ドム嫌いの人間サブは妖ドムに妄愛される

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「どうして……。あの、貴方は一体……?」  名前を聞こうとして見事に噛んでしまい、恥ずかしくて言葉を繋げられなくなってしまった。 「ふふ、名前かい? そうだね、うーん。ああ、君がつけてくれる?」  唐突な言葉にギョッとして目を剥く。 「ええ? 名前を……ですか?」 「そう、私の名前だよ。つけて欲しい」  ——そんなペット感覚で言われても……。  いいのだろうか。まさかそう返答されるとは思ってもみなかった。見た目は人間なのに気が引けてしまう。  黙ったままでいたが、男は折れる気配がない。どうしよう……と逡巡する。 『しらつき……白月』  不意に、頭の中に音と文字が浮かんだ。 「しら……つき。白い月で、白月というのはどうですか?」 「え……」  男がピタリと足を止める。  視線を合わせると、虚を突かれたような表情をした後で、男の目から涙が落ちていった。  ——嘘っ、泣かせてしまった! 「え、ええっ……。すみません! そんな泣くほど嫌だったとは思わなくて、あの、ごめんなさい。真に受けて悪ノリしてしまいました。すみませんでした」  第二のまさかの展開に、慌ててポケットからハンカチを取ると男の涙を拭く。  心底驚いた。心臓に悪い。  驚きはしたものの、誰かの涙をこんなに綺麗だと思ったのは初めてだった。  それと同時に自分自身も切なさで胸が押し潰されそうな妙な気持ちにもなってしまい、どうしていいのか分からなくて困ってしまう。  この人に泣いて欲しくなくて、どうにかしようと謝り倒す。 「ごめんなさい。嫌ですよね……ネーミングセンスなくてすみません」  男は少し照れくさそうにしながらも器用に笑みを浮かべた。 「あの、泣かないで下さい」  男が泣いているのを見ていると切なさで身を切られる思いに捉われる。  ——何で……?  サブドロップのせいで自分まで感覚がおかしくなっているのだろうか。先程から訳の分からない事だらけで動揺してばかりだ。 「ふふふ……驚かせてしまってごめんね。嫌だったわけじゃないんだ。また君にその名前で呼んで貰えると思わなかったから嬉しくて……。ありがとう」  ——また君に?  どういう意味なのか考える前に、熱意のこもった視線を向けられ、何だか気まずくなってしまい視線を逸らす。偶然だとしても、以前そう呼ばれていた事があるのなら良かった、と安堵した。 「早速私を名前で呼んで欲しい」 「へ? あの、名前……って、本当に良いんですか?」 「とても気に入っているよ。だから初めは君に私の名前を呼んで欲しい」 「じゃあ、白月……さん」 「敬称はいらない」 「う……。白月」  額同士をグリグリと合わせられる。やたら甘ったるい空気感とパーソナルスペースゼロ距離に戸惑った。  ——妖ってこんなに人懐っこいの?  妖の距離感がよく分からずに、されるがままになっている。 「今日は良い日だ。私は君を害することはしないと誓う。何なら名を預けて契約を交わしてもいいよ。私たち妖には名を預けてする契約は命を預けるのと同意義だからね。絶対に破らない」  まさかこんなに喜ばれるとは思ってもみなかった。頭に浮かんだ文字と音を言葉に変えただけなのに。  それに、契約を結ぶなどそこまでして欲しいとは思っていない。家に帰ればきっともう会わないだろうから。  そっと息をはいた。 「そのまま私のお願いを聞いてくれる?」  素直に頷いて「わか、りました」と、ぎこちなく小さな声で言葉を口にした。 「そう。——良い子だね。歩きながら空良のサブドロップをもっと軽くしよう」 「え……」  願ってもなかった声掛けに驚いた反面、名前を呼ばれた事でまた警戒心が湧き上がってくる。  ——どうして僕の名前を知っているんだろう。  体を硬直させる。 「ああ、すまない。気が昂ってつい名を呼んでしまった。実は私は空良の事はずっと前から知っているんだ。私は確かに妖でドムだけれど、空良の嫌がる事だけは絶対にしない。誓うよ」  体が強張ったのが分かったのか、心を読んだような回答がきた。 「ずっと前って……何処かで会った事ありましたか?」  そんな記憶はなかった。 「ふふ、追々話すよ。ただこれだけは覚えておいて。私には空良以上に大切な存在は居ないんだ。だから今の空良を見ているのは正直堪える。空良がツライと私も悲しい。このまま私がケアを続けても良い?」  白月の表情からは嘘は見受けられないものの、口説き文句にも等しい言葉の羅列はさすがに気恥ずかしくなる。  顔が熱い気がして、視線を伏せた。 「やはり私みたいな妖だと信じられない?」 「…………そんな事ない、です。今までこんな風にケアをされたり、気に掛けて貰った事がないので、その……何と言うか、正直戸惑ってしまって……気恥ずかしいと言うか」  ボソボソと小声で口を開く。  言葉にすると、主に会社で起きている事を思い出して心の奥が重くなった。  世の中がこの人みたいなドムで溢れていたらいいのに、と望んでしまう。 「それは嫌なドムに当たったんだね。私がこれからソイツを水底に沈めてこようか?」 「はい……え、え? はい?」  流れるように返事をしてしまったが、物騒な言葉が混ざっていた気がして即座に聞き返した。 「空良が望むなら今すぐ行って水底に沈めてくるよ?」 「ダメ。ダメです、白月。それは絶対ダメです!」  首を傾げて「そう?」と不思議そうな顔をしてみせた白月に真剣な顔で「ダメです」と念を押した。 「そのドムに虐げられてサブドロップしていたんじゃないの?」 「そうですけど。でもダメです」  丁寧さは残しつつ段々砕けた話し方になってきた白月に視線を向ける。  ——もしかして物騒な妖なのかな……。  さっきとは違う意味でドキドキしていた。 「確かに、ざまあみろって言ってやりたいくらいには仕返ししたいとは思ってましたけど、流石にそこまでは……」  まるで自分の言葉を代弁したような白月の言葉を聞いて、毒気を抜かれる。随分と心が軽くなった気がして、フッと表情を綻ばせて口を開けて笑ってしまった。 「あはは、無茶苦茶ですね」 「ふふ、空良が笑ってくれて嬉しい。でもね、ケアを含めたプレイすら出来ないドムが悪いよ。元来ダイナミクスのプレイは信頼関係の置ける相手とすべきだからね。庇護欲の無い支配しか脳のないドムは相手にしてはいけないよ。そんな奴らの言葉でどうか傷付かないで……。空良が望んで受けたプレイじゃなかったのなら、これからは安心して空良が過ごせるように、ソイツらは寄りつかないようにしてあげよう」  先程とは違い、悪戯を仕掛けるように白月が笑んだ。
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