決して恋にはならない

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 それから、東屋さんと行動することが多くなった。私は大学で特にいつも一緒にいるような友人はいなかったので、その辺りに支障はなかったが。  はっきり言うと、東屋さんといるのはストレスだった。  最初に他人の指摘が必要だ、と言った通り、東屋さんは私の癖が出る度に指摘した。私はその行動をほとんど無意識にしているので、その度に止められるというのは、歩く度に「歩き方が違う」と止められてまともに歩行ができないほどのストレスだった。  指の皮を剥けない状態でも、指先をじっとさせていることができなくて、指が白くなるくらいに握りしめたり、爪を立てたりしていた。それにも東屋さんは良い顔をしなかったが、ひとまず第一段階としては皮を毟ってしまうのをやめるのが目標なので、代替行為を強く制止することはなかった。ただ爪を立てすぎて手と腕がぼこぼこになっていた時には、眉を顰めて考え込んでいた。 「百千のそれってさ、自分の手じゃなくても無意識にそうなるの?」 「……? どういうこと?」 「だからさ」  そう言って、東屋さんは私の手に自分の手を絡めた。 「例えば、こうやって他人の手があったらさ。この状態でも、力入れたり爪立てたくなったりする?」 「え……いや、それはないんじゃないかな。人の手だし……」 「ならちょっと試してみようぜ」  とは言っても、まさか授業中に手を握っているわけにはいかない。自習しながら試してもいいが、大学でそれをやるのはなんだかバカップルみたいで人に見られたら嫌だった。 「なら外で会う?」  その一言で、私は東屋さんとデートすることが決まった。  いや、デートではないかもしれないが。今まで大学の中でしか一緒にいたことがなかったので、大学の外で会うとなると、途端にプライベートな付き合い感が増して、多少なりともどきどきした。  第一印象は最悪だったが、暫く一緒に過ごしてみれば、別に悪い人ではなかった。本当に私の癖を直そうとしているようであったし、私が怪我をする度に手当てをしてくれた。それなりに、私の印象は良い方へと変化していた。  あまり人に見られたくない、という理由で、私達は映画館に行くことにした。映画館なら薄暗いから人からは見えないし、映画に集中することで無意識の癖は出やすくなるだろうと。  適当に話題作のチケットを取って、私と東屋さんは隣同士の席に座った。少し話して、照明が落ちると、東屋さんが私の手を握った。  曲がりなりにも年頃の女である。東屋さんに馴染んできていたこともあり、多少はどきりとした。けれど東屋さんの方は全然気にした素振りはない。  どうせモルモットだものな、と私は映画に集中した。  暫くすると、ぎゅっと強く手を握られた。その感触で、はっと我に返った。  ――しまった。  どうやら他人の手なら大丈夫だというのは私の思い込みだったらしい。かなり強い力をかけてしまっていたようで、私は小声で謝罪した。東屋さんは気にするなというように、私の手を覆うように握った。これだと私の方からは絡めたり握ったりできないので、これ以上負傷することはないだろう。  迂闊だった。自分の手同士で組む時は、痛みがあるから折れない程度に骨に力をかけるのだが、他人の手だと痛みは感じないから、込められるだけ力を込めてしまっていたのだろう。折っていなくて良かった。多分。折れていないはずだ、さすがに。  映画が終わって、劇場が明るくなる。私はすぐに東屋さんの手を確認した。 「ごめん、怪我してない?」 「ああ、大丈夫大丈夫」  東屋さんはへらりと笑って手を振った。一応は大丈夫そうで、私はほっと息を吐いた。  映画館を出て、近くのカフェで軽食を取りながら話す。 「他人の手でもなるってことは、もう手は動かしてないと落ち着かないんだろうな」 「う……面目ない」 「気にするなって。俺から言い出したんだし」  東屋さんはそう言うが、私は自分でも結構なショックを受けていた。  今までは自分だけの癖だから誰に迷惑をかけるわけでもないと思っていたが、他人に怪我をさせる可能性が出てきたとなれば話は別だ。 「そう落ち込むなよ。ちょっと思いついたことあるからさ」 「……?」  それから東屋さんは、私を雑貨屋に連れて行った。 「あったあった」 「これ……」  東屋さんが指したのは、手のひらに包み込めるほどの小さなぬいぐるみだった。 「ちょっと握ってみ」  サンプル品を握ると、もちもちとした触感で手に吸いついた。 「わ、何これ。おもしろい」 「ストレス発散グッズなんだよ。こういうの握ると癒されるしさ、手の中に握り込んでおけば、爪立てたり、他の指握ったりできないだろ?」 「なるほど……確かに……」  手が空いているから、自分の手と手で何かをしてしまうのだ。ぬいぐるみを握っていれば、それは阻止できるかもしれない。 「いいなこれ。買ってみようかな」 「どれがいい?」 「んー……」  動物を模したそれは、何種類もあった。その中から、私は白い文鳥のものを選んだ。文鳥が手に収まっている写真を可愛いと思っていたからだ。 「これにする」 「わかった、んじゃちょっと待ってて」 「え?」  ぬいぐるみをレジへ持っていく東屋さんに、私は慌てた。 「ちょっと、自分で買うから、このくらい」 「このくらい、俺が出すよ。研究用の経費だと思って」 「経費って」 「ここで自分で買わせるのはさすがに格好悪いだろ」  軽く笑って、東屋さんはさっさと会計を済ませてしまった。 「ほい」  可愛い花柄の袋に入れられたぬいぐるみが、私の手のひらに乗せられる。 「あ……ありがとう」  私はそれを大切に鞄にしまった。 「大事にしろよー。爪立ててぼろぼろにしないようにな」 「し、しないよ!」 「名前つけると愛着湧くらしいぞ。俺の名前使ってもいいぜ?」  その提案に、私は思わず吹き出した。 「何それ。恭一、って? 文鳥に似合わないよ」 「なら自分の名前つけたらどうだ? 桜って。似合うだろ」 「自分の名前呼ぶのは勇気いるでしょ」 「なら俺が呼ぼうかな。桜」  桜。呼び捨てにされたことにどきりとする。  そんなことは微塵も感じさせないように、私は笑って返した。 「勝手に名前つけないでよ」 「でも呼びやすいよな、桜。そうだ、百千のことも桜でいい? ももち、って言いにくいんだよな」 「え……い、いいけど」 「俺も恭一でいいからさ。タメでいいって言ったのに、ずっと東屋さん、って呼ぶから気になってたんだよな。言いにくいだろ、俺の苗字」 「まぁ……。正直」 「だろ?」 「そっちがいいなら、恭一って呼ぼうかな」 「おう」  屈託のない笑顔を可愛いと思って、良くない傾向だと手に力を込めた。  これは育ててはいけない感情だ。早めに埋めてしまわないと。
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