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ブラコンな妹はお兄ちゃんのプロポーズを邪魔したい
金持ち一家に仕えるメイド、さとは今日も笑顔だ。
10センチていどの小さな人形を手のひらに乗せ、ご主人さまに話しかける。
「燈次さま見てください。お友だちが作ってくれたんです」
「犬のぬいぐるみか。作りが細かくてすごいな」
「でもでも、この子、何か足りないですよね」
「何だろう」
「飼い犬さんって聞いたのに首輪がないんですよ」
「何がないって?」
「首輪、です」
「首輪か。聞き間違えた」
燈次は自分の左手の薬指をこする。
しかしさとは、彼の仕草に気づいていない。
「お友だち、首輪を作り忘れちゃったって言ってて。私が代わりに作ってあげようかなって思うんですけど。どんなのがいいかなって……。あ、すみません。引きとめちゃって」
「着替えてくるよ。後で続きを聞かせてくれ」
燈次がダイニングルームを出ると、すぐそばから声がした。
「ずいぶん楽しそうね、燈次兄」
「瑠璃華、いつから!」
そこにいたのはツインテールの女の子。印象的なツリ目を燈次に向けている。
「何を話してたの」
「聞きたいか、我が妹よ」
「うん?」
「実は明日、プロポーズをするつもりなんだ」
瑠璃華は目を見開き、よたよたと後退した。
「プロ……え、相手は」
「そりゃあもちろん、俺のメイドのさとだ」
「いつの間に恋仲にっ?」
「つきあってない。でもまあ、愛を伝えるという点では、告白もプロポーズも同じだ」
燈次はわっはっはと豪快に笑う。一方、瑠璃華は否定的な表情だ。
「こんなタイミングでプロポーズしなくてもいいんじゃない?」
「思いたったら即行動! これが俺の信条だ」
瑠璃華は一瞬頬を引きつらせる。もう駄目だ、とばかりに。
だが彼女はその直後、何故か満面の笑みになった。
「どういうプランか教えて。アタシがアドバイスしてあげる」
「子どものお前にはまだ早いよ」
「アタシだって来年は大学生よ。さ、話して」
燈次は幼子をあやすように、優しい口調で話しはじめた。
「まずレストランに行き……。メニューはこうで……。指輪? ここだ。詳しい時間? それは……」
燈次がすべてを言いおわると、瑠璃華は可愛らしい笑顔を浮かべながら、顔の前で両手を振った。
「楽しんできてね――かりそめの幸福を」
翌日。
該当のレストランでは、何故かスタッフルームが騒がしかった。
うわさの中心にいるのは、何故かスタッフルームで壁に寄りかかる瑠璃華だった。
瑠璃華は小さく笑った後、高飛車な笑いへと変わった。
「オーホホホ! さーて。燈次兄のプロポーズを邪魔するわよーっ!」
瑠璃華は口元に手を添え、ふんぞり返る。
店員のひとりがこわごわと話しかけた。
「あの……どなたでしょうか」
「今日20:00からで予約している入江燈次の、ゴージャスでキュートな妹よ」
「ここは関係者以外立ち入り禁止なのですが」
「札束で店長の頬をパーンとやったら了承してくれたわ」
「な、何でそんなことを」
「だって、さとがアタシの燈次兄を奪おうとするんだもん。燈次兄からプロポーズされる? おこがましい。燈次兄はアタシのものなのに」
「理由はどうであれ、お客さま同士の喧嘩はご遠慮を」
瑠璃華は羽織っていた薄手のコートを脱ぎすてる。
現れたのはなんと――店員と同じ服を着た瑠璃華だった。
「じゃーん。ウェイター姿の瑠璃華ちゃんでーす!」
「ウェイター側になるとは。それで何をするつもりで」
「燈次兄のカッコ悪い姿を引きだして、さとが幻滅するように仕向けるの」
「可哀想なお兄さん……。一世一代のプロポーズなのに」
「燈次兄のことは、アタシが慰めてあげるわ。がんばった反動で甘えたい燈次兄を、アタシが優しく包む。燈次兄はアタシのことしか見えなくなる――。完璧。アタシったら可愛いだけじゃなくて天才なのね!」
店員は口をあんぐり開け、もう何も言えなくなった。
時間になり、燈次がさとを連れて店に入ってきた。燈次はもちろん、スーツでバッチリ決めている。
さとは私服だが、素朴で庶民的なワンピースだ。状況が分かっていないのか、店内を不思議そうに眺めている。
燈次がカッコつけて指パッチンをしたので、それを合図に瑠璃華は前菜を運んでいく。
「お待たせしました」
「ありがとう……。おや、店員さん。風邪か?」
燈次は不思議そうに瑠璃華の口元を覗きこむ。
「この大きなマスクのことですか? ファッションです」
「レンズの大きなサングラスも?」
「これは当店の制服の一部です」
「変わった店もあるものだな。……ん?」
「何か」
「店員さん、どこかで会ったことが……?」
燈次は瑠璃華の顔をまじまじと見つめる。
……燈次兄の顔、近っ!
瑠璃華の胸が締めつけられる。
しかし、今はときめいている場合ではない。瑠璃華はオホホ、と余裕たっぷりに笑ってみせた。
「店員のアタシをナンパですか? 手慣れていらっしゃる。さぞやおモテになるのでしょうね」
そう言って瑠璃華はさとに顔を向けた。さとは不満げに燈次を睨んでいる。
瑠璃華はふたりに見えない位置で、小さくガッツポーズをした。
燈次は慌てて
「これは最近流行っている挨拶なんだ」
と説明する。するとさとは
「そうなんですね!」
と当たり前のように信じた。
瑠璃華は今度は小さくチッと舌打ちした。
作戦失敗。でも次がある。
燈次は凛々しい顔を作り、少し低いトーンで瑠璃華に聞く。
「前菜の説明をお願いしても?」
「大量ニンジンの、濃縮ニンジン汁浸しでございます」
「ニンジンのニンジン汁浸しか。……えっ?」
燈次はぶるぶるっと身震いをした。そして、瑠璃華の耳元に口を寄せて囁く。
「あの、俺はニンジンが嫌いだから、入れないでほしいとお願いしたはずだ」
「それはすみません。オホホホホ」
燈次は顔の筋肉という筋肉にギュッと力を入れ、嫌々食べはじめた。
瑠璃華はスキップをしながら、次の料理を取りに行く。
「次はニンジンペーストの、ニンジンソースがけよー!」
この後も燈次は、大嫌いなニンジンを食べまくった。最後のほうは半泣きだった。
食事の終了後、さとはカバンから人形を取りだした。例の、小さな犬の人形である。
しかしさとはすぐに「あっ……」と言って、人形をカバンに戻した。
「どうした、さと?」
「友だちが、ぬいぐるみと一緒に綺麗な景色を撮るの楽しいって言ってたのを思いだして、つい出しちゃいました。でも駄目ですよね」
「俺が店員に聞いてみようか?」
「いえ、大丈夫です。お人形さんにお店の中を、綺麗だよって見せてあげたら、カバンの中にバイバイしますね」
そう言ってさとは、ぬいぐるみの顔を店内のあちこちに向けた。
燈次は愛情のこもった眼差しを彼女に向けていた。
一方、瑠璃華は柱の陰で、気だるげに腕を組んでいた。
「何で燈次兄、あんな女のことを」
さとが犬のぬいぐるみをカバンにしまうと、燈次兄は髪を整えた。
そして椅子から立ち上がり、アンニュイな表情でポーズを決めた。
「実はどうしても伝えたいことがあってな」
「何でしょうか」
「それは……これだ!」
燈次は右手を高く突き上げ、指をパチンと鳴らした。
すると、店内のライトが一斉に消えた。そして、天井一面に星空が映しだされた。
実はこのレストラン、天井が巨大なスクリーンになっていた。
星々が美しく輝いていたかと思うと、流れ星が現れた。ひとつだけではない。数えきれない星が淡い線を描いて移動していく。
最初は好き勝手に動いていた流れ星たちだったが、燈次が指を鳴らすと、中央に向かって固まりだした。それだけではない。止まっていた星も動きだした。
そして星たちは、あるカタカナの文字を形成しはじめた。
燈次は高らかに言う。
「俺が胸に秘めていた想いはこれだ。受けとってくれ!」
バーン!
そんな効果音とともに、表示されたのは3文字。
さとはひと文字ずつ、丁寧に読みあげる。
「キ、ラ、イ……?」
「そう、俺はお前がキラ……。え、キライ?」
燈次は店内をウロウロし、さまざまな角度からその文字を眺める。しかし何度見てもそれは「キライ」である。
柱の陰で、瑠璃華は腹を抱えて静かに笑った。
「これはアタシが、店長に言って変更してもらった後の文字よ。さあ、どう出る?」
瑠璃華は悪女のごとき笑みを浮かべ、燈次たちに目をやる。
燈次はあごに手を当て、うぐぐと唸っている。
「て、店員。誰か!」
燈次が手を上げると、素早く瑠璃華が駆けつける。
「燈次兄……じゃなかった、お客さま。何か」
「実は、その」
「うん、うん」
「実は俺は……キライなんだよ。ニンジン、が」
「え、ニンジン?」
分かりきったことを今さら言われ、瑠璃華は目をぱちくりさせた。
燈次は不格好な笑みを浮かべながら必死に喋る。
「あの、せっかくの料理にこんなことを言うのは気が引けるが、その、実は俺、ニンジンがとても苦手で。それをあの……口にできなかったので、プロジェクションマッピングで、伝えました」
そう言った後、燈次は疲れたように肩を落とした。
一方のさとは、くりくりとした目を燈次に向けている。
そして大真面目な表情で、大きく何度もうなずいた。
「ほああ。これは店員さんに向けたメッセージだったんですね」
「そうだが?」
「でも燈次さま。こんなに目立つように言うのは失礼ですよ。苦手なら、こっそり伝えてあげましょうね。店員さんも、やだなって思っちゃいますよ」
「そ、そうだな……」
「燈次さま。店員さんにごめんなさい、しましょうね」
「というかこれ、店側の過失では」
「かしつ? 加湿器がほしいんですか?」
「じゃなくて。うん、まあ、そうだな。すみませんでした……」
燈次は瑠璃華に向かって頭を下げた。
結果的にだが、若い女性店員に堂々と文句をぶつける形になってしまい、燈次も罪悪感を覚えたらしい。
瑠璃華はマスクの中で舌を出し、身体の後ろで指をピースの形にした。
瑠璃華は他にもいくつか妨害策を実行した。
しかし燈次はへこたれない。
というか、なにくそとばかりに張り切っている。
そして最終的に、燈次は指輪ケースを取りだした。
「これをさとに受け取ってほしいんだ」
瑠璃華は少し離れた位置からその様子を見つめている。
すると、最初に話していた店員がこっそり話しかけてきた。
「いいんですか。指輪をあげてしまいますよ」
瑠璃華は無表情に見つめている。
燈次は凛々しく笑い、指輪ケースを開ける。
すると……。
「燈次さま」
「うん」
「失礼ですが、空っぽに見えますよ」
「えっ」
なんと、ケースにリングはなかった。
瑠璃華はニヤリと笑い、左手を顔の前に掲げる。
瑠璃華の左手の薬指で、指輪が堂々たる光を放っていた。
「こんなこともあろうかと事前にもらっておいたのよ。ストライクは十分すぎるほど取ったもの。試合続行は不可能よ!」
瑠璃華はオーホホホ! と勝利の高笑いをした。
しかし……。
燈次は店内をすみずみまで探しはじめた。捜索範囲はキッチンにも及んだ。
「ない、ない」と青い顔で呟く燈次を見て、瑠璃華は胸のあたりの服をギュッと掴んだ。罪悪感が痛みを放っている。
「外で落としたのか?」
そう言って燈次はテラスへ出た。
今は夜。小さな指輪など見つかるはずはないのに、彼は柵から身を乗りだし、下を覗きこむ。
ここは地上8階だ。落ちたらひとたまりもない。
瑠璃華が駆けよる直前、燈次の手が滑った。燈次の身体は柵の外に向けて大きく傾く。
「危ない。燈次さま!」
そう言ってさとが彼の身体を抱え、安全な場所へと戻した。
瑠璃華はその場にへたりこむ。
5月にしては冷たい風が、テラスから流れこんだ。瑠璃華は夜の闇より暗い目を自分の薬指に向ける。
「アタシのじゃなかったのね」
瑠璃華は指輪を外し、燈次が座っていたテーブルに置いた。
席に戻った燈次は歓喜の声を上げる。
「あったあああ!」
目尻に涙を浮かべたまま、燈次はさとにリングを手渡す。
瑠璃華は離れた場所から、力のない表情で彼らを眺めている。
さとは口元に手を当て、ほう、と大きく息を吐く。
「燈次さま、これって」
「受けとってくれるか」
さとは指輪を手にした。そして……。
カバンから、10センチほどの小さな犬のぬいぐるみを取りだした。
そして犬の首に、すぽりと指輪を装着する。
「ぴったりです、燈次さま」
「あれ?」
さとは太陽のような微笑みを浮かべる。
「このワンちゃんの首輪がなくて困ってるって話、覚えていてくれたんですね。私、とっても嬉しいです!」
燈次は指輪を渡したときの、手を前に差しだしたポーズのまま固まっている。
「……お?」
「あれあれ。この首輪、お高そうに見えますが……。本当にもらってしまっていいのですか?」
「あ、えっと、……バーゲンで買った安物だから」
「本当にありがとうございます。ワンちゃんもお礼を言いましょうね」
さとは人形の頭をペコリと下げてみせた。
燈次も力のない表情のまま、ぎこちなく頭を下げる。
そう。
天然なさとは、まさか指輪を渡されたと思っていなかったのだ……。
瑠璃華は呆然としながら呟いた。
「アタシの苦労は一体」
その後――。
この指輪を巡り、燈次に想いを寄せる女たちの壮大な戦いが巻きおこるのだが、余白がなくて書けないので、読者さま方の想像にお任せします。
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