も金も割くことはできない、と?」  フロア後方にいた記者から疑問の声が飛んできた。まだ質疑応答のパートには移行していなかったので、僕は多少驚いた。奥の方では、疑問の声を上げた記者が隣の男性から頭をはたかれているのが見えた。  僕はその光景が可笑しかったので、やや口角を上げてから、大雑把に言いますと、ええ、今のご質問の通りです、と肯定してみせた。 「加えて、核融合炉全体を効率的に冷却するシステムも不可欠です。莫大な熱を直近で浴び続ける管理施設と精密機器類をこの熱から守り、絶えず冷やし続ける必要がありました。ものを冷やすためには、現代ではクーラなどの空調や、接触型の水菅を通して熱を逃がしてやるなどが一般的ですが、前者の方法では冷却の為に電気を大量に使用することとなり、エネルギィロスおよびシステムの複雑化を招きます。またこのクーラが万一故障した場合、施設のメルトダウンを引き起こす連鎖的危機のトリガーにもなってしまう。安易な依存や過信はできません。後者では、冷却機能がまるで足りません。各箇所に採用すること自体は有効ですが、それ単体だけで目的の全てを賄うことはできない」 「では、どのような方法で、それらの難題を解決されたのですか?」  今度は先程とは異なるフロアの一カ所から声が飛んできた。  こちらもやはり、その質問をした記者の隣の女性が、質問者の頭をはたいていた。こういうやり取りが、実はこの手の場では定番なのかもしれないな、と僕は解釈した。 「課題解決のために、まずは、これまで注目されてこなかった既存の放射性同位体の副次的機能による冷却効果の報告と実証をする必要がありました。その同位体とベルチェ効果を応用し、炉心外殻に半永久的な冷却機構を据える。具体的には、ゲル状に集合・加工した放射性同位体で炉心核をコーティング、これを何層にも重ねて融合炉とします。この放射性同位体へのエネルギィ供給は炉心から発せられる高濃度放射線と高温の熱に起因するもので、それが絶えない限り、定値冷却効果が発揮され続けます。これは同時に、エネルギィが伝達され続ける限り、コーティングしている部分の層自体が独立した自己修復機構を持つということでもあります。つまり、壊れず、緩まず、配合比率にも偏りが生じず、外部からの補修や定期メンテナンスを要としない、理想的な存在です」 「はい、では、外殻に関する課題克服の経緯を過ぎたところで、融合炉の実現プロセスと構造理論について、私からお話させていただきます。まずは……」  僕の隣で教授が急に立ち上がり、報告と解説を引き継いだ。  正確には、僕はまだ、話しておこうかな、と考えた部分を文章として頭の中におこし、待機させていたのだけれど、教授は自分も早く話したいみたいだったし、僕の立場と肩書きが、並ぶこの三人の中で最も低いので、制する権限も理由もなかった。  付け加えるなら、僕は注目を浴びたり、過度に持ち上げられたり、ひたすらに賞賛されたりすることが好きではない。独りで自由気ままに自分の好きなことをして、自分自身が満足できればいい、元来そんな性格なので、目立つ役割を担ってくれる者がいるなら、その人に全部任せてしまいたいとすら考えている。今回は教授がそれを進んで背負ってくれた形なので、食い下がるほどの不満はなかった。  僕が話した時間の三倍ほどの長さを教授は延々と喋り、記者達がそのもったいぶった語り調子に対して、目に見えるうんざりとした様子が完全に蔓延した頃、ようやく質疑応答パートへと移行した。  細かな確認事項のような質問が十個ほど飛んだ後、こんな質問がなされた。 「核融合炉といえば、これまでは似非科学、もしくは机上の空論と位置付けられてきましたが、それを用いた有名作品に、二足歩行型で、宇宙でも活動可能な戦闘ロボットを主役に据えたものがありますよね? 今後、融合炉が一般化、十分に普及し、小型化技術が確立されたなら、そのような機体も製造可能でしょうか?」  この内容に対して、フロア内では控えめな笑いが起こった。  丁寧な物言いと、その詳細のギャップが可笑しかったか。  最先端の科学的進歩の発表の場で、旧来の価値観を主軸にした疑問が飛び出したことに対しての反応だったか。  あまりに飛躍した発想と、そうあって欲しい、という当人の願望の顕現、もしくはそう考える者が国内には、果ては世界にも存在するだろう、そうした者達へのアンサとして聞いておこう、という善意の姿勢か。  動機がどれであれ、確かにユニークな問いに違いはない。  僕は学長と教授の方へ、ちらと顔を向ける。  二人は似たような呆れ顔を僕に返してくるばかりでマイクに触れようとしない。そのため、僕がマイクを握り、答えることにした。 「結論から申し上げますと、理論上は可能です。可能性という概念でいえば、当然、ゼロではありません」 「本当ですか?」  僕の答えに、質問した記者は驚きの声を上げ、フロア内はざわつく。 「しかしながら、現段階では、それこそ似非科学の域を出ない、というのも、また事実です。僕はそのロボットのことをよく存じ上げないので細部までお答えすることは難しいのですが、例えば、ロボットの二足歩行を可能とするための脚部、その関節部分の建材に問題がありますね。脚部だけでなく、駆動の命とも呼べる関節部分は、どのようなロボットを建造する際でもネックとなる。どうネックなのかといえば、強度と稼働範囲、柔軟性と耐久度、これらの両立が実に難しい。ものを作り上げる際にぶつかる壁はいつもこれです。欲しい機能は簡単には両立できない。表面のコーティングもそうです。自立し、歩行し、飛行し、宇宙空間でも活動が可能、これらを全てこなせる外部装甲、それを支える内部駆動機関、遠隔操作ならまだマシですが、もしパイロットが搭乗するなら、融合炉とコクピットが近過ぎるという問題、融合炉から放出される強烈な放射線をどのようにして遮蔽するか、等々の課題が挙げられます。そして、これらを解決することができたとして、建造コストはいくらになるのか? 誰がそれを負担するのか、そこまでした建造されたロボットに、どれほどの需要があるのか、という次なる問題が生じてきます」  ここまで話してから、僕は軽く肩をすくめてみせるジェスチャを挟んだ。 「ですが、融合炉搭載型の宇宙でも航行可能なロボット、というアイデア自体は、僕は好きです。ロマンがあります。こうしたアイデアや理想が浮かび、どうにか実現できないかと試行錯誤し、大真面目に検討を繰り返してきたことこそ、人類の歴史であり、今回の融合炉の実現、新規外殻の発見が成されたのです。疑問に思わなければ、作ってみたい、と行動を起こさなければ、科学に進歩はあり得ませんからね」 「先生のお話は大変面白いですね。それに分かり易い。助かります」  すぐ目の前にいた記者の人が笑いながら言った。 「毎日、眠そうな顔をした学生相手に、講義ばかりしていますから」  僕がそう返すのと、笑いながら感想を漏らした記者の人が、その先輩と思しき人から頭をはたかれるのが同時だった。  ホテル前で急停車したタクシー内で支払いを終えて、僕は降り立った。  記者会見のために指定された場所は、勤務する大学ではなく県外だったので、こうしてホテルに部屋を取る羽目になった。費用が大学持ちであることが幸いである。  喜々として出張をするもの好き達も多い、と方々から聞くけれど、僕はどうにも好きになれない。長距離移動はどう考えたって面倒だし、新幹線やホテルのチェックイン・アウトの時間制限に起因する行動制約、否が応でも管理せざる負えない小刻みな時間と自分自身、これらの不自由さを息苦しく感じる。  大前提として、僕は拘束されることを嫌い、好きなことだけをするために大学へ残った。企業への就職を嫌がり、大学・研究者間のコミュニティに依存し、准教授という立場にまで甘んじている。知ること、学ぶこと、学問への関心だけが僕の全てであり、労働という行為、社会への貢献というものから逃げ続けた結果が、今の僕という人間なのである。  何が言いたいのかというと、研究室や大学構内にこもって、理論モデルの検証や、終わりのない計算と精密精査、環境構築、他分野の准教授、教授達との愉快かつ難解で、実に役に立たない空想じみた議論をしている方が、僕の性には合っている、という、誰も聞いていない愚痴が正体だ。  エレベータで四階まで上がり、借り物のキーで扉を開ける。  溜息をつきながらスーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイも外してから、ポットのお湯を使ってインスタントコーヒーを淹れた。  朝の覚醒にも、昼過ぎのブレークタイムにも、夜までに蓄積された脳の疲労にも、コーヒーが有効だ。それ以外の選択肢は無い。何物も代替できない。この悪魔の黒い液体がいてくれなかったら、僕は現職を続けることができなかっただろう。それくらいには重要な存在である。  一息ついたところで、ふと思い立ち、どうしようかと逡巡。  けれど、それは形だけのことで、数秒後には、僕は私物のノートPCを立ち上げていた。  個別ファイルの更に奥へ保存しているアクセス用のアプリを起動。  途端に画面全体が液晶の割れたような様相へと変化する。これはこういうものなので、今更焦りなどしない。  僕はキーボードを操作して文章を打ち込む。 『起きている?』  画面の中央部。最も暗い面に、僕の書いた文章が白く表示される。  エンターキーを押すと、すぐに【彼】から返信がきた。 【起きているよ】 『君はいつも起きているね』  僕は静かに口角を上げながら打ち込む。 【こちらとそちらでは時差があるからね】  それもそうか、と独り納得。 【会見はどうだった?】 『意外にも順調だったよ。滞りなく、抜かりもなく。問題も起きなかった。糾弾もされなかった』 【それはよかった。なによりだ】 『手応えとしては、発表した内容があまりよく理解できていない、という印象が強かったかな』 【それも予測していた通りだ。世間一般的には、核反応と核融合の違いも浸透していないだろうからね】 『仕方がないといえば、仕方がないのかな。日本国内の理系人口は年々減少傾向にあるし。海外へ情報が流れてからが本番だと、僕は考えているよ』 【そうだね。そう考えて割り切る他ない。どんな分野でも、傾倒でも、派閥でも、畑違いという言葉が示す通り、専門でないものに対してのレスポンスは遅れるもので、その重要性を正確に解することができるのは、対応した者達が主となる。自分が門外漢だと自覚したなら、後は橋渡し役に徹する方が賢明だ】 「まったくその通りだ」  椅子にもたれて、僕は呟いた。 『ああ、そうだ、このテーマに関して、馬鹿みたいなことを聞いてもいい?』 【興味深い前振りだね。いいよ。どんなことかな?】 『融合炉が実現できるからといって、巨大人型ロボットまで作れるようになるのかな』 【こちらでなら、できないこともない】 『本当に?』 【ただし、実際に建造するメリットは無いね。高コストの割に見返りがない。偵察が目的なら衛星があるし、空中戦が求められるなら戦闘機がある。地上戦なら高威力のランチャが普及しているし、大規模な破壊力が必要ならナパーム弾を搭載したミサイルか、最強の核ミサイルの出番だ。どう考えても人型の大型ロボットに任せるよりも低コストで済むし、大量生産、大量輸送も可能で、融合炉の小型化、搭載可能になるまでの時間や技術革新を待つ必要もない。そもそもとして、そんな大型兵器が必要になるような対戦国も、未知の巨大地球外生命体もいない。今も昔も争い自体が、総じてエネルギィのロスだ】 『やっぱり、そうだよね。ロマン以外で、造る理由が無い』 【ロボット、好きだっけ?】 『今日の記者会見で、建造可能かどうかを聞かれたんだ。融合炉の登場と普及によって、創作物中の機体が現実を闊歩するようになるのか、そんな時代が来るのか、ってね』 【ああ、そういうこと。それは、うん、予想外だ】 『今、画面の前で笑っているだろう?』 【その通り。でも、ユニークな発想だとも思ったよ。科学は、突拍子もない飛躍があってこそ発展してきたと表しても過言ではないからね】 『そうだね。僕も、そのような言葉で伝えておいた』 【大人な解答だ】 『加減が難しいよね。こういうのは』  コーヒーを一口飲んでから、僕は文章の続きを打ち込む。 『サイエンス・フィクションは面白いコンテンツだし、科学に夢を見るからこそ、人は、科学の門を叩くもの。それは僕も否定しないし、科学を学ぶ良いきっかけだと捉えている。ただし、正しい知識を得た上で、可能か不可能であるかの理屈は頭に入れておくべきだとも思うんだ。誤った認識と、それが波及してしまった未来ほど、恐ろしいものはないからさ』 【同意見だね。正確な認識と、誤りの少ない知識が求められるのは、科学以外のジャンルにも言える】 『真面目な話、これから世界は、この発表と技術の共有後、どう変化するのか、予測できる?』 【既得権益を保守するために、スムーズなフェーズの移行が阻害されるね。安全面に関しても配慮と周知もそう。致命的な事故は起きなかった、人命にかかわるような被害も出なかった、と記憶しているけれど、首を傾げてしまうような不可解な動き、水面下での取引は、どうやっても避けられない。人間はできるだけ自分が一番得をしよう、と画策する傾向があるからね。しばらくの間、数年くらいかな。それくらいの期間は、多少の混乱が続くと覚悟しておいて欲しい。君への誹謗中傷も起こり得る。過激ではないはずだけど、平穏無事のまま、何事もなく、とはいかない。世界、社会、政治、企業、研究機関、個人、あらゆるものが微細には荒れる】 『やっぱりか。うん、分かった』 【変化には痛みが伴う。革命には犠牲が伴う。人間社会でも、生物細胞でも、粒子反応でも、これは同一の法則だ。複数要因の連鎖によって生かされている以上、例外はあり得ない】 『そうだね。理解しているつもり』 【次いで起きるのは、デジタル化の促進。現状とは比較にならないほどの電気エネルギィが生み出されることで、それを最大限に活用できるもの、現状、最も需要のあるデジタル方面へリソースが注がれるのは必然。関連ビジネスの活性化、設備の増設とそれに対する補助制度の成立、法律の改正、これが全世界規模で起こる。投資先としても火が点いて、各国の通貨が流れ込む。久しく見なかった規模のバブル的経済効果が得られるだろう】 『そのバブルは、いずれ崩壊する? これまでの歴史でもあったような反動がある? もしくは、これまで以上に酷い揺り戻しが訪れる?』 【いや、この資金と経済活性効果はね、意外にも長く続いて、落ち着いた後も、緩やかな安定を見せるよ。投資先である電力関連はインフラ・カテゴリだから、基本的に大きく変動することなく安定しているものだし、人間の生活にも直結していることだから、面倒臭がって手を抜く、多くの人がどこかのタイミングで大量に離れて関心を失う、ということがない。技術革新の根幹を成す融合炉も半永久機関であるから、その普遍性と信頼から、人気の投資先として存在を確立する】 『なるほどね。納得できる論拠だ』  僕はコーヒーを飲み切ってから続きを問う。 『エネルギィ革新をもたらした僕という准教授は、次はPC関連の新技術を発表することになるのかな? トランジスタや、新しい圧縮手法とか』 【そう。よく分かったね。専門外だろう?】 『専門外でも予想くらいはできるさ』 【まあ、そうか。うん、君が予想した通り、必要機器や生産パーツに新たな技術とアイデアを波及させる必要がある。その役をやってもらいたい。この点は早めに対処しておかないと、現行のままでは、融合炉のエネルギィ制御や、今後の一般型デバイスへの応用、専用の管理機器の生産・流通に不都合が出てきてしまう】 『もしかして、既に経験済み? そっちでは、混乱が起きたの?』 【そう、実際に起こったんだ。そのせいで、学者や企業側の技術者達は、理論の展開から実現と実用性の証明まで達成しているにも関わらず、全てを一度保留にして、正確に運用するための制御系プログラムや、システムの構築に、時間と資源、資金と人員を過剰に食われることとなった。君に一部泥を被ってもらってでも、融合炉の実証と技術情報を早期に公表してもらったのも、これを回避するためだ。新技術、新規事業の匂いをあえてグローバルに拡散して、今後何が必要となるのかを逆算させやすくしたわけだ。科学者である君も熟知している通り、大きな力を使うとなれば当然、それを制御するための機構が必要となる。それを見越して行動できる者は既に世界中に存在している。迅速に行動を起せるだけの身軽な機関もある。こちらでの問題、致命的な誤りだったのは、有益な情報と、技術自体の確率の時期、必要となるものの情報公開順が、不運にも前後してしまったこと。それが多種多様のロスへと繋がり、無駄な混乱を呼び込んだんだ。準備が整っていないのに実行はできない。強行すれば失敗しやすいのは明白。何事も万全を期すのは、こういうパニックを避けるためだというのに、皮肉なものさ】 『こう言っちゃなんだけど、科学に携わっていると、ままある話だね。以前に、新たな元素を発見した科学者達が、その元素の存在を証明するために、もう一つ元素を見つけて発表しなくちゃいけなくなったみたいな、歴史においての既視感、既出の事象に似ている』 【実にその通りだ。科学なんて、それこそ人間なんて、どれだけの時間を経ても、いつの時代も、どれほどの変化を重ねても、似たようなことを繰り返さざるを得ない生き物ということなのだろう。そうした積み増しが手元にないと、僕達人類は発展できないような造りをしているんだ】 『あっ、そうだ。デジタル関連の発表をするのなら、個人的な興味もあって事前に聞いておきたいんだけど、トランジスタの革命や、通信速度の更なる高速化、ネットワークの広域化が世界規模で発達するのなら、例えば電子デバイスの体内浸透や、個人の内部にある生体電気で電子を介した小規模ネットワークを構築して格納、必要に応じて物理的接触と同時に充電と放出、なんてことも可能になる?』 【残念だけど、デバイスの小型化や軽量化、人体への埋め込みや適応に関するアイデアは、わりと早期に頭打ちとなるよ。主に、トランジスタをマイクロ化することの限界が理由だ】 『ああ、やっぱり、そこがネックになるんだね。小さくし過ぎることで、電子の流れが不正確かつ断続的になって、マイクロ化した機能が不全を起こすわけだね?』 【そういうこと】 『こちらでも指摘されていた課題が、最後の最後まで解決できなかったとはね』 【万能はあり得ない】 『知っているよ。大学の院生時代から嫌というほど経験してる』 【人体内部にデバイスなどの機器を入れる、という方向への進化を人類が受け入れ難かった、という点も、研究開発を遅らせた要因の一つだ。最初期の、脳への電子チップを埋め込んだ際の事故や、マイクロ機器を入れたことで起きたアレルギィ反応に起因する身体不調が、世界的に報道されて、企業や研究者達は非難を浴びたし、宗教的、思想的に、人体へ機械を入れることを拒絶する、神の意志に反する行いは許されない、と抗議する集団も多くいたからね】 『技術革新が延々と続いていく、なんてのは夢物語か』 【ひとりでに倍々換算で膨らんでいく技術、倫理を超越して波及していくシステム、なんてものは存在しない、ということかな。苦労とリスク、実験と犠牲のもとに、人間社会は成り立っている。科学という分野でも、それ以外の分野でも、同様にね。ただ、科学カテゴリに関していえば、どれほどの投資を経ていようと、関わった者達の個人的な夢であろうと、何かしらのリスクが成果を上回った時点で、切り捨てるか、方針転換をする以外に選択肢は無い。より良い未来を望むなら、下手なこだわりは捨てて、固執からも脱却をする必要がある。でなければ、得られたはずの別の機会も失うことになる。科学者達自らの立場も危うくするだろう】 『科学者としてあるべき姿、というやつ?』 【そういう結論に帰着するしかない、という、一種の諦めでもあるかな】 『それ、本心?』 【ある意味では理想。僕個人の愉快な思想でもある】 「面白いことを言うなぁ」  PCの前で、僕は独り笑いながら頷いた。  彼なりのジョークだろう。しかもかなりウィットな感性のブラックジョークだ。  しかし、それゆえに、理想、思想、などという言葉を用いたくもなるのだろう。  遠回りを行き過ぎた大回りであり、自虐的かつ、科学を正確に表現してもいる。 【さて、新技術の伝達と発表タイミングは、こちらから調節可能であるけれど、予測が困難かつ具体的な壁として立ち塞がるのは、やはり人間と、人間が作り上げたメディア、既存の人類派閥が挙げられる。融合炉の建造、作り出したエネルギィを送電、活用するためにも、デジタル方面でも革命を推し進める際にも、多くの他者からの賛同と協力が不可欠だ。学術的な貢献度、将来への大きな期待、有用性に由来する評価から、多くの予算申請が通るだろう。それでも、実現し、ある程度の安定ラインに到達するまでには、莫大な労力と資金、物質的リソースを消費する。新たな利益の恩恵に群がる負債達も積もると予測ができる。人件費とは、つまり人権費であり、人間を人間扱いすることはコストがかかる。けれど、そのコストを無下にすれば、人権問題となる。人が他人の為に成そうとする何事かの壁となるものとは、違いなく人間の存在なんだ】 『とんでもない皮肉だね』 【大きな声じゃ言えない】 『それはそうだ。それこそ、マッドサイエンティストと呼ばれてしまうよ』 【それでも、乗り越えていくしかない。君と、君の国、現在と未来にも、こちらと同じ轍は踏んで欲しくない】 『しかし、こうして聞いていると、君は人間があまり好きではないように映るね』 【もし本当に人間が好きでないのなら、こうして救おうとはしていないさ】  記者会見を経験した日から数えて、四か月が経過した。  あれからも色々あった気がするけれど、そう、まだ、たったの四か月しか過ぎていない。 一例を挙げるなら、下世話な話、僕の懐が加速度的に潤ったりなどした。  各メディアの取材料振込に始まり、番組への出演料が加わり、出版社からの依頼で執筆した核融合の一般向け解説書、より専門的な論語を用いた学術書籍などの売上その印税によって、僕の銀行口座の残高が、これまでの人生で目にしたことのない数字へと変貌を遂げた。  数字の割に、実態が軽い金である。しかし、軽いというのは、けして悪いことではない。出所不明な重い金、回り回ってやってきた胡散臭い金、自分のものに映る自分のものではない金、などよりは絶対に良いと断言できる。  反面、僕個人へのバッシング、大学への嫌がらせや脅迫などの深刻な展開は、今のところ起きていない。僕はSNSをやらないので、ネットでは大なり小なり否定的な意見や噴出していたり、個人攻撃に思えるような言葉が飛び交っているかもしれないけれど、自分の目や耳に入ってこない限りは、あらゆる暴言も指摘も存在しないのと同義である。  国内第一核融合炉は、参画機関と企業によるモデル計算・仮設計・建設場所と県民の合意、細やかな協議・検討が重ねられた後、建造が始まった。僕個人の予測をはるかに上回る速度でスムーズに事が進み、着工にまで至ったのだ。 それに関する事故や問題も現在、起きていない。まだまだ始まったばかりなので、嵐の前の静けさ、というだけかもしれないけれど、どの段階であっても、平和であるのは良いことで、平和なうちから、そわそわしたり、気に病んでも仕方がない。僕は肩の力を抜いて、自分にできること、自分が任された仕事を全力でこなしながら日々を過ごしている。  僕個人、所属している大学共に有名となり、研究資金なども融通してもらえるようになった。他大学と比較しても、明らかに待遇が良くなった。嫉妬と反感を買ってもおかしくないほどの優遇措置である。それでも、日本国内特有の穏やかな気質と、融合炉が莫大な電力を生み出せるという周知から電気代の大幅値下げ、という平等かつ国民への具体的な恩恵のおかげで、何一つ荒れた事象には巻かれていない。  欲を言えば、大学内での実験、学問や研究に割ける時間的余裕が減ったことだけが不満だった。他人からは嬉しい悲鳴だのと揶揄されるが、科学者にとって研究に打ち込める時間を取り上げられることは、科学者であることを否定されるのと同義だ。これだけ恵まれた環境にあり、金銭的な余裕ができ、名声まで得た者が、まだ足りない、自分が欲しいものはこれではない、などとのたまうなど、実におこがましい限りではあるけれど、僕は元来、目立ちたがりではないし、自分自身や、自分の肩書きに対する顕示欲もない。生活基盤その安定と、食うに困るほどの貧乏は遠慮したいという考えから、これまでの人生において、仕事というものを嫌々こなしてきたわけであって、億万長者になりたいとか、他人から羨まれるようになりたいとか、権威ある人物となって尊敬されたい、権力を持ってふんぞり返りたい、などの理想とは全く無縁の人間なので、現状の名声や、取材とインタビュー、番組への出演やメディアへの露出、偉そうに講釈を垂れるような文節を本にすることは、正直望んでいない。  それでも、それなのに、どうしてこのような役を引き受けたのか?  考える頭が付いている以上、核融合炉などという革命が約束されたものへ関われば、自ずとこういう展開になると判っていながら、どうして実行し、入念な準備までして、名前を掲げ、注目が必然である表舞台へと上がったのか?  その答えは、僕が科学者であり、量子力学専攻であり、その学問と研究、解明の事象先で出会った異変と、知ってしまった驚愕の事実、そして彼との邂逅が、些末な自分自身のこだわりを制して、僕の今後の人生を、未来を、その方向性を、定めてしまったことに起因する。  人間社会における仕事、その役職以上の、言わば、人間個人としての役割が、これほどまでに明確となってしまうと、自分だけが知っている事実が重ければ重いほどに、身動きが取れなくなる。人生の選択肢というものも消え去る。この肩の重責に潰されそうになるほどである。  一つでも誤れば、おしまいだ。間違いがあってはならない。研究や実験、検証等であれば、間違いなど山ほど出てくる。間違えないことなど不可能だ。その間違いや勘違いを精査するために実験をするのであり、検証を重ねるのであり、他の研究者達と議論をして、自らの意見を交わして、正解へと近づく。これが、人間が未知へ挑む際の王道手順であり、革命を起こす際の儀式である。  しかし、今回に限り、僕は明確な根拠と、不可避の国際規模的事情により、それを飛び越えた。  経るはずであった工程を無視し、先に解答だけを他人から貰って、解からの逆算をして、彼から聞いた話の整合性を確かめた。彼との邂逅自体が、順序的には逆行から生じていると表現して差し支えないので、順序の正しさを議論してもしようがない、という理屈が根底に在る。  若かった頃のように、責任など殆ど無かった頃のようになど、そうはいかない。そんな甘えは、もう許されない。  普通に生きて、普通に社会人をやっていても、似たような言葉を耳にする機会があるだろう。僕も院生から助教へと立場が変わった辺りで、上の人間達から告げられた記憶がある。そういった縦社会が嫌いで、できるだけ、どうにか、部分的にでも、自由に、自分らしく、好きなことだけをして生きていきたい。その理想に最も近いと感じられたからこそ、僕は大学に残り、研究と学問の側で働くことを決めた。  このように自由を主軸に据え、その為に行動を続け、人生の進め方を割と早期に定めて生きてきた僕ですら、この有り様だ。  逃げられはしなかった。  それどころか、時間を経るごとに、年齢を重ねるごとに、鈍重になって、思考も、行動も、レスポンスが落ちて、そこへ来て、この事実と、未来の固定化が降りかかったわけである。  年齢を重ねるということは、比例して背負う責任も増えるもの。働かなければならない以上、社会に所属している以上、大勢の者達に生かしてもらっている以上、あらゆる積載からは逃れられない。  それでも、できなくなったことよりも、できるようになったことの方が多い。  故に、過去に嫉妬するのは、若さだけ。若さだけは留めていたかったな、老いるのは嫌だな、細胞の酸化、分裂速度と総数の低下による身体機能の低下、テロメアの断裂による不可逆の劣化は受け入れ難いな、と溜息が出る。これは僕に限らず、世の人類の大半が同意する事象であるだろう。  ままならないものだな、と、しみじみ思う。  得る代わりに失う。代替でなく喪失がある。  伸ばし、磨き、優れた者へと変貌を遂げる。  そのたびに、そうしているうちに、見失う。  大切だった物を手離して、愛していた者との別れがあって、こだわりや興味が薄れる。それが続く。ふとした瞬間に、否が応でも、予想外の方向から降りかかってくる。人生とは、その繰り返し。  螺旋的損益等価循環を意識して嘆き。  時間経過の認識は、自己を納得させる動機に過ぎない。  奮い立たせようとするのだ。懸命に鼓舞するのだ。他でもない自分自身を。  人間という生物の特異性によって、過ぎたるは喪失ばかりではなく、得るための等価であり、故に人は成長し、才と富を賜り、愛を知り、無くしてしまったものと同等か、それ以上の益を、この手にできるのだからと。  好き勝手に走らせていた思考に、僕はようやくブレーキをかける。  同時に、動かしていた十指も停止させた。  ディスプレイを注視していた視線を室内へと放る。  自分が所属する大学構内。  准教授、という名前だけの肩書き。  その肩書きに沿わせるためだけに用意された部屋の中。  僕はキャスタ付きの椅子に座り、デスクに置いたデスクトップPCに、キーボードで文章を打ち込む作業をしていたのだ。  ぼんやりと考えごとをしながら、まったく別の仕事ができるようになったのは、思い返してみると、院生の頃からだろうか。  あまりの忙しさと睡眠不足で、ふと、これまで考えたこともなかったやり方を試してみたのだ。  考えながら、手を動かしながら、もう一つ別のことを考えるなり、実行してこなすなりすれば、進捗も成果も二倍になるではないか、と。  何を馬鹿なことを、と制する自分がいた反面、試すだけやってみればいいではないかと勧める自分もいて、そうして試しているうちに、器用と言って良いものか、集中力を欠いた不真面目な行いか、とにかく、この芸当ができるようになった。今のところ、取り返しのつかない致命的なミスは起きていないので、この頭がついてこられるうちは、このままでいこうと考えている。  デスク上からマグカップを持ち上げて、コーヒーを飲む。  ディスプレイには、文字の羅列ばかり。  大量の式や、解説用の図は、あとから挿入すればいい。優先されるのは、どうしたって文字群なのだ。人間は、文字と言語を介さなければ、自分の頭の中のアイデアや理論を他者へと伝達することができないからだ。  僕は、子供の頃から、答え合わせという行為が好きだった。  様々な法則を知り、それが頭の中で、まったく別の何かしらと繋がるという現象に、興味と興奮を覚えた。科学者を目指したきっかけも、これが始まりであり、動機の大部分を占めていたと評しても過言ではない。そういうことばかりを考えていられる、という不純な動機である。 「失礼します」  扉の向こうから声が聞こえたと思った瞬間、若い女学生が室内に入ってきた。 「あ、すみません。先生、作業中でしたか?」 「いいや、休憩中だったよ」  僕は手にしていたマグカップを小さく掲げながら答えた。 「よかった。これ、まだ仮なんですが、ゼミ用の資料が用意できましたので、一度、目を通していただきたくて」  言いながら、彼女は僕のデスクのすぐ横までやってくる。 「分かった、見ておくよ。急いだほうがいい? 今日中とか」 「いえ。あまり急ぎではありません。二、三日中でも大丈夫です」  やり取りをしながらも、彼女の視線は、僕が先程まで書いていた文章へと向いている。 「あの、先生、書かれているそれって、もしかして、論文ですか?」 「そうだよ」僕は軽く頷いてみせる。 「まさか……」  彼女は、信じられない、といった表情を見せた。具体的には、口を開けっ放しで、器用に言葉を発するのである。 「だって、ついこの前、あの融合炉心について発表をされたばかりじゃないですか」  僕の顔とディスプレイへ、視線を交互に向けながら彼女は言った。 「うん。そうなんだけど、アイデアを思いついちゃったからさ。ほら、一度、この手のものが頭の中に出てきてしまうと、どうにも保留にしておけなくて」 「気になってしまう、ということですね?」 「どちらかというと、気が散る、が正確かな」 「どんなアイデアです?」 「バッテリィの新たな蓄電層化とその構造について」僕は答える。 「現在は、スマートフォンなどに用いられているリチウムイオンバッテリィが主流であり、同時に、技術的停滞地点では?」 「そうだね」  彼女の問いに対して、僕は頷いてみせてから言葉を続ける。 「液体に電気を蓄えることで、それ以前に主流だったバッテリィ機器よりも、多量かつスリムな形状で、長時間保電を可能としている。これが、リチウムイオンバッテリィの特徴であり、現在の人類が成した技術遍歴、発展の推移だ。僕のアイデアはね、このイオンバッテリィへ、更に並列隔壁状の三層構造を適用することで、蓄電層を細かく独立させて、つまり三層それぞれが独立した状態で、既存のリチウムイオンバッテリィと同等の蓄電効果、使い勝手を持たせようというものなんだ」 「その理論でいくと、じゃあ、充電効果は、現状のバッテリィと同規格のサイズで、尚且つ、三倍に増す、ということですよね?」 「僕の想定では、それが目的であり、実現も可能なはず」 「すごい……やっぱり、先生はすごいです。只者じゃない」 「その褒め方も、なかなか只者じゃないな」  僕はふき出しながら、彼女へ言葉を返す。 「こういうことを言っちゃいけないんでしょうけれど、私にも、アイデアを分けて欲しいくらいですよ。博士論文も、今後の研究の方向性だって、何をテーマに据えるのが一番良いのか、将来性があるのかって、毎晩悩んでるんですよ」 「あ、じゃあ、任せたい構想があるんだけど」 「えっ? 本当ですか? 何です? どんなものですか?」  彼女が目を輝かせて聞く。 「融合炉搭載型の独立二足歩行ロボットを、どうすれば現実世界で建造できるかを考えてみて欲しいんだ。人間が搭乗できて、スラスタで空を飛べて、宇宙空間でも稼働可能なやつ。どうかな?」 「先生、それって、ああ、もう……ばかみたい」  途端に、彼女はげんなりした顔になって、聞き分けのない子供へ向けるような目を、僕へと向けた。 【教授や学長などの相手、学会などの正式な発表の場以外で、僕が伝えたアイデアを披露するのは推奨できないな】  デスクトップPCのすぐ横へ置き、開いていた通信用のアプリその中央に、この文章が表示されたので、僕は驚いた。 「ちょっと待った。もしかして、このアプリを起動中は、音声も拾えるの?」  まさかと思い、僕はわざと文字を打ち込まず、人と話をする程度の大きさで言葉を発してみた。 【音声通信用の機構が備わったPCであればできるよ。このノートPCには、ビデオ通信用の機構が組み込まれているみたいだったから、試しに起動させてもらった】 「なんだ、それならもっと早く言って欲しかったな」 【そちらの音声を感知して、こちらで正常に再生できるようにするソフト用パッチを当てたのが、つい昨日のことなんだ】 「ああ、そういうことか。それなら仕方がないね。そうだ、ソフトを更新したのなら、そっちと音声を接続して、会話することもできる?」 【いや、それはまだ無理だ。リアルタイムでの音声変換は相互通信容量が多過ぎる。君の方では、タイムラグはあまり感じないだろうけれど、こちらでは既に、かなりの遅れが生じている】 「そうか。残念だな。ようやく君の声が聞けると思ったんだけど」 【自分の声を録音して、再生してみるといい。ほとんどそっくりのはずだよ】 「そういうリアリストなところも、僕とそっくりだね」 【理論上は、同一人物だからね】  彼が返してきたその文章は、どこか笑っているように見えた。  文章から相手の表情を想像するなんて、僕も大概、変わり者なのかもしれない。 「十四年の歳月と、四次元かつ左方向へ二つぶんの差異、だっけ?」 【そう。おまけに、言うほど安定していない】 「その不定性のおかげで、君という先駆者がいて、尚且つ、僕という後発の同一個体が存在できている、という理屈だったよね? 次元連動の不連続性が功を奏したと」 【覚えていてくれて助かる。何よりも、こんな話を信じてくれたことが、何よりも助かっている。僕の生涯における、最大の功績と好転だ】 「相変わらず、大袈裟だな」僕は笑いながら応える。 【大袈裟にもなるさ。こっちでは、世界規模でバランスが崩れてしまったからね】 「小さな不幸と衝突の連鎖で、紛争と経済の崩壊が生じて、それが各国へと連鎖し、安定が削がれてしまった、という話だったね」 【そう。それまでは、比較的安定した経済状態が長年続いていた。些末な問題や、小さな倫理的衝突こそあれど、まだまだ温和に、問題を一つずつ解決していけるだけの余裕があった。最悪の始まり、そのきっかけとなったのは、大規模なパンデミックだ。ことの発表から三か月と経たず、それは多国へと広がり、多くの死者が出た。立て直すのに三年かかった。その後に待っていたのは、経済的混乱だ。一度崩れてしまったバランスを元に戻すのは容易じゃない。国も企業も、当然個人も、貧困に陥った。僕の側では、その際に投資先が無かった。これがいけなかった。生きている者達は、生活の中や、未来の未知性に期待を抱くからこそ、現在を穏やかに生きようとする。未来に夢を魅るからこそ、現在を懸命に生きようとする。これが何も希望一つない、何処へ投資しても見返りを期待できない、閉塞した社会、希望を抱けない世界に陥ったなら、どうなるだろう? 予想は簡単だ。実現するのは、もっと簡単だった】 「混乱と混沌だね。しかも、世界規模での」 【そういうこと。もうね、最初の数年は本当に酷かったよ。既存の仕組みや法律、システムの大半が破壊され、無視された。倫理を失った人間達は動物と遜色がない。欲望の赴くままに暴れ、壊し、暴虐の限りが尽くされた。けれど、近代文明を経験して、大なり小なり知識を有していたからこそ、そこで踏み止まることができた。このままでは飢えて死ぬと。電気を使う機器は機能不全となり、あらゆる利便性が失われる。政治や税金は憎たらしくても、インフラが完全に停止してしまったなら、困るのは自分自身だ。生産が止まれば食品も消耗品も減る一方で、既存の品々を奪い合ったところで、根本的な問題は解決できない。こうした理由から、社会は割とすぐに立て直しの方奥へと転換された。その過程で、量子的な分野、主に次元と量子通信の研究機関が、ある発見をした。それは、僕のいる世界では、まだまだ実験段階で、具体的に何を成すために利用できる技術ではなかったけれど、こうして他次元へとビット通信を送り、その返答を受け取ることができると気づいた】 「そして、それをたまたま受け取ったのが、僕だったというわけだね」  僕は笑いながら言う。 【ある意味では、必然だったのかもしれない】 「君が、その量子力学の研究チーム所属で、通信を実行した張本人だから?」 【僕は、そう考えている。君は、どう?】 「僕も、その意見に賛成だよ。次元を隔てていようと、ある地点、この場合は、座標が適当かな? その座標Aから座標Bへとアクションを起こしたなら、発した点もしくは線と接続されるのは、出発したその箇所と同等の条件を有したものであることがパターンとして最多であり、常識だ。つまり、僕達が通信者として繋がり、こうして未来の技術やアイデアを伝達してもらって、それが未来への投資と、確定してしまっている危機や結末の回避に繋がる、というのは、ある意味では約束された事象、既存の法則にならっているといえる」 【ええと、伝えるのを忘れていたんだけど、君の次元でこちらと同じ未来に陥ることを回避しても、こちらの世界が急に平和になったり、過去に起きた惨事が帳消しになって、ある地点から様変わりをする、ということにはならないんだ】 「えっ? そうなの?」  僕は椅子の背もたれから身体を離して、彼へと問う。 【電子的な通信は時間を遡って伝達することができる。ただし、これは電子とその振動の連続性を高速化し、加速器を用いて光速を超えさせるからこそ実現できたものであって、人間や、世界で既に起きた事象を光速に乗せることはできない。物理的にも、構造的にも、そんな真似ができないことは理解できるね? 故に、人間と人間が創り出してしまった事象自体は不可逆だ。時代ごと時を戻す、なんてことはできない。SFなどでよく見るタイムスリップは、僕達の時代でも不可能だと証明された。ただし、同時並行的に存在している次元世界との分岐を断つことはできると判った。時間的にはこちらの次元が先を行っていたから、分岐を実現させるために、技術革命が起きるだけの情報と技術を送った、というわけだ。歴史的なパラドクス自体は起きるけれど、既に確定した未来では、過去でどのような改変が起きようとも干渉されることはない。変化は起きない。これは未来において、時間について新たに解明された事実その根拠に基づく理論だから、信用して欲しい】 「でも、それじゃあ、君は、何のために、僕へ未来のアイデアを送ってくれているの? こう言っちゃあ失礼だけど、僕には実益と名声が与えられたし、こちらの世界は、これから発展して豊かになって、こちらの世界ばかりが平和で幸福になっていく。その恩恵を、達成した目的の報酬を、君と君の世界は受け取れないじゃないか」 【それでいいんだ。そちらの世界が平穏無事であることが、経済が循環して、人類が存続してくれることが、僕と僕達の側の願いであり、目標だから】 「とっても崇高で素晴らしい価値観だとは思うけど、そんなことがあり得る? 見返りも無しに、利益を求めず、この通信だって、とてつもないコストがかかっているはずだろう? それを回収することもできすに、しなくていいだなんて、そんなことが……」 【そんなこともあるんだよ。少なくとも、そんなふうに考えるようになってしまうような経験をして、最悪を通り越した、地獄のような世界を目の当たりにした後ではね。救える世界があるのなら、その為に尽力しようと決起できるものさ】 「……そうか。いや、ごめん。僕は君のことを誤解していた」 【いいんだよ。前にも言ったろう? 僕は君自身でもある。君のことはよく分かっているつもりだと。だから、君が面白半分でこの話に乗ってくれたわけでなく、自身の利益のためだけに行動するとも思っていない。君が君なりの真摯な気持ちで、このプランに参加してくれたことを僕は理解している。だからこそ、先程も告げたように、助かっているんだ。僕と、こちらのメンバー達もね】 「なんてお礼を言ったらいいのか……、その、ありがとう。こんな言葉じゃあ全然足りないけれど、とにかく、ありがとう」 【どういたしまして。その言葉だけで充分だよ。後は、実際に危機を回避できてから、祝杯を上げよう】 「この世界の現状は、科学的な比喩を用いるなら、ゴンボックであると表するのが適当だと僕は考えています。つまり、不安定形状、一律ではなく、安定を求める過程で、他の箇所が安定を欠く、それを繰り返しています」  僕は壇上に立ち、マイクを手にして、実に余計な演説をしている。  バッテリィの新規構造の論文を発表しただけなのに、前回の記者会見同様、フロアの横から奥から様々な質問が投げかけられた。今後の国内科学の発展には何が不可欠か、未来の科学を担う者としての意見を聞かせて欲しい、というのだ。  初め、僕はこれを笑って流そうとした。  僕は目立ちたがりな性格ではないし、僕の隣には例によって、僕よりも立場が上の教授と学長が座っている。その上司達に任せてしまった方がいい。波風も立たないし、悪目立ちすることも避けられる。  それなのに、僕は聞かれたことに対して、マイクを握り直し、少しだけ頭の中で文章を組み変えて、素直に答え始めてしまった。  自分でも不思議だなと思った反面、彼からの言葉が、彼との約束が、僕の背を押したのだろうなとも自己分析できる。  彼が僕と僕達の世界のために尽力してくれたように、僕自身も、彼がくれたものを、胸を張って発表しようと、この世界で、どうか役に立てて欲しいと、争いの為ではなく、人類の発展と存続の為にと。 「例えば、日本国内一億人以上の意志を統合すること、これも不可能な妄想です。どれほど科学が発展しようとも、どのような時代がやって来ようとも、人間各個人の自由や尊厳を強奪するような真似はするべきではない。そんなことをしてしまったら、それこそフィクションにありがちな、ディストピア社会が誕生してしまう。人間はもう、そんな愚かな選択をするべきではない。圧政や戦争などという、人命と資源のリソース、あらゆるエネルギィを無駄にしてはいけないのです」  記者の方々は嬉しそうに僕へ向けてシャッタを切っている。  映像も撮っているだろう。こういう大袈裟な話が必要だったはずだから、実に好都合な展開のはずである。  僕は語り続ける。 「新しいことを始めようとすれば、必ず反発は生まれるものです。前回発表させていただいた核融合炉にしても、今回の電子機器に関しても同様で、既存の枠組みに手を加えようとすれば、反対意見が持ち込まれる。変化には労力を伴い、それに痛みを感じる人々だっている。理屈に則った反対意見も生まれるでしょう。単純な感情的反発もあるでしょう。だからこそ、それぞれ個別の対応が必要なのです。一律ではなく、圧力をかけるでもない。我々は人間です。言葉を操り、数字を活用し、科学を理解し、その恩恵を受けて、こんにちの快適な日々がある。命を脅かされることなく、明日を迎えることを前提として生きられる。これは、人間が持つ人間性があってこそです。人が人間性を失えば、我々は動物に堕ちる。その退化の先に待つものは争いだけです。それだけはいけない。直近の不満こそ数多くあれど、世界を巻き込む戦争など、誰一人として望んではいないはずです。個人それぞれが望む未来、理想、目標、願い、欲望、細部は異なるでしょう。ですが、それこそ人間らしさというものです。信じる神も違えば、自由の概念すら異なるかもしれない。ただ唯一、全人類共通の意志は存在します。それは、平和です」  締め括りに入る。  柄ではない崇高な言葉を用いて。 「穏やかに過ごしたい。命を明日へ持ち越したい。それができるだけ長く続いて欲しい。こう望まない者はいないはずです。自らの命を、愛する者の命を、大切な家族の命を、長く、長く、この世に留めておきたい。誰だってそう考えます。現代における科学は、この願いを叶えるための鍵なのです。融合炉におけるエネルギィ革新も、それに付随する機器の開発も、我々の命を明日へと繋ぐため、全ては命を生かしたままにする未来を叶えるために行うのです」  ここまで話して、そして言葉を切った。  フロア内は小さな拍手が散見された。  僕は一度、頭を下げてから、最後に、よろしくお願いします、とマイクで告げた。  自分で言葉にした通りだ。  解答は一律ではない。あらゆる問題は一概に解決できるものではない。  全ての事象を、人間の意志を、無理矢理に統一することが正義ではない。  結論を求めることで、必ずしも安心が得られるわけではない。所有と喪失は繰り返される。  結局、人間はある程度、自ら失ってしまいたいと考えている生き物なのかもしれない。  実に非効率で可笑しな生態だけれど、獲得という一種の達成、精神的充実に依存しているが故。  そのうえで、考え続ける。試し続ける。もがき続ける。  誤り、破壊し、後悔し、悔いを歴史に刻み、先を見据えて、次へと挑む。  情報は拡散。彩は霞み、堅実ばかりが流行る。  攪拌される人々の声。金と力にばかり靡く者。  それでも懐疑を超え、真実と危機に触れる指。  人類は回生を得る。死の縁を視るからにこそ。  偉そうに語れる立場でもないな、と独り笑う。  僕の偉業は、Buddyからの請売りに起因。  そう発想して、僕はまた独り笑う。  Anotherである座標Aから。  Buddyのいる座標Bへの依頼。  彼もこれに気づいていただろうか?  きっと気づいていたに違いない。  彼は僕であり、僕は彼でもある。  それ故に、そう、逃れられない。  虚偽の罪は棺にまで仕舞われる。  未来は此の声で選択されていく。  在るべき法則など度外視のまま。  帰るべき場所など最初から無い。  輝かしい功績と共に虚無へ帰還。  事実と実績、力と意志によって叶えられたにも関わらず。  こうして形を成し、利潤に震え、顕現してみせた末には。  何があるだろう? 何の為だったろうか? 疑問ばかり。  終わりではない。それは判る。始まったばかりだ。今は。  そう。まだ続くだろう。続けられるだろう。だがしかし。  この先は? どこまでが安泰か? 確かなことは不明で。  おそらくは、こうした不安に起因する感情だろう。嗚呼。  誤りだったろうか? 過ちだったろうか? それすらも。  悔いても、飽いても、もう遅いのだ。  この姿のまま、生きていく他にない。  その為の人生と成り、覚悟を携えて。  彼が待つ未来へと、思考だけが届く。  けして交わらぬ時代の壁を背にして。
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