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 翌朝の目覚めは最悪だった。  昨日理事長室を出た後僕は、まっすぐ自室に戻った。自室に戻るまで、僕の足元はフラフラとおぼつかなく、頭はぼんやりとしてしまい何も考えられなかった。自分の前に立ちはだかる壁の中で、まさかこんなにも最悪な壁があるなんて想像もしていなかった。僕は自分の運命に抗えず、本当にこのまま数年で自分の人生を終わらせてしまうのだろうか。  嫌だ……そんなの絶対に嫌だ……。   僕は急に目の前の現実に恐怖を覚え、首を左右に振りながら部屋のドアを開けると、そのまま自分のベッドに勢いよく突っ伏した。  僕の部屋に交互に泊まることは、別荘から戻ってきてすぐ、三人でまた始めることにした。今日の僕のルームメイトはヴァレリオで、ヴァレリオは明らかに様子のおかしい僕にすぐに気づいた。 「摩央……何があった?」  ソファーで読書をしていたヴァレリオは、僕のベッドの端っこに移動し腰かけると、僕の背中を労わるように摩った。  僕は枕に顔を埋めたまま何も言い返せなかった。喉が詰まってしまったように言葉が出てこない。  僕はしばらくその体勢のままじっとしていた。でも、これは僕だけの問題じゃないということにすぐに気づくと、僕は呼吸を整えながら、ゆっくりと体を起こした。  僕は今から、ヴァレリオに話さなければならない情報を頭で整理した。あの数々のヴァレリオの意味深な言葉を、僕は今はっきりと思い出すことができる。やはりヴァレリオは、日本で急激に自分の感情が成長したことで、アルキロス星の管理社会に違和感持ち始めてしまったのだろう。 「ヴァレリオ……SPたちは今何処にいる?」  僕はこの会話をスパイに聞かれないか不安でそう問いかけた。 「何故そんなことを聞く? あいつらは三人で自室にいるはずだ」  ヴァレリオは怪訝な顔をすると、そう即答した。 「そうか……」  僕はまた喉を塞がれたように声が出なくなってしまうが、自分に喝を入れるように、腹にぐっと力を込めた。 「あのね……僕が今から言うことに驚かないで聞いてね。単刀直入に言うね。SPの一人が、アルキロス星の王様のスパイで、ヴァレリオが、アルキロス星に日本の娯楽を持ち帰ろうとしていることが、バレてる……」  ヴァレリオは瞳を僅かに泳がすと、顎に手を当てながら虚空を見つめた。 「でね、ヴァレリオは近々アルキロス星に送還されて、二度とおかしな真似をしないよう幽閉されて、一生自由を奪われてしまうんだ!」  僕は思わず感情的になってしまい、叫ぶようにそう言った。一生自由を奪われてしまうなんて絶対にダメだ。アルキロス星人としての尊厳を奪われるなんてあってはならない。それに、そんなことになったら、僕はもう二度とヴァレリオに会えないではないか。やっと心を通わせることができたのに。僕だって感情が豊かな方ではないが、それ以上に感情の乏しいヴァレリオが、日本人の僕を好きになってくれた奇跡を無かったことになどしたくない……。 「……話はそれだけか?」 「え?」   僕は意外と冷静なヴァレリオに驚きながらそう聞き返した。 「他にもっと大切な話はないのか?」  僕は自分の難病のことをヴァレリオに気づかれているのではないかと思い、心臓がバクバクと動き始めた。 「スパイがいることは薄々気づいていた。だからある程度こうなることは予測していたから、それほど驚いてはいない……それよりも俺は摩央の体が心配だ。今まで父親と会っていたのだろう? 健康診断の結果はどうだった? それを今すぐ俺に教えろ」  ヴァレリオは僕の両肩を掴むと、強い目力で僕に圧をかけてくる。 「そ、それは……」   僕は何と言っていいか分からず、思わず口ごもる。 「言わないと、テレキネシスで無理やりしゃべらせるぞ?」  ヴァレリオは、あの僕をおかしくさせる周波数の声を、僅かに抑えた感じでそう言った。それでもその声は、僕の顔が歪んでしまうほどの苦痛を与える。 「わ、分かったからやめて……お願い」  僕は両手で耳を塞ぎながらそう言った。  「……ヴァレリオたちの今回の留学の目的って、アルキロス星にある資源を日本に輸出しても大丈夫かを調査することだよね? でも、ヴァレリオのお父さんは、ヴァレリオに良からぬ影響を与える日本とは、金輪際関わらないって決めたらしい……でも、アルキロス星にあるその資源って、どんな病気でも治せる鉱物みたいで……だから、僕のこの不治の病にも効くらしい……」  自分が不治の病という言葉を口にする日が来るなんて。そんな現実が本当に信じられない。僕のこの病気が本当に不治の病かどうかは、はっきりとした確信はない。でも、父親の話を聞くと、僕の症状は母親と似ていて、このまま行ったら、僕も母親と同じ運命を辿る確率はかなり高いということになる。 「はっ、何を言っている? 不治の病? そんなことが日本では起こりえるのか?」  ヴァレリオは信じられないというようなジェスチャーをすると、僕の顔をまじまじと見つめた。でも、その目には困惑を色濃く宿しているのが分かる。 「そうだよ。日本の医療はとても遅れてる……僕はこのまま自分の病気を治すことができず、あと数年で死ぬんだ……」  ヴァレリオは凍り付いたように静かになり、何か強い念のようなものを体の中で作り上げているような雰囲気を漂わせている。それは、触ると感電しそうな危険さを感じ、僕は思わず、ヴァレリオからそっと体を引いた。 「ああ、そういうことか……なるほどな。それは駄目だ。絶対にだめだ……」  ヴァレリオは地の底から響くような声でそう言うと、僕の両肩をまた痛いくらい掴んだ。本当に痛くて、僕は眉間にしわを寄せながらヴァレリオを見上げた。 「……ヴァレリオ、僕のことはどうなっても構わない。でも、僕はヴァレリオが一生自由を奪われてしまうのは嫌だ。それだけは本当に嫌だ。だからヴァレリオはもうバカなことは考えるな。お父さんにちゃんと謝って許してもらうんだ。そしてもう二度とこんなことはしないと、しっかりと誓うんだ……」  ヴァレリオは僕の言葉を最後まで聞かず、いきなり僕を強く抱きしめた。僕の後頭部と背中に回された手は、驚くほど熱い。 「摩央は殴ってやりたいくらい本当に愚かだ。何故簡単に諦める? 自分の命を救える手だてがあるというのに? 我が星の資源を使えば良いだけのことだろう? だったらその資源を手に入れれば良いだけのことだ。こんな簡単なことはない」  ヴァレリオは僕の耳元でそう語るが、僕にはそれが簡単なこととはどうしても思えない。 「どうやって手に入れるの? ヴァレリオはもうすぐアルキロス星に強制送還されちゃうんだよ? そしてすぐ幽閉されてしまうのに。どうやっても無理だろう? だから今すぐにお父さんに謝るんだよ。今ならまだ間に合うかもしれない。お願いだ。すぐにそうしてくれ。でないと僕は本当に辛くて堪らない。君が好きだから言ってるんだよ。分かってよ。ヴァレリオ」  ヴァレリオは僕の耳元に深い溜息を落とすと、ただ一言「嫌だ」と言った。僕はその言葉を聞いて、ヴァレリオの体を、力を入れて引き剥がした。 「嫌だじゃないって! もう、この分からず屋のバカ宇宙人!」  僕は涙が溢れそうになるのを堪えながら、ヴァレリオの肩を何度も拳で叩いた。本当に悔しくて。これからもっと三人でたくさんの思い出を作ろうとしていたことが叶わない絶望に、心が打ちひしがれていく。 「嫌だ。俺は絶対に父に許しを請うことはしない。あの星はおかしい。それに、ここ日本で生まれた感情を、俺は絶対になかったことにはしない。そしてもちろん摩央を救うことも絶対に諦めない。俺に不可能はない」  ヴァレリオは僕の手首を掴むと、僕の手を、愛おしむように自分の頬に添えた。 「ヴァレリオ……でも、方法がないじゃないか」  僕は目尻に自分の涙を感じながら、ヴァレリオの頬を優しく撫でた。 「方法ならある!」   ヴァレリオは何かを決心するように、そう強く叫んだ。 「その方法って何? 教えて!」  僕は思わずヴァレリオの頬を両手でぎゅっと挟むと、自分の方へ顔を向けさせた。 「今は言えない。ただ、俺は何を言われようともそれを実行する」 「え? でもそれはヴァレリオにとって良くないことじゃないよね?」  僕は急に不安になり、ヴァレリオの顔を左右に揺さぶった。 「大丈夫だ。俺を信じろ。摩央」  ヴァレリオはいきなり僕をベッドへ押し倒すと、僕にキスを落とした。 「ふんんっ、ヴァレリオっ! やっめ」  僕の力では全く抵抗できず、僕はされるがままキスを浴びせられる。ただ、このキスには、ヴァレリオが僕とのキスを最後だと思っているような切なさを感じてしまう。でもそれは、僕の完全なる思い込みであり気のせいだと思いたい。 「一晩中キスしていたい……」  ただ、そう呟くヴァレリオの目に悲しみが揺れているように見えるのは、きっと僕の思い違いだと、僕はその時そう強く思えなかった。  翌朝目を覚ますと、僕は昨日のことを思い出し、どうしようもない不安と絶望に襲われた。これは自分史上最悪な目覚めで、これほど現実から目を背きたいと思ったのは、これが生まれて初めてだった。
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