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 今日は午後から授業がなく、やっと映画を撮影できる機会を得られた。撮影用のカメラを持って部屋から出る前に、僕は自分の姿をしみじみと鏡で見つめた。  最悪だ……。  ネット動画を見ながらやってみた、女装姿の僕がそこにいる。衣装やメイク道具は、姉がいる照が用意をしてくれた。難しながらも厚化粧はせずナチュラルメイクを施してみたが、これで大丈夫だろうか? メイクなど当たり前だが人生で一度もしたことがない。というかする必要などなかったのに。僕は鏡に映る自分を凝視しながら、どんな顔で撮影現場に向かえば良いのか分からず、深いため息を漏らした。   今の僕の心の中は、逃げたい気持ちと、逃げずに頑張りたい気持ちが必死に戦っている。僕はドアノブに手をかけると、少しだけ勝った後者の気持ちがゆっくりとドアを開けた。  現場に向かう途中、僕は何度も学生に二度見をされた。これは、何故女子が大学内にいるのかと驚いている反応だろうか? だとしたら僕のこの女装は案外成功しているのかもしれない? いや、それとも女装した変質者が現れたと思ってびびっているだけか……。   まあ正直どっちでもいい。この大学に男しかいないということ自体が元々おかしいのだから。  でも、僕が工藤摩央だということは知られていないと思う。僕は照とは違い目立たない学生だから。学長の息子だということは照以外には内緒にしているし。僕は下を向きながら、視線をかき分けて撮影現場に向かった。  大学の敷地内にある中庭に向かうと、数名の僕の映画のキャストがいた。そこにはもちろん照もヴァレリオもいる。僕は竦みそうになる足に活を入れながら、皆に近づいた。 「お、おまたせ」   僕は声を少し震わせながらそう言った。 「あー、摩央遅かったじゃ……」  そう元気よく言いながら振り返った照が、氷のように一瞬で固まるのが分かった。 「あ、え、あっ……摩央?」 「そうだよ……何? やっぱ変? 無理がある?」  僕は照の反応に傷つき、照の目を縋るように見つめてそう言った。 「い、いや……違くて、その……何ていうか、まさかここまでとは、思わなくて……どうしよ、やっば……」  照は顔を赤らめると、僕から目を逸らそうとする。 「や、やばいの? そうか……やっぱりやめよう。こんなこと初めから無理だったんだよ」  僕は急に恥ずかしさに襲われてしまい、ロングヘアーのかつらのてっぺんをむんずと掴んで外そうとしたが、誰かの手によってそれが阻止された。 「やめろ……そのままでいい」  僕は声の主の方に素早く顔を向けた。そこにはいつもの無表情なヴァレリオがいて、僕は彼に手首を掴まれている。 「何も問題ない」  ヴァレリオは僕の手首を掴んだまま、僕をまっすぐ見つめそう言った。 「そう、なのか? 本当に? 僕、おかしくないか?」  僕は恐る恐る周りを見渡しながらそう言った。 「あ、ああ。おかしくない。いや、ただ正直想像以上で驚いちゃって……な、なあ、みんなそうだろう?」  照は慌てたようにそう言うと、周りのキャストに同意を求めた。半分が照の友人たちで占められているキャストたちが、僕を見ながら、口々に驚きの声を上げている。  僕はまだ自分の女装に半信半疑だったが、周りの反応はそれほど悪くないようで安堵した。僕が全然だめだったら、この映画は完全アウトになってしまうから。 「さ、さてと、今日は僕とヴァレリオが初めて出会うシーンから始めよう」   僕はもう半ばやけくそ気味に声を張り上げてそう言うと、キャストたちが慣れたように「オッケー」と叫んだ。  僕が書いたショートムービーの脚本はこうだ。ある青年が大学で一人の女性に出会う。偶然にも彼女は、青年と同じ天文学のサークルの一員だった。彼女はどこか儚げな神秘的な子で、青年は彼女に強く惹かれていく。  ある時、誰もいないサークルの部室で、彼女が誰かと口論をしていることに気づく。こっそり様子を伺うと、相手はこの大学の教授だった。その教授は彼女の言葉にかっとなり、彼女を壁際まで追い詰める。青年は尋常じゃない二人の様子に居ても立っても居られず、教授である男に掴みかかる。教授は慌てたようにその場から去っていく。  ことの事情を彼女に尋ねると、彼女の姉があの大学教授と不倫をしていて、別れたいのに別れさせてくれないとのこと。それを心配した妹である彼女が、その男に「姉と別れてくれ」と直談判したが、聞き入れてもらえず逆ギレされたということらしい。青年は親身になって話を聞き、彼女の姉の助けになりたいと思うようになる。どうやって別れさせるかを相談しているうちに、二人の距離は急速に縮まり、やがて青年と彼女は付き合うようになる。  月日が経ち、青年は彼女から、姉が無事教授と別れることができたと聞き安堵する。どうやって別れられたの? と尋ねる青年。彼女は言う。職場に話すと脅しただけ。とそっけなかった。  青年は彼女の態度に、本当に姉がいるのかと気になり始める。今度お姉さんに会いたいとそれとなく言っても、上手くかわされてしまう。  ある日の大学の帰り、教授の車の助手席に乗る彼女を見かける。青年は、やはり姉ではなく、教授と不倫をしていたのは彼女ではないかと疑い始める。  次の日青年と彼女は、海までドライブをする。浜辺を二人で歩きながら、青年は彼女に、昨日見た事実を告げると、彼女に感じている不安な思いをぶつける。  彼女は言う。姉は確かにいた。でも今はもういない。死んだからと。それは自分のせい。 姉が不倫をしていることを、自分が激しく責めてしまったから。自分は姉と教授を別れさせようと策略した。そしてそれは成功したが、姉はそれで心を病んだ。そして自殺した。  青年がここで見た彼女と教授とのやり取りは、『君が姉を殺した』と、彼女が教授に詰め寄られていた時だった。 『なぜ僕に嘘をついた?』と尋ねる青年に彼女は言う。『咄嗟についてしまった。正直に言えなかった。私はずるい。あなたと近づけるチャンスを逃したくないために、姉を死に追いやった自分を隠そうとした。出会った時から、あなたを好きになってしまったから』  彼女の言葉に涙を流す青年。『じゃあ、昨日は彼と何をしていたの?』そう尋ねる青年に彼女は言う。  昨日は姉の命日で、二人でお墓参りに行った。  彼女は青年と付き合い始めてすぐ、教授に心からの謝罪をした。教授から姉を奪ってしまったことを。でも、あの頃の自分は、彼と姉が彼の奥さんを傷つけたことが許せなかった。自分の行いは正しいと信じて二人を別れさせた。でも、今なら自分は、二人の気持ちが痛いほど分かる。自分にも心から愛せる人ができたから。 教授は彼女を許した。自分も愚かだったと認めながら。でも、姉のことは本当に愛していたとそう言った。  彼女は青年を見つめる。こんな自分を嫌いになっても構わない。自分はもう、誰も愛さず生きていくと青年に告げる。  青年は彼女を強く、強く抱きしめる。青年は、彼女を変わらず愛していると告げる。彼女の心の傷も含めて、彼女が自分を許せるよう、自分が永遠に彼女を愛すると誓う。  彼女は青年を抱きしめ返すと、静かに涙を流した……。  という、とんでもなく暗いストーリーになってしまった。どうしてだろう? 僕自身がネガティブで真面目な人間だからだろうか。照に初めてこの脚本を読ませた時の照の反応を僕は今でも忘れない。開口一番『暗い……』だった。でも、そのあとすぐに『嫌いじゃない』と言ってくれた。嬉しかった。自分が作ったものを認めてもらえることの喜びを、僕は照によって教えられた。だから僕は照が大切だ。この映画をもっともっと照に認めてもらえるよう頑張りたいと思っている。もちろんそんなこと、本人には恥ずかしくて言えないが。  僕はその気持ちを込めながら、演技の準備を始める照を見つめた。照は僕の視線に気づくと、僕をじっと見つめ返した。『頑張れ』と気を送られているような気がして、僕の胸はやる気で熱くなった。  本当は青年の役は照がやるはずだったが、何がどうしてこうなったのか、ヴァレリオに変わってしまった。だから照は、今回は教授役に回ってもらった。多分照なら、どんな役でもそつなく熟せるはずだ。監督としての僕の目がどの程度当てになるか自信はないが、照は絶対に役者に向いている。もし、僕が映画監督になれたら、僕は照を主役に映画を何本か撮りたいと思う。それが僕の人気シリーズにでもなったら夢のようだと思う。  僕はふと気になってヴァレリオを見た。ヴァレリオは今日も嫌味なくらい魅力的なオーラを振りまいている。本当は僕のイメージする青年には似ても似つかないキャラだが、もう今更ヴァレリオのイメージに合わせて脚本を変えることはできない。僕の作ったキャラクターに、彼の方から寄せてもらうしかない。でも、演技未経験の感情の乏しい宇宙人にいきなりそんな高度なことができるわけがない。だからせめて、見た目だけでも青年に近づかせるよう努力してみた。  本人の了承を得て、エメラルドのメッシュの入った髪を黒く染め、肩までの髪をカットし、今風の無造作パーマヘアにしてもらったが、ヴァレリオの浮世離れした雰囲気はそう簡単には消せなかった。さらに、顔にある刺青のような痣と、先の尖った耳は、流石にCGで誤魔化すしかない。  ただ、それでどこまで僕のイメージする青年に寄せられるか……僕は重い不安を抱えながらヴァレリオに近づいた。 「ヴァレリオ、今から青年と彼女が初めて出会うシーンを撮るよ。青年はそこで彼女に一目惚れをするんだ。大丈夫? 青年の気持ち理解できるか?」  僕は真剣にヴァレリオに尋ねた。僕は監督と役者を両立しなければならない。自分も青年を好きになる演技をしなければならないのだ。しかも、ヴァレリオという男相手に。 「奇麗だな……」   ヴァレリオは僕を見下ろすと、そっと僕の頬に手を添えた。 「え?……」 「今、摩央を見て、初めてに近い感情が芽生えた……これは何だ?」  僕はヴァレリオに真っ直ぐ見つめられ、頭が一瞬真っ白になった。その後にドキドキと心臓が激しく鼓動し始める。  もしやこの間みたいにテレキネシス使っているのかと僕は訝しんだ。でも、こんな人目の多い場所ではさすがのヴァレリオも使わないだろう。じゃあ、男に奇麗だと言われて僕は女の子みたいに喜んでいるのか?  僕はパニックなる頭を沈ませようと、ヴァレリオから一歩後退さった。その時、慣れないヒールの高い靴を履いた僕は、見事にバランスを崩し、後ろに倒れそうになる。 「うわっ!」  次の瞬間、僕はヴァレリオに手を引っぱられ、気が付くと厚い胸元に抱き留められていた。 「危なかったな」  ヴァレリオはそう言うと、僕を心配そうに見つめた。その声はあの声だ。脳内に響き渡る低音ボイス。このタイミングで何故その声を今使う? その声は嫌いだ。頭の中をかき乱される。  僕の鼓動は、収まるどころかどんどん加速していく。恐ろしいことに、この男の声や体に直に触れてしまうと、催眠効果でもあるみたいに何故か強く抗うことができない。僕はまるで、蛇に睨まれたウサギのようにフリーズしてしまっている。  僕は理性を奮い立たせ、ヴァレリオから離れようとするが、何故かヴァレリオは僕の腰をしっかりとホールドしている。 「離せ……もう大丈夫だからっ」  僕は、急に恐怖心を覚え、この状況から早く逃げなければと必死にもがいた。  その時、誰かに背後から強く肩を掴まれると、僕はヴァレリオから勢いよく引き剥がされた。 「えっ!」  僕は慌てて後ろを振り返ると、そこには照がいた。 「油断ならないな……この変態宇宙人。撮影まだ始まってないぞ?」  照はそう言うと、背後から僕をこれ見よがしに抱きしめた。 「摩央のために、映画の撮影が終わるまでは我慢してやる。でもそれ以外で摩央に触れたら、俺が絶対許さない……」  何、この展開?! 僕は男だぞ? みんな頭おかしくなってないか?  この普通じゃない状況に、僕は何だかとても嫌な予感に包まれる。でもそれは、自分のくだらない勘違いだとすぐさま思いを切り替えた。
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