一生忘れないわ

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初夏の風が水面を揺らす、新月の海。 私を照らす物は、あなたとライブに行った時に一緒に買った、お揃いのペンライト。あなたから貰ったネックレスは今も胸元で、金色を微かに照り返している。これからもずっと光り続けるでしょう……。 遅かれ早かれ私は死ぬの。「人は必ず死ぬ」なんてありふれた言葉が言いたいわけじゃないのよ。あなたに殺されるが先か、自分で殺すのが先か、って話。いつから私たちの間から愛が無くなっていったの? まぁ、もともとそんなもの無かったのかも。でもあなたは「愛」を知っているわ。だって奥さんと子供に、「それ」を与えているのだから。 離婚してくれないとあなたとの関係を奥さんに全部ばらす、って言った時のあなたの顔、今でも思い出せるの。それまで一度も見たことの無い顔だったもの。私はあなたと結ばれると思ってたから、何でもしたのよ。それなのにあなたは、そんなつもりは毛頭ないんだ、なんてふざけたこと言って。 あの時私の首に回した手の熱さ、青くなった顔、全部忘れないわ。そして私は悟ったの。もう長くないわ、って。あなたを想う余り、私は自分で自分を殺すのよ。わかってちょうだい。 そういえば、あなた、魚が大好きよね。私、今から文字通り、海の藻屑となるの。私の屍肉を食べた魚はどんな味かしら。それをあなたはいつもの笑顔で、美味しいなぁ、と溢すのかしら。その魚はさぞ美味しいことでしょうよ。 でもそんな偶然、なかなか無いわ。私を食べた魚を、あなたが食べるなんて。それでも、そんな一抹の期待も抱いてしまうの。私とあなたの出会いは、そんな偶然よりも滅多と無く、素晴らしいものだったから。 せめて、私が海で死んだ、ってことさえあなたの耳に入ればいいわ。そうすれば、大好きな魚を食べる度に私を思い出すでしょう。言ってたわよね、あなた、魚を食べると海風を思い出す、って。あなたの言葉を忘れす筈が無いわ。 女性は躊躇うことなく海へ足を進める。スカートは脚にまとわりつき、水に押されてまともに歩けなくなる。意中の人に見せることのなかった姿で、遮二無二水をかいて進む。口や鼻に水が入り、息が出来なくなる。そんな中頭に浮かぶのはまたしても、彼のことだった。
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