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「この時代に歌手はいない。歌は歌うものではない。生成するものであり、聞くものだ。『こんな曲が聞きたい』とコンピューターにリクエストすると、好みの曲を生成してくれる。どんな曲でもね」
「人が作曲するものじゃ……ないんですか?」
「歌だけじゃない。イラスト、絵画、映画やドラマに至るまで、コンピューターが全て好みに合わせて生成してくれる。それを、不思議だと思ったことがなかった。このDVDの中身を見るまではね」
『烈火の翼』が活動休止をしてから1万年後、未来人がライブ映像を見ることとなった……。
「歌う彼の映像を見て、私たちは脳天を殴られたような衝撃を覚えた。そして、心の底から湧き上がる熱いものを感じた。その後、国家プロジェクトが発足したんだ。芸術を人に取り戻すプロジェクトだ。ここは、そのための実験都市だ」
俺は、火野鷹也の生まれ変わり。人間が歌を歌うために蘇ったクローン。
「カラオケスタジオを作った理由は?」
「歌のトレーニングをしてもらうための場所。判定を機械に任せたのは、この時代の人間では指導することができないからだ」
そのとき、受付側のドアが開いた。立っていたのは、美月だった。
「ねえ、陽介。お願いがあるんだけど」
「お願いなんて、気持ち悪いな」
上目遣いの美月は……ちょっと、色っぽかった。
「生の歌、聞かせてもらえないかしら」
「彼女、いつもドアの外から盗み聞きしていたんだ。でも、君がクリアするまで、リアルに聞くのを我慢してもらっていた」
ドアを開いたら美月がいた、という場面は何度もあった。どこかの部屋に飲み物を届けているだけだと思っていたが。
「カラオケボックスで客が歌っていた気がするんだけど」
「スピーカーから音楽を鳴らしてカムフラージュしてたの。ねえ、そんなこといいから、早く行きましょう」
美月は、俺の腕を取って強く引いた。
「彼女も君と同じだよ」
「店長!」
言わないでといいたげに、美月が頬を膨らませる。
「彼女は、大昔に亡くなった偉大な画家のクローン。この都市では、音楽だけでなく、あらゆる芸術の復活に取組んでいるんだ」
なるほど。どうりで、イラストが上手いはずだ
俺は腕を引かれるまま、特別ルームへと向かった。
「感動して泣くなよ」
「失神しちゃうかも。今まで、意地悪なこと言ってごめん」
美月は照れながら、可愛らしい笑顔を浮かべた。
そういえばここは、カラオケスタジオ『ノスタルジア』。
意味は『郷愁』。
過ぎ去った時代を懐かしむこと。洒落た名前をつけたものだ。
俺はタブレットを手に取り、最も好きなあの曲を入力した。
(了)
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