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思惑
コインの交換を終え、一行は小雨の降る中を更に渓谷沿いに山を登った。
先頭を歩くチェスカが、それでもチラチラと最後尾を着いてくる奈々音を気にかけているようだから、それなりにペースを落としているのかも知れない。
途中、休みを挟みながらも「ここだ」と到着した場所は、閑散とした村にある一軒の古びたレンガ造りの家だった。
「皆さん、お疲れ様でした。まずはゆっくり暖まってくださいな」
留守番役と思われる、ちょっとふくよかな女性が暖炉に火をくべて皆を出迎えてくれた。身体が心地よく暖まっていく。
「あーあ、やっと帰ってきたよ」
インティは相変わらず淡白な感じでゴロリと簡単なベッドへ横になった。『夕食』は歩きながら例のカナブンの燻製をかじって、それで終わりらしい。
「……そうですか、お伝えしておきます」
とっぷりと夜の暮れた家の玄関先で、チェスカが何者かと話をしていた。深いフードを被っていていても鋭い殺気が隠せないところをみるに、只者ではあるまい。
「インティ様」
チェスカが目を閉じているインティの側に座り込む。室内を照らす灯火が怪しく揺らめいている。
「スペルーニャの輸送船団がカインの港へ集結しつつあるようです。恐らくはいつも通りにこの国で採掘したマデの鉱石を本国へ送り届けるつもりでしょう」
「……奴らも欲深いなぁ。あまり目立ちたくはないが、盗人を見逃すのも腹立たしい。船団が出揃ったところで焼き払いに行くとするか」
さも当たり前そうなインティの物言い。奈々音は思わず背筋を寒くした。
この世界は、命があまりに軽い。人も、動物も。
奈々音が彼らに出会ったときも、最初は誰も彼女を守ろうとしなかった。『殺して当然』という空気。何の宗教なのか知らないが、それでも宣教師を名乗るヘルメースですらそれは一緒だった。
そして今、彼らは何の葛藤もなくテロリズムを実行しようとしている。それは彼らにとって『泥棒を処罰する』という何の非もない正義なのかも知れない。
それによって船の乗組員たちの多くが絶命するだろう。でも、本当に『盗人』なのは彼らではない。金で彼らを雇った権力者だ。そう思うと復讐の対象が違うとも思えるが、インティたちの価値観では、直接に手を下す者たちを許さないのだ。
この正義の前に相手船乗りの命は、あまりに軽い。
よくよく思い返すと、サンタァは『真紅は余っている』と言っていた。しかしヘルメースの話では、このインディルカ国で最も多いコインは『深緑』のはず。
では、余るほどの真紅はどうやって手に入れたのか。
簡単なことだ。真紅を持っている『スペルーニャのヤツら』とやらから奪ったのだろう。つまり、手当たり次第に殺して回ったということだ。
「あの、『マデ』って何です?」
奈々音はヘルメースに囁いたつもりだったが、それに「マデを知らんのか」と答えを返したのはサンタァだった。
「マデはコインの原料だ。『それ』が何なのかは誰も知らんが、10万年前に突如としてこの世界に現れたとされておる。主な産地はこのインディルカで、あとはアテナでも少しは採掘できる。各国それぞれ独自の精錬方法があって、それによって深緑になったり真紅になったりする」
「へぇ……」
奈々音には何となく話が見えてきた気がした。中々寝付けない中、つらつらと考えてみると繋がりが理解できなくもない。
コインは消耗品だ。その原料であるマデの主な原産国がインディルカで、『スペルーニャ』なる国が堂々と採掘というか盗掘をしていると。
ならばインディルカの国防機能は働いていないということだ。つまり、インディルカは事実上スペルーニャの支配下にあると。
ではそれに抗う旗印は。
そう。インティは元国王か、もしくは王位継承者なのだろう。だから総員で守っていると。
そして、他国人であるはずのヘルメースとサンタァがインティを警護している理由があるとすれば。
仮に好戦的なスペルーニャが大量のコインを手にすれば、途轍もない戦力増強になるだろう。となると周辺国であろうオルアンダやアテナとしては早々に安全保障上の手を打ちたいところではあろうが、直接に戦いを挑むと被害も大きい。
そこで。
あくまでも『インディルカの解放運動』を陰から支えてスペルーニャへのマデの供給を絶とうという思惑なのだろう。そしてあわよくばスペルーニャの弱体化を図りたいと。
若いインティが何処となく達観したように見えるのは、そうした政治的事情を理解しているからなのかも知れない。
国家間の野望と歴史に翻弄される小さな人生。
奈々音は、そっと目を閉じるインティの横顔にその寂しさを感じずにはいられなかった。
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