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2.早朝
ワイシャツは替えを持ってきていた。ネクタイも同じ。誰もホテルから直行したとは気づかないだろう。
いつもより早い時刻に会社へ到着した。玄関ホール入口で社員証をかざしゲートを抜ける。
昨日、雫の残して行った仕事は、元々玲司の仕事だった。
雫にとっては新しい仕事だ。慣れて貰うため、わざと残し力量を計ろうと思っていたのだが、雫は仲間との飲み会の方が大事だったらしい。
期待をかけるというのも善し悪しだな。
玲司は嘆息する。
残しておいては、今日の仕事に差しさわりがある。それを仕上げてしまおうと、早めに出社したのだったが。
既に誰かが出勤しているようで、フロアの照明が一部点けられていた。
いったい、誰が?
玲司がフロアに入ると、明け始めた朝の光がブラインド越しに差し込む中、パソコンに向かっている人物が見えた。
あれは──。
こちらに気づき顔を上げる。
「あ、おはようございます! 樺主任」
ニコと笑う後輩、雫がいた。まさかいるとは思わなかった。玲司は内心の動揺を隠しつつ、
「早いな?」
デスク脇にブリーフケースを置くと、イスを引いて雫の隣の席につく。雫はニコニコしながら。
「昨日、やれなかった分、取り返さないと。主任から特別に任された仕事ですから。あのままだったら愛想尽かされちゃうんで」
テヘッとト書きにありそうな笑みだ。
「……」
思わず雫を見返した。仕事を渡した理由に気づいていたと言うことか。
「俺もちゃんとできるとこ、見せておかないと。ずっと主任に見てもらってるのに、出来ない奴の烙印押されちゃうと困りますから」
「なんだ? できる奴だと思っていたのか?」
自然と軽口が口をついて出る。口元が緩んだのを自分でも自覚した。正直、嬉しかったのだ。
「あ! 酷いです。これでも、同期の中ではダントツだと自負しているんですけど…」
「自信過剰だな?」
あ、パワハラだ! と、冗談めかして口にしながらも指はキーボードを追っていた。調べてまとめて置けと言った資料を次々と仕上げていく。
出来るならもっと初めからちゃんとやればいいのだが、なぜか最近の雫は本気を見せない。仕事をやりだせば適当ではないのだが。
何か理由があるのか。
「──主任。さっきから視線が突き刺さってるんですが…。俺、何かしちゃいましたか?」
指摘され、さりげなく視線を逸らした。
「…別に。首に赤い跡があるなと」
「ええ?! って、マジ! あれだけ残すなって──」
「冗談だ。だが、相手はよくよく選べよ? お前の選ぶ相手はいつも軽い」
玲司の元に来たばかりの頃、付き合っていた女性は階下の総務の職員だった。かなり派手な見た目で、男性社員には人気が出るだろうが、同性には嫌われるタイプだ。
その彼女とはすぐに別れ、別の女性と付き合いだしたのだが──なぜ分かるかと言うと、頻繁に顔を見せに来ていたからだ。どうやら、自分と付き合っているから、手を出すなと言う周囲へのアピールだったらしい──最近あまり上手く行っていないらしい。
その女性も、いわゆる女子力のある、男性が理想とする女性そのものだった。
スタイルも良く、小さく可愛く、愛らしく。ほわりとしていつもいい香りをさせていたが、男性にはちやほやされるが、やはり同性には不人気なタイプだった。
こいつはいつも、いかにもな相手ばかりだな。
中身を見ようとしないのだろうか。
玲司は不思議でならなかった。長く付き合うであろう相手を、見た目ばかりで決めていいのか。が、それも次の雫の返答で納得した。
「って、別に真剣に付き合うつもりないですし。その時、楽しければいいかなって。一人より、色々な娘と付き合ってみたいじゃないですか? その中に合う娘がいればそれで…」
「遊ぶのも大概にしておかないと、痛い目をみるぞ? それで失敗して仕事を失くした奴もいる。別れ話がこじれて、別れを切り出された女性側がそいつにセクハラやストーカー被害にあったと騒いだんだ。気をつけろ」
「…はーい」
なくはない話しなのだ。普段の雫の態度を見ていれば、そんな騒ぎになるような付き合い方はしないだろうが、相手がいることだから分からない。
ちぇっーと不貞腐れた様に口にしながらも、手は動かし続けていた。カタカタと鳴るキーの音。打つ指は意外にすらりと長い。
玲司の手も綺麗だと付き合った相手に褒められるが、雫の手はもう少し大きく、骨ばっていた。手だけは意外に好みだ。
「あ、これ、どうでしたっけ?」
「…ああ、それか。そこは共有フォルダの中に資料があるだろ? 見てみろ」
「あ! そうか…。ここかー」
カチカチとマウスが音を立てる。
雫は飲み込みも理解も早い。全部言わなくとも、そのあとを理解し次に進んでいく。いちいち細かい説明が要らないため、雫が下についたことで仕事も進みが早くなった。
本当に。真面目にやれば良いところまで行くだろうにな。
本気を出せば、上に上がれるタイプだ。この性格なら、周囲にも目を配ることができるはず。上に立つ者には、仕事以外にもそう言ったことも重要になる。
「それが済んだら少し休憩しろ。朝飯は食ったのか?」
「あ…と、そこに」
画面から目を離さず答える。
そこ、と言われてデスクの上を見れば、コンビニの白いビニール袋が置かれていた。中にはツナマヨおにぎり一個と野菜ジュース。若者にしては少ない。
「これだけか?」
「あ…はい。仕事してると腹減らなくて。食べられるときは、朝からがっつり食べてくるんですけど──と、これでお終い」
カチカチっと小気味よい音がして、それが終了の合図となった。
「これで昨日の仕事はお終いです。今日の分はいつでも準備万端です!」
にこと笑む。丁度差し込んできた朝日に頬が照らされ、笑顔と重なった。
なんだろうな。
目に眩しく映る。
「? どうかしました?」
「──いや。それだけだと腹が減るだろ? 昼は外に食いに行くか?」
「ええ!? いいんですか?」
「ああ、たまにだ。おごってやる」
「やった! て、これ、黙っとかないと…」
「どうしてだ?」
不思議に思って聞き返せば。
「あ、いや…。その、女子連中に恨まれるかなって。それにばれると絶対一緒に行くって言い出すし、そうなると主任に迷惑ですし、それに、なによりやっぱりはじめての主任とのランチですし。せっかくなんで二人がいいです!」
力説する雫に、玲司は苦笑を漏らすと。
「ランチくらいで…。まあ、給料まえだ。お前ひとりで勘弁して欲しい所だ。じゃあ、少し早めにでるから、そのつもりで」
「了解っす。楽しみー!」
まるで子どものようにはしゃいで見せた。
確か年齢は二十四才だったはず。若いが笑うと更に若く見えた。まだ大学生のようにも見える。
無邪気に喜ぶ雫に、悪い気はしなかった。
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