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「恋城まほろは2年前に歌謡大賞を取っている。今ではアイドル歌手っていうより国民的な歌姫だよ」
笹木の頬がぴくりと動く。濁った眼球がぎょろりと動き、幽霊の割に豊かだった表情は能面のように読めないものとなった。
「恩返しする前にマネージャーは亡くなった、自動車事故で亡くなったって言ってたな」
覚えていたのはこの日の為だったのかと思えてくる。何て事ない偶然なのに。
自動車事故、という言葉が似つかわしい風体を笹木はしている。頭から血を流し腕と足が変な方向に曲がっているというのに、本人は痛みを感じないように動いている。流血している事すら気付いていないのだろう。
流血どころか、本人は死んでいる事さえ気付いてない。
だが、今笹木の中で変化が起きている。
「あんたが心配しなくても、恋城まほろは立派にステージに立ち続けているよ、夢だった歌謡大賞も取っている」
「……言ってたんだ、作詞をしているって、歌詞を書いているって、次に歌う曲を書いてるから聴いてほしいって」
圭一の言葉など聞こえてない素振りで、笹木は切迫した表情を見せた。
一歩距離が近付く。
「楽しみにしていたんだよ……」
手を伸ばし、爪先が見えない足を動かし一歩圭一に近付く。
「新曲を……まほろの新曲を……」
まほろの話を始めた時に見せた気迫のようなものは今、禍々しい瘴気に変わろうとしていた。
『一緒に見た夢は今は一人きりの夢だけど、繋いだ絆が途切れる事はないから』
「?!」
突然澄んだ歌声が空き地に聞こえた。
笹木はその歌声を聴いただけで誰のものか分かったのだろう、膝を崩し地面に伏した。
『あなたはもういないけど、背中を押してくれた温もりは忘れないから』
圭一は誰もいない空き地をぐるりと見回し、次いで空を扇いだ。
白く大きな鳥が飛んでいる。自分の放った紙片が変化した式紙ではない。
嘴は動いていないがその鳥が歌っている、いや、聴かせているで間違いないだろう。
一つ息を吐き出し、笹木に視線を戻す。
「道を作ってやるよ」
「……?」
「まほろの歌に乗せてな……」
文言を唱え両手を組み、指を動かしていく。指の動きと共に結ばれた印は、圭一の言葉で笹木にしか見えない光を作り出した。
「……まほろ……」
道半ばでまほろから離れてしまった笹木、現世に留まりたい理由としては十分だろう。あのテレビ番組を見たのはもう2年以上前、まほろが歌謡大賞を取った事で放送されたドキュメンタリーだ。
笹木がこの世を去ったのはそれより前。2年以上現世をさ迷い続け、生きていた頃の記憶は混沌としていき、死んでいる事も分からない程に存在は曖昧になったのだろう。
このまま放置しておけば、悪霊となっていたかもしれない。見えない者にとっては今の幽霊の笹木であれば、実害はない。だが、悪霊となってしまっては、霊感のない者も関係なく害を及ぼす。そんな存在になってしまうところだった。
「僕は……もう……」
歌はまだ続いている。空を優雅に飛んでいた白い鳥は、今は圭一の肩へ停まっていた。
「まほろに送ってもらうんだ」
「……そうだね……」
圭一が作り出した光の中へ鳥が飛び込みながら、再び空へと舞い上がった。
笹木はふらふらとその後を着いて行く。
力強い歌声は、エンディングを迎えるにつれ優しさを増す。伸びやかな歌声の余韻を残し、曲は終わった。
「……君……」
ふと笹木が振り返る。
「ありがとう……」
笑顔を最後に、笹木の姿と鳥は空へ溶け込むように消えた。
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