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 大学の、傾斜のある講義室の前の方に座っていた青年が、何気なく後ろを振り返ると、彼女がいた。青年の目には、彼女の周りだけが明るく輝いているように見えた。  新入学の季節。今の日本は温暖化のせいで、桜はもう三月中に散ってしまうのが定番だから、小道具を使って新学期を表現するのが難しい。それでもこの時期特有の雰囲気を表現しなければならない。新学期に対する、期待と不安の入り混じったあの独特の空気が僕は好きだったりするから。  僕が演技をする間は、照の友人にカメラの撮影を任せている。広範囲に撮りたい時は、カメラを内蔵したドローンを使って撮影したりもする。その操作は、たまに照だったり、照の友達だったりして、この大学にはそんなことが得意な人間ばかりだから非常に助かる。  ついに本番を迎えた。初めての演技でも僕はそれほど緊張しないと思っていたが、いざ合図を出されカメラを向けられると、恥ずかしさみたいな気持ちが生まれてくる。でも、それはしょうがない。僕は男なのに女性を演じようとしているのだから。何気に僕は、自分のためだったら何でもできてしまう奴なのかもしれない。そんな自分の強欲さに呆れるが、今はそんなこと気にしてはいられない。  それに、この映画の良し悪しには、僕の演技がかかっている。僕が魅力のない「彼女」を演じてしまったら、この映画事態の魅力も無くなってしまう。  僕は大きく深呼吸をすると、自分の中に、僕が作り出した彼女を憑依させようと集中する。 『スタート!』という大きな声を合図に、僕は自分の演技を始めた。二人が初めて出会い、お互いに特別な印象を与え合うシーン。僕は、僕を見つめるヴァレリオの視線に気づく……。  え……。  僕は思わず息をのんだ。僕とヴァレリオとの距離は十メートルあるかないかだ。ヴァレリオと目が合った瞬間、その物理的な距離を飛び越え、心と心がぐっと縮まるような強い引力を感じる。ヴァレリオの目には、僕を特別なものとして捉えているのが分かる。『やっと見つけた』みたいな、やや執着を伴うような少し危険な目だ。  そうだ……その目がいい……。   僕はヴァレリオの瞳にゾクゾクと身振してしまい、自分の演技を忘れそうになる。彼女は青年の視線に気づき、不思議そうなにしなければならない。この時点ではまだ、青年の方が、彼女を見つけた時の衝撃が強いからだ。 『カット!』というカメラマンの言葉に我に返り、僕は慌てて今のシーンをモニターで確認してみる。  そこに映る映像を、僕は監督の立場で確認すると、やはり、ヴァレリオの演技の方がとても自然だ。むしろ、僕の方が不自然で違和感がある。  不思議だ。アルキロス星人は感情が乏しいはずなのに、一発目でどうしてあんな瞳の表現ができるのだろう。やはりアルキロス星人の優秀な頭脳や資質を持ってすれば、初めて行う演技というものでも、まるでAIロボットのようにそつなく熟せてしまえるのだろうか……。 「ごめん……自分の演技が気に入らない。もう一回取り直しても良い?」  僕はモニターを見ながらキャストにそう言うと、皆良いと応えてくれた。僕はヴァレリオに近づくと、そっと肩に手を置いた。 「演技良かった……ヴァレリオの瞳に危うく引き込まれそうになったよ……ヴァレリオは青年の感情が理解できたの?」  僕はそう言うと、ヴァレリオを興味深く見つめた。 「青年?……ああ、俺は青年の気持ちは良く解らない。ただ、摩央を見ていただけだ。それが自然と演技に繋がったのだろう」 「え?……僕? どういうこと?」 「摩央を見ていると湧いてくる感情だ。さっきも、今も感じている……この感情が俺にはまだ良く分からないが……多分ワクワクするという言葉が近い」 「へー、ワクワク……」 「そうだ。アルキロス星ではそれと同じ意味の言葉はない。でも、翻訳機が俺の気持ちを読み取りそう訳した。ワクワクすると……」  僕はそう淡々と話すヴァレリオを、口を開けたまま見つめる。『こいつは一体何をいっているんだ?』と思いながら。  取り敢えず今聞いた話は忘れよう。どんな形でも、良い演技をしてもらえることはとても有難いことなのだから。僕はそう自分に言い聞かせると、顔を引きつらせたまま『その調子でよろしく』とヴァレリオに伝えた。 「じゃあ、もう一回カメラ回して!」  僕はそう大きな声で言うと、自分の定位置に戻る。 「よーい、スタート!」  カメラマンの声で、僕はまた自分に彼女を憑依させることに集中する。ヴァレリオは青年であってヴァレリオではない。僕は青年からの視線に気づき、驚きながらも青年に対し特別な感情を抱く演技をするだけ。  僕はヴァレリオの視線に負けないように自分の演技をしようと心に決める。確かにヴァレリオ……否、青年はとても魅力的だ。そんな男に熱い視線を投げかけられたら、彼女はどんな気持ちになる? 僕は彼女になりきってその気持ちを表現することに集中する。  ヴァレリオと目が合った瞬間、またさっきと同じように、僕はヴァレリオの瞳に強く吸い寄せられそうになる。でも、それに負けないように僕は、彼女になりきり、彼女のまだ恋を知らない乾いた心に、恋のような潤いがじわじわと忍び込んで来るような驚きと困惑を表現してみせる。 「カット!」  カメラマンの掛け声で、僕の意識が自分に戻るのが分かった。役者から監督に切り替わった僕はまたすぐモニターに駆け寄ると、今撮ったシーンを確認する。 「うん。悪くない……」  僕は自分たちの演技に納得すると、次のシーンを撮る準備を進めるため、絵コンテを手に取った。 「次は、天文学のサークルで偶然彼女を発見し、青年が彼女に声をかけるシーンを撮ろう」  僕はそう大きな声でキャストに声をかけた。 「摩央……」  その時、照が僕に声をかけてきた。 「ん? どうしたの?」  照は神妙な顔をして僕を見ている。もしや、さっきのヴァレリオとのやり取りを、『冗談だ』と笑いとばしてくれるつもりだろうか。『女装した摩央を見たら、つい、俺に演技のスイッチ入っちゃったんだよ』とか。多分そんなところだろうと僕は予想する。 「……今晩お前とヴァレリオを一緒にしたくない。否、今晩だけじゃ駄目だ……取り敢えず映画の撮影が終わるまで、俺の部屋で寝てくれ……」  おーい、ちょっと待て!  僕は照の予想外の言葉に驚き、目をこれでもかと丸くした。 「い、いや、照? 大丈夫か? 確かに僕は今女装してるけど、ヴァレリオと僕は男同士だぞ? まさか忘れてないよな?」  僕は、照が何を考えているのか分からなくて、不安と驚きで声が震えた。 「バカか、お前が男なのは百も承知だよ……とにかく駄目なんだよ。心配なんだ。あの宇宙人は絶対危険だ」  確かに、さっきヴァレリオに抱きかかえられた時は、僕も少しおかしな状態になり焦ったが、あれは僕たちが共演するうえで、慣れておくためには丁度良いスキンシップだったと思う。ヴァレリオクラスの男前に抱きかかえられたら、僕だって少しはドキッとするだろうレベルの話だろうに。 「照ー、何がどんな風に危険なんだよー、おーい、目を覚ませー」  僕は、照の顔の前でゆらゆらと手を振る仕草をして見せる。 「やめろ……摩央。からかうな。俺は真剣だ……摩央……よく聞けよ。俺の言う通りにしないとな、俺は今回の撮影から降りるぞ。それでもいいのか?」 「え……」  僕は照の言葉に、心臓を鷲掴みにされたくらいのショックを受けた。 「そ、それは嫌だ……」 「ふっ、だろう? 摩央は俺がいないとダメだからな……」  照はそう嬉しそうに言うと、僕の頭を優しく撫でた。 「部屋の鍵は開けとくから、いつで来い。ヴァレリオには、摩央から当たり障りのない理由を考えて伝えておいてくれ……」  照は僕をじっと見つめると、上機嫌に踵を返した。
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