エンドロールはいらない

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エンドロールはいらない

 ナイフを一振り。  このくらいはお手の物。  病弱な妹に代わってよく料理をしていたからか、元々の才能がそうさせてしまったのか……まぁそんなことはどうでもいいけれど、とりあえずターゲット――ヒロトの腹にナイフを刺すことには成功した。  足元でうずくまり呻くヒロトを見やり……はて、私はこれからどうしたらいいのだろう、と今さら思う。 「……よく、ここがわかったね」 「調べたからね」 「俺は、殺される……のかな?」 「そうだね」  殺すつもりで刺したのだから、死んでもらわなければ困る。  時間が進むたびに、ヒロトの血はアスファルトに広がっていった。  申し訳程度の外灯の光が、血をぬらぬらと強調し、なんだか作り物の液体のように感じてしまうのだった。 「これ、本物の血だよね?」  本物じゃなきゃ、刺した意味がないんだけど。  私が言うと、ヒロトは微かに笑ってから、「本物だよ」と弱々しく答えた。 「……俺のこと、憎くて追ってきた? 急に連絡取らなくなったから……。キミの恋人だったのに、幸せにしてあげられなかったから……」  ヒロトは腹を押さえながらそう聞くが、答えに困ったのは私のほうだった。 「あー……」と間を埋める言葉を吐きつつ、「さぁね」と言っただけ。まったく答えになっていない。  もっとクールに格好よく、完璧にやり遂げるつもりで刺したというのにこの有様。  映画のヒロインの台詞をパクってでも格好いいことを言って煙に巻けばよかったというのに、何故だか言葉が出てこなかった。  その様子を見たヒロトが「変わらないね」と微笑んだ。  言っておくが私は、成人女性の身ひとつで、ヒロトという成人男性を殺すつもりでここにいる。  つまり、どうやったら確実に殺せるのか、というところまで調べて刺したわけだ。 「笑ってんじゃねぇよ」  これじゃ私が失敗したみたいだろうが。  うずくまるヒロトの肩に、仁王立ちの私の片足がジャストフィット。  そのまま少し力を入れるだけで、まるでぬいぐるみのように簡単に倒れてしまった。 「私はあなたを殺すの。そのためにいるの」  これも、ヒロトの質問の答えにはなっていない。  ……手に汗をかき始めた。背中にべったりとTシャツが張り付き始めたので、きっと背中も汗をかいているのだろう。  緊張している場合ではないというのに。私の役立たずめ。  ヒロトは片手で刺された腹を庇いながら、ゆっくりと身を起こした。  とはいっても立ち上がれはしないようで、膝立ちの状態になる。 「『オヤカタサマ』……なんでしょ?」  ヒロトは真剣な顔で私を見た。  心まで見透かされているような感覚に陥る。 「いいから、さっさと死んで」  ヒロトの言葉が怖くて、私は声を張り上げた。そのついでにナイフも振り下ろす。  焦ったのはヒロトではなく、私だ。本当に格好悪いったらない。 「もう……プライドが高いんだから、キミは。――それでも俺は、愛してるんだけど」  ヒロトはそう言って――私のナイフを受け入れるように、目を瞑った。    *** 「もう帰っちゃうの? わたし、寂しいな」  日当たりのいい窓際のベッドで妹の声を聞くのは、日課のようなものだった。 「ごめんね。これからバイトなんだ。また明日も来るから」  私はそう言って立ち上がり、バイトの制服の入ったトートバッグを肩にかける。これもまた日課となっている発言だった。 「ほら、あんたはそろそろ検査で呼ばれるんでしょ? 頑張ってね」 「はぁい。まぁ、注射されながら横になってればいいだけの楽な検査なんだけどね~」  そんな軽口をたたきながら、妹の病室を後にする。  妹の命が尽きようとしていることは、主治医から説明されていた。  永遠に再発する病で、適した治療方法は少ない、ということも。ドナーが見つかれば何とか生きながらえるかもしれない、ということも。  昔から妹はすぐに体調を崩したし、長期入院することもザラだった。  だから私と両親は仕事を掛け持ちして働いていたし、大きな買い物もせず、つつましく生活して妹の治療費を捻出することに全力を注いでいた。  同年代の子が持っているものを持っていないという生活は少しだけ虚しいものがあったけれど、妹が生きてくれたらそれでいい。  妹を生かすためなら、どんなに苦しい生活でも苦ではないのだから。  可愛い可愛い、私の妹。  見舞いに行くと、「今日はどんな一日だったの?」と私の一日を聞きたがる。  そうして、学校に行けない分、私から勉強を習いたがった。 「私が医者になったら自分の病気も治せて、人も治せる。一石二鳥だよね~」  妹はいつも夢を語っていた。  頭が良くて、前向きで、素敵な妹。  私なんかよりもずっと「価値」がある。……間違いなく、そう思う。  ある日の見舞い帰りのことだった。  病院近くの路地で、怪しいおばあさんに声を掛けられる。 「あんた、願いを叶えてみないかい?」  姿や話し方、身につけている装飾品で占い師だとわかった。というか、一目でわかるほどのゴリゴリの占い師の格好に思わず笑ってしまったほどだった。  おばあさんは「こっちだよ」と親指をサムズアップのように立て、背後の路地の奥を指す。  怪しい……とは思った。  だが、何故か無視できなくて、バイトに行かなければいけないというのに、何故だかついて行ってしまったのだった。  小さな路地はさらに小さな路地に枝分かれしており、そこを進むと一人分の机が見えた。  その上には占い道具がずらりと並んでおり、私は思わず「胡散臭ッ」と、そこそこ大きな声で言ってしまう。 「どう思うかはあんた次第。逆らったってかまわない。それがあんたの選択なんだから」  いつもの私は、占いの類を信じない。  不確かな未来を、お金をかけてまで見ようとは思えないから。 「無意味なことに金かけんなら貯金しまーす」  一番堅実な答えはこれだ。  お金に余裕のある若い子なら、「ちょっと面白そう」などと言って暇潰しに金を使うのかもしれないが、私にそれは出来なかった。  だが、占い師のおばあさんは私の言葉に無視をして、 「妹さんは今、ドナーが見つかってないけどね、あんたいけるよ!」  と、言った。 「知ってますー」 「その代わりあんた死ぬけどね!」 「だから知ってるって言ってんだろうがババア。人の心ないのかよババア。私がドナーになることを妹が拒んでるんだよババア」 「あんたこそババアと呼ばれた側のことを考えて話しな! そんでアタシのことはオヤカタサマと呼びな!」 「呼んでほしかったら私と妹が健康に生きながらえる方法を占えよ!」  おおよそ、十分程度。  ババ――オヤカタサマとアレコレ喧嘩のようなやり取りをした末に、オヤカタサマはやれやれ、と溜息を吐いた。 「あんたと妹が生きるためには、別のドナーが必要だよ」 「そうだね。占いの力で、はよドナー検索しろ」 「アタシはグーグルじゃないんだよ」 「しれっとGAFA名乗ってんじゃねぇよ。お前はヤフーで充分だろが」 「アタシをならず者扱いすんのかい!?」  オヤカタサマは「こんな狂った小娘に声なんかかけるんじゃなかった」とブツブツ文句を言っていたが、結局―― 「このナイフで、あんたが憎いと思う人を殺しなさい」  とナイフをくれた。  ナイフには呪文と思しき、読めない文字が掘られている。 「殺して……どうすんの? そいつがドナーになるとか?」 「あんたがそう願えばね。憎い人を殺せば、願いが叶う」 「嘘くさ……」  ナイフで刺せば願いが叶うなんて話、聞いたことがない。  私は何度もそう言うが、オヤカタサマは 「騙されたと思ってやってみなさい」  と、無理にナイフを押し付けてくる。  頑なに言い切るので、もしかしたら――本当に占いパワーか何かがあるのかもしれない。憎いやつを刺したら妹に適したドナーとなるのかもしれない……と、思ってしまう自分がいた。  妹にはもう、時間がない。  神頼み、というか。藁にも縋る、というか……。  私の心が弱いだけかもしれないけれど、一縷の望みに賭けるのもいいのではないか、と考えてしまった。  けれど―― 「私、憎い人なんていないんだよね。憎いって感情もよくわかってないっていうか……」 「なら、この方法は使えないねぇ。大人しく臓器提供して死にな」  この野郎。  私はオヤカタサ――ババアに中指を立ててその場を去り、バイト先へ向かうことにした。  ババアのせいで気分を害したので、大好きなガムを口に放り込む。  路地から出ても、病院から離れても考えるのはやはり妹のことだ。今日の見舞いでは元気そうに振舞ってはいたが、顔色がよくなかった。 「私よりも、妹が生きたほうが世の中のため、だよなぁ……」  妹なら、きっと学校も首席で卒業するだろうし、医者にもなるだろうし、バリバリ働いて人を助け続けるだろう。  年頃になったらイケメン医師やら弁護士やらを捕まえて幸せな家庭を作るに違いない。 「――やっぱり、私が臓器提供して死ぬしかないか」  そんなことを思いながら横断歩道を歩き始めたあたりで、視界が少々暗くなった。  ――おそらく、たぶん。油断した。  前から歩いてきた男が、私を刺したのだ。  腹に衝撃が伝わり、そうして、臓器をえぐられる音を体内から聞く。  何度も何度もナイフを振り下ろされる。  視界がぶれる。空が近い。近くを歩いていた人々が悲鳴をあげ、大きな声で何かを叫んでいるのがなんとなく聞こえた。  それで――それから、私は知らないけれど。  目が覚めたら、私は病院のベッドで寝ていて、傍に見知らぬ男が座っていたというわけだ。  「奇跡的な回復!」と医者や看護師に驚かれたのをぼんやりと聞きながら、隣にいるこの男は誰なんだろう、と疑問でいっぱいだったっけ。    *** 「あなたが私を助けなかったら、刺されずに済んだのにね」  まぁその見知らぬ男というのが、このヒロトという男なのだけれど。  というか見知らぬ男だと思っていたのは私だけで、ヒロトは私のことを知っていた。  カフェでアルバイトをしていた私に好意を寄せていたらしいヒロトは、刺されて倒れていた私を偶然見つけ、救急車を呼び、目が覚めるまで「恋人」を装って傍にいた、というわけらしい。 「本当の恋人になってから、随分と私のことを放ったらかしにしてくれたじゃない」  あの事件のあと、私の臓器はドナーとして適さなくなっていた。  ヒロトは気落ちする私に声を掛け続け、いつしか恋人という関係にまでなったけれども、その後ヒロトは、姿を消した。  最後に見たのは、知らない女とホテルに入る後ろ姿で、終わりを悟った私は黙って住所や連絡先を変えた。  けれど―― 「やっと憎い人が出来たと思ったの。私」  妹のドナーになれなかった役に立たない私を生かし続け、消えた。憎いに決まっている。  妹は弱っているがまだ生きている。ならば、やることはひとつだけだ。  オヤカタサマの言うとおりにするだけ。 「あなたがドナーになるの。私の代わりにね」  アスファルトに倒れて動かないヒロトを見て、震える手でスマホを操作する。  視界がぶれる。星空が近い。汗がひどい。  なんだっけ――そうだ、まず、妹の主治医に連絡しなければ。そうすれば主治医が専門の「業者」に連絡してくれて、すぐにヒロトを連れて行ってくれるはずだ。  地獄の沙汰も金次第。  オヤカタサマに出会ってからか、それとも腹を刺されたときからか……私はもう「人」ではない。 「……そうは、ならないんだよな。残念ながら」  ヒロトは倒れたまま、弱々しく言う。 「キミは、オヤカタサマの話を最後まで聞いた?」  空気がしんと鳴る。  やけにヒロトの声が大きく聞こえるので、私は思わず唾をのんだ。  汗でスマホが滑り、アスファルト上に落ちる。足がふらつく。 「ていうか、なんであなたがオヤカタサマのことを知ってるの?」 「オヤカタサマは俺に、キミを助けるための方法を教えてくれたからね」  言っている意味がわからなかった。 「キミは病院に運ばれて緊急手術を受けたけど、意識が戻らなかった。臓器がひどくやられていてね。目を覚ます確率は低いと言われていた。その時に出会ったのが、オヤカタサマだ。……オヤカタサマは言ったね。ナイフで憎い相手を殺せば、願いが叶うって。でも――」  ヒロトは何度も大きく息を吐きながら、よろよろと立ち上がる。 「その後には続きがあってさ……。自分が死んでしまえば、願いは解除されるんだよ」 「つまり……?」 「俺が死ねばキミも死ぬ」  突然、腹に激痛を感じた。  驚いて見やると、腹からぬっとりとした液体が服を汚していた。  体から溢れた血が手まで伝い、指先からぽたぽたと雫を落としている。――手汗、ではなかった。 「俺はね、オヤカタサマに出会ってからか、それとも憎い相手を刺したときからかもうわからないけど。人であることをとっくに辞めてるんだよ」  ヒロトは「俺は二人殺した」と続けた。 「キミを刺して願いを叶えようとした男と、その女をね。そいつらもオヤカタサマからナイフをもらっててさ、借金の取り立てから逃げのびるために殺す相手を探してたんだって」 「……」 「ちなみに、キミを憎んだ理由は『キミの捨てたガムが靴についてのびてしまったから』だって。信じられないよね」 「……二人殺して、あなたは何を願ったの?」 「キミの臓器を、妹さんのドナーとして適さない形で回復すること。それと――キミの妹さんの病気を治すこと」  うそ……と、口から洩れた。  ヒロトは「妹さんのほうは少し遅れちゃったけどね。女のほうが警戒心強くて、ふたりきりで会ってくれなかったんだ」と肩をすくめて言った。  そうして、そのままゆっくりと私の方まで近づき 「愛してるよ」  と、囁いた。  私と妹が健康に生きながらえる方法――私よりもヒロトのほうがずっと考えてくれていたのだ。  私はヒロトの言葉を聞きながら……たぶんそこで、意識を失ったのだと思う。  ヒロトは最後まで私を抱きしめ、そうして、呼吸が聞こえなくなるのを感じた。    *** 「……結局このナイフで得をするのは、『販売元』ってわけですよね?」  病院近くの路地裏にて、わたしはナイフをくるくる回しながらオヤカタサマに聞いた。  夏を控えた気持ちのいい天気だが、日陰に入るとまだ少しだけ寒い。  路地のひんやりした空気がわたしの頭を冷やす。いい感じに思考が整理されたこともあり、冷静に話を進めることが出来た。 「アタシもボランティアでやっているわけじゃない。目的はあるさ」 「まぁ、そうですよね。あなたが病院近くで声を掛けているのにも目的はある。悲しみに打ちひしがれている人をターゲットにするのは、ちょっと悪趣味かな、とは思いますけど。あなたはきっと、そういうのは気にしないタイプだ」  ナイフを空高く放り投げた。  青空に、鋭利な銀色がギラリと反射する。 「憎い人を刺したら願いが叶う、と言うけど……実際は違う。ナイフを介して、命を吸うんだ。吸った命により、あなたの寿命がのびる。……そのお礼に願いを叶えてあげているだけ」  憎い人なら刺しやすい。願いが叶ったことに味をしめた人は、何度も憎い人を見つけ、刺すだろう。  なんてまどろっこしいやりかただろうとは思うけれど、自分の手を汚さず命をのばすための、上手いやり方なのかもしれない。 「そうだね。しかも刺した本人が死んだら願いを叶えた分の力が戻ってくるから、長い目で見りゃ、アタシの力が減ることはない」 「そうやって、今まで生きのびてきた、と……」  オヤカタサマは下品に笑って「だからどうした?」とわたしを見る。  わたしは表情を崩さないようにしつつ、ナイフを投げた空へと視線をやった。 「どうもしませんよ。あなたに出会わなければ、姉は今も生きていたのに、と思っただけです」  そうして、姉の恋人も。  幸せな家庭を築いて、幸せに生きたかもしれない二人を。  この占い師が自身の延命のためにナイフを配らなければ、何もかも平和に終わることが出来たのに。  そう思うと、やるせなさと、憎しみが湧いてくるのだった。 「占い師と名乗っているのは、胡散臭さで見逃されて、生きのびられる確率が高いからですかね?」  オヤカタサマは何も答えなかったが、わたしはそれを肯定だと捉えた。  人の寿命を無視して生きつづければ、それだけ占い師としての説得力が増す。ナイフも配りやすくなる。  まともな人間は胡散臭い占い師を相手にしないだろうから、ナイフを渡したと疑われても、変人ゆえ、逃げやすい。  オヤカタサマに騙されて憎い相手を刺したとしても、怨恨ということで処理されてしまう。  つまり、オヤカタサマは逃げられる。 「わたし、そういう人嫌いなんですよ」  わかっているとは思いますけどね。  わたしがそう続ける前に、投げたナイフが空から戻ってきた。  くるくると光る銀色のそれは一切輝きを失わずに、重力で威力を増し――オヤカタサマの体へと深く刺さった。  倒れるオヤカタサマ。机がバランスを崩したことで、占い道具が路地裏にばら撒かれた。 「命を吸うナイフが持ち主を刺したら……あなたは永遠に痛みに苦しみながら、生き続けることになるはず」  仮説ですけど。死んでもいいんですけど。  苦しそうにこちらに手を伸ばすオヤカタサマを蹴り飛ばし、わたしは彼女に向かって言う。 「オヤカタサマの姿が、透明になりますように」  そう願うと、彼女に刺さったナイフが淡く光った。  段々と透けてゆくオヤカタサマを見つめながら、わたしは深く礼をした。 「姉をそそのかした――わたしの主治医を殺す協力をしてくれて、ありがとうございました」  姉の恋人――ヒロトの願いで私が劇的に回復したときのことだ。  わたしは姉をそそのかした主治医をオヤカタサマのナイフで刺して、自身の永遠の命を願った。 「わたしはこれから医者になって……人の寿命をのばす研究をするの。……幸せに生きるので。さようなら」  オヤカタサマの姿はもう見えなくなっていた。  わたしは路地裏から立ち去りつつ、空を仰いで、病院へ戻った。
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