あの子を忘れない

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今から約15年ほど前。 私がS県の学習塾に勤務していた頃。 私は、中学受験を目指すクラスを教えていたのだが、そこに美咲(みさき)という女子がいた。 彼女は優秀で、両親ともに警察官のご家庭だった。 彼女もそうなることを周囲から嘱望(しょくぼう)されていた美咲。 しかし、模試で悪い判定を取ってしまってから――周囲の彼女への態度は一変する。 例えば、私が勤務していた塾では午前中から勉強に来ている生徒にはお弁当の持参か、お小遣いの持参(お弁当を買う用)をお願いしているのだが――美咲の母親はその両方を拒否したのだ。 空腹のまま勉強し続ける美咲を見かね、毎日、自分のお昼を彼女に分けていた私。 私が差し出したおにぎりを、いつも美咲は涙を流しながら、噛み締める様に食べていた。 ときには、彼女の気を紛らわせる為、(本来は禁止であるが)一緒に音楽を聞きながらおにぎりを食べたこともある。 教室長には内緒でロッカーからウォークマンを持ち出して。 1つのイヤフォンを2人で右と左で分け合いながら。 彼女が好きな歌は、竹内まりやの『リフレインが叫んでる』。 ウォークマンでその歌を聞きながら――サビの部分になると一緒に声を重ねて歌ったりしたこともあった。 だが、それ程までに辛く大変な思いをして――頑張って学習していた美咲なのだが……結局彼女は第1志望に落ちてしまう。 そんな彼女を待っていたのは、母親からの凄惨な虐待だった。 食事を殆ど抜かれるのは当然の事、不合格になった人間には必要ないと塾も退塾させられる。 しかし、私にどうにか出来る事は無く――。 時間は経過し……今から約13年前。 変わらず塾で働いていた私は、東日本大震災に巻き込まれる。 電車も勿論動いていない上、真っ暗闇の中を、ひたすら歩いて自宅に帰る事になる私。 と、そこに1台のパトカーが通りかかる。 「どうされたんですか?」 パトカーの窓を開け、若い婦警が私に声をかけて来た。 彼女に事情を話す私。 彼女は私の話を聞くと、こう提案して来た。 「今はあんな地震があった後で大変危険です。良かったら、お送りしますよ」 彼女の提案は、私にとっては願っても無い事だった。 私は二つ返事でお願いすると、彼女の運転するパトカーに乗り込む。 そうして、私を乗せたパトカーは出発した。 パトカーの中では、ラジオの様なものがかかっており、丁度竹内まりやの『リフレインが叫んでる』が流れ始めたところだったのをよく覚えている。 懐かしい歌を聞きながら――何故か妙に気が合った私と婦警は、車内で沢山の話をした。 それから、どれ程の時が経っただろう。 気付くと、パトカーは私の自宅前に到着していた。 パトカーから降りて婦警にお礼を伝える私。 彼女はドアを閉めながら、柔らかく微笑んだ。 「私こそありがとう、先生。あのおにぎりの味、ずっと忘れたことないよ」 そう告げる婦警。 その笑顔には、忘れもしない美咲の面影があって――。 私は思わず声をかけようとするも、パトカーは発車してしまう。 後日、地震の騒ぎが落ち着いてから……私は教室長に、婦警になり、夢を叶えた美咲と出逢えた事について報告する。 と、彼から返って来たのは思いもよらない言葉だった。 「ショックを受けるから言わなかったけど、美咲さんね、あの後すぐ……親の虐待で死んでるんだよ」 死因は、餓死だったそうだ。 ――あれは、彼女の事がずっと引っ掛かり、後悔をし続けていた私を心配して、美咲が逢いに来てくれたのだろうか。
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