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 「俺は?」  おっさんは、彬を抱き返すこともしないまま、彬の額に自分の額をくっつけるみたいにして目を覗きこんできた。  「俺なら、帰る地元もないし、仕事継がなきゃならない親もいないし、普通にかわいい女と結婚して子どもとか作る気もないけど。」  なにかの冗談だろうと思った。真面目な顔をしてそんなこと言ってみても、ただの遊び半分。そういう男だと思っていた。なのに、目の前にあるおっさんの両目は真剣そのもので、瞬きもしない。  彬は、その目に気圧された。これまで何度だって肌を重ねた相手の声を、そのときはじめて聞いた気がした。  「……それでも。それでも、女抱けるひとは、女と結婚して幸せになったほうがいい。」  「祈ってくれんの? 俺の幸せなんて。」  「……まあ。」  ずっと、思っていたことだった。女には、勝てない。彬は男で、男同士では結婚も子供も望めない。好きとか嫌いとか、そんな感情論の前に、女には勝てないのだ。  俯いて、瞬きをし、涙の気配を静めた。泣くなんて、馬鹿だ。ずっと前から、上京なんてする前、自分の世界には健吾しかいないと自覚したときから、いつかこんな日がくることは分かっていたんだから。  男の人と、ホテルから出てくるとこ、見た。  一時間前、健吾ははっきりとそう言った。本気なの? と。  彬は、本気だよ、と頷いた。いつかこんな日がきたら、そうしようと決めていた。失うときはせめて潔くと。そうすると、健吾も言ったのだ。セックスして、なにが残るの、と。なにも残せない、彬に。そして、健吾は泣いた。なにも残せねぇよ、と吐き出した彬相手に。  こらえきれずに零した涙の雫を、おっさんが唇ですくった。気障なことをする、と笑ってやりたいのに、表情筋が言うことを聞かない。  「お前は、俺のことなんかどうでもいいんだろ? 俺の幸せなんて祈らなくていいから。だから、相方やめて、俺にしとけ。」  静かな声だった。静かで、なおさら本気を際立たせるみたいな。  彬は驚いて、佐原から身体を離した。するとおっさんは、低く笑った。彬の反応が、おかしくて仕方がないみたいに。  「今すぐ決めなくてもいいよ。帰れないなら、ここにいればいい。俺はソファで寝るから。」  手に持ったままだったビールをごくごくと飲み干し、おっさんは軽く伸びをするみたいに立ちあがった。そして、煙草に火をつける。その横顔は、やっぱり真面目そのものだった。彬はそのことに戸惑う。おっさんは、誰も心の中に入れないタイプの人間なのだと思っていた。だから、セックスしても、好意があるようなそぶりを見せるおっさんを適当にあしらっても、罪悪感なんてなかった。でも、今のおっさんはいつもと違う。傷つけたら血が出る、ただの人間みたいだ。
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