生き返る人々

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 目を覚まして、私はなんだか嫌な匂いが漂っているのに気付いた。何かが腐っているような、匂い。その匂いは、どこから匂ってくるのかも分からないくらい、充満している。私は逃げるように窓際に向かい、窓を開けたけれど、その匂いは外からも匂ってくる。というよりもむしろ、その匂いはもっときつくなって、私は慌てて窓を閉めた。  いったい、何が起こっているのだろう。何か分からないかと思い、テレビを点けてみたけれど、何も映らない。何度かチャンネルを変え、ようやく映ったのはニュース番組だったけれど、何だか雰囲気がおかしい。それだけで、この世界で何かが起こっているのだと感じる。そしてそのニュースで私は何が起こっているのかを知った。  死んだ人々が、生き返り始めたらしいのだ。原因はよく分からない。そのニュースを見て分かったのは、生き返った人たちは必ずしも襲ってきたりはしないという事、ただし、接触などで感染の危険はある、ということだった。また、できるだけ外には出ないようにする事、食事などを買うために外に出るときは十分に注意する事などを話していた。それだけだった。  ニュースを見終わった私は混乱して、何をすればいいのか分からなくなった。しばらく呆然として、ようやく考えたのは、彼に連絡を取ろうということだった。彼はどうしているのだろう、と気になったし、何より、無性に彼に会いたいという気持ちがある事に気づいたのだ。きっとこんな状況で不安だからだろう。会いたい。とても会いたい。  彼に連絡を取ろうとスマホを手にしたけれど、電池が切れていて、私は充電コードを探してスマホをコンセントにつなげた。それからお腹が空いているのに気付き、台所に行って冷蔵庫を開く。食べるものは少しあったけれど、こんなのでは数日持つかどうかだった。どうせいつまでもここにいる事なんてできないだろう。そう思って私は、少し怖かったけれど、外に出ることにした。どうせ外に出ることになるなら、早く出て彼に会いたい、とも思ったからだ。食事なんかより、まず彼に会う事だ。いつの間にか、嫌な匂いはそんなに気にならなくなっていたけれど、それは慣れてきたからかもしれない。  外は意外と普通だった。あまりにも普通過ぎて、さっきのニュースは夢ではないかと思ってしまうほどだった。少ないけれど、歩いている人もいる。ただそれが、生きている人なのか、生き返った人なのかは分からないから、近づくのは怖い。できるだけ周りを見まわしながら、私は彼が住んでいるマンションの方へと歩いた。私の家からは、歩いて30分くらいのところにある。早く会いたい、と思うと自然と早足になる。  結局何事も起こらず、私は彼のマンションに着いた。彼の部屋の前まで来て、私はチャイムを鳴らした。しかし、しばらく待ってみても、彼は出てこない。私はもう一度チャイムを鳴らし、私だよ、と声をかけてみたけれど、やはり反応がない。彼はいないのだろうか。私は諦めて、一度自分の家に戻ろうと考えた。歩きながら、何かがおかしい、と私は思い始めた。何だか本当に、夢の中の出来事みたいな気がする。ただ、夢の中では、それが夢だと気付く事なんてなかなかないだろうから、夢だと感じるということは、夢ではないという事を意味しているのかもしれないけれど。  でもこれが本当に現実なのなら、私はもっとパニックになっていてもおかしくないし、逆に、人が生き返るだなんてことが現実で本当に起こるとも思えない。そうしたことを考えると、やはりこれは夢なのだろうか。  考えるのに疲れたせいか、彼に会えなくて気が抜けたのか、私は少しぼんやりとしてきた。こころなしか、身体に力も入らない。そういえばこの辺りに小さな広場があって、そこにベンチがあったはずだと思い出し、フラフラとした足取りでそちらに向かう。生き返った人たちがいるかもしれないとも思ったけれど、その恐怖よりも、ベンチに座って休みたい、という気持ちの方が強かったし、そこにいればマンションに帰ってきた彼に会えるかもしれないとも思ったからだ。  ベンチには誰も座っていなかった。ホッとして私はベンチに腰を下ろす。何だか妙に疲れている。もしかしたら、病気で頭がおかしくなったのかもしれない。だから、おかしな妄想をしてしまったのだろう。きっと、ゆっくり休んで目を覚ませば、元の世界に戻っている筈だ。そう期待して、私は目を閉じた。  ふと、気配を感じて私は目を開けた。ぼんやりとした視界の中、私の顔を覗き込むように見ている人がいた。それが誰なのか、私はすぐにわかった。彼だ。でも、これも夢なのだろうか。期待していたとはいえ、ベンチで寝ていたら本当に彼と会えるなんていう偶然が、そんな簡単に起こるとも思えない。けれど。  それは偶然などではなかったのだろう。はっきりしてきた私の視界に映ったのは、彼の、怯えたような表情だった。ねぇ、と声をかける。来るな!と彼が叫ぶ。なんで…どうして。私が彼に向かって手を伸ばすと、彼は後ずさる。もう一度私は、なぜ、と彼に問いながら、けれど本当は思い出していた。何故彼が怯えているのか。ついでに、何故私がなんだか夢を見ているような、ぼんやりとした気分なのか。嫌な匂いは何なのか。その答えを、彼が呻くように言った。  なんで…殺したはずなのに…。  そう、私は彼に殺されたのだ。きっと死んでしまったから、ぼんやりした気分なのだ。そして、この匂いは、死んだ人間の匂いだ。  そして私はもう一つ思い出す。何故私がこんなに彼に会いたかったのか。それは。彼に復讐するためだ。私は、こんなにあなたの事が好きだったのに。その気持ちを思い出すと、自然と身体に力が入り、私は立ち上がる。フラフラと彼に近づく。彼は怯えた目で私を見ている。その身体は震えていて、動けないようだった。彼とのいろんな思い出が頭によみがえったけれど、私はもう死んでいるからなのか、その思い出の感傷に浸るような気持にはなれず、私は彼の首に、手を伸ばした。  * * *   ねぇ、今日はどうする?  私が声をかけると、しかし彼は、うん…、と力のない返事をした。もう、と少し不満に思ったけれど、でも仕方ないかもしれない。彼はまだ生き返ったばかりなのだ。    あの後。  息絶え倒れている彼を見ていると、何だか無性に、悲しくなってしまった。さっきまであれほど憎しみの気持ちが強かったのに、こうなると何故かその気持ちも薄れてしまった。もう一度彼とのことを思い出し、今度は、彼ともう一度一緒にいたくなった。  だから、私は彼を私の家に連れて帰った。どうすれば生き返るのかは分からなかったけれど、二日後に彼は生き返った。生き返った彼はなんだか無気力で、私が世話をしてあげないと生きていけなさそうだった。頼りないけれど、こんな彼ならもう一度好きになることはできそうだった。  なぜ私たちが生きているのか、それは今もまだ分からない。けれど、そもそも生き物が生きているという事自体が不思議なのだ。そして普通は、生きているという事に対して疑問なんて持たない。だから。  だから私たちは、再び生き続ける。こんな生活も、意外と幸せなのだ。  
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