まほろばの姫君

3/4

0人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
「恋城まほろは2年前に歌謡大賞を取っている。今ではアイドル歌手っていうより国民的な歌姫だよ」  笹木の頬がぴくりと動く。濁った眼球がぎょろりと動き、幽霊の割に豊かだった表情は能面のように読めないものとなった。 「恩返しする前にマネージャーは亡くなった、自動車事故で亡くなったって言ってたな」  覚えていたのはこの日の為だったのかと思えてくる。何て事ない偶然なのに。  自動車事故、という言葉が似つかわしい風体を笹木はしている。頭から血を流し腕と足が変な方向に曲がっているというのに、本人は痛みを感じないように動いている。流血している事すら気付いていないのだろう。  流血どころか、本人は死んでいる事さえ気付いてない。  だが、今笹木の中で変化が起きている。 「あんたが心配しなくても、恋城まほろは立派にステージに立ち続けているよ、夢だった歌謡大賞も取っている」 「……言ってたんだ、作詞をしているって、歌詞を書いているって、次に歌う曲を書いてるから聴いてほしいって」  圭一の言葉など聞こえてない素振りで、笹木は切迫した表情を見せた。  一歩距離が近付く。 「楽しみにしていたんだよ……」  手を伸ばし、爪先が見えない足を動かし一歩圭一に近付く。 「新曲を……まほろの新曲を……」  まほろの話を始めた時に見せた気迫のようなものは今、禍々しい瘴気に変わろうとしていた。 『一緒に見た夢は今は一人きりの夢だけど、繋いだ絆が途切れる事はないから』 「?!」  突然澄んだ歌声が空き地に聞こえた。  笹木はその歌声を聴いただけで誰のものか分かったのだろう、膝を崩し地面に伏した。 『あなたはもういないけど、背中を押してくれた温もりは忘れないから』  圭一は誰もいない空き地をぐるりと見回し、次いで空を扇いだ。  白く大きな鳥が飛んでいる。自分の放った紙片が変化した式紙ではない。  嘴は動いていないがその鳥が歌っている、いや、聴かせているで間違いないだろう。  一つ息を吐き出し、笹木に視線を戻す。 「道を作ってやるよ」 「……?」 「まほろの歌に乗せてな……」  文言を唱え両手を組み、指を動かしていく。指の動きと共に結ばれた印は、圭一の言葉で笹木にしか見えない光を作り出した。 「……まほろ……」  道半ばでまほろから離れてしまった笹木、現世に留まりたい理由としては十分だろう。あのテレビ番組を見たのはもう2年以上前、まほろが歌謡大賞を取った事で放送されたドキュメンタリーだ。  笹木がこの世を去ったのはそれより前。2年以上現世をさ迷い続け、生きていた頃の記憶は混沌としていき、死んでいる事も分からない程に存在は曖昧になったのだろう。  このまま放置しておけば、悪霊となっていたかもしれない。見えない者にとっては今の幽霊の笹木であれば、実害はない。だが、悪霊となってしまっては、霊感のない者も関係なく害を及ぼす。そんな存在になってしまうところだった。 「僕は……もう……」  歌はまだ続いている。空を優雅に飛んでいた白い鳥は、今は圭一の肩へ停まっていた。 「まほろに送ってもらうんだ」 「……そうだね……」  圭一が作り出した光の中へ鳥が飛び込みながら、再び空へと舞い上がった。  笹木はふらふらとその後を着いて行く。  力強い歌声は、エンディングを迎えるにつれ優しさを増す。伸びやかな歌声の余韻を残し、曲は終わった。 「……君……」  ふと笹木が振り返る。 「ありがとう……」  笑顔を最後に、笹木の姿と鳥は空へ溶け込むように消えた。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加