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撤退と増強
奈々音が聞いた話では真紅の【9】で輸送船6隻が瞬時にして撃沈するほどの威力だったそうだ。では、【10】はどうなのか。後にヘルメースに尋ねたところ「【9】の5倍はあります」とのことだった。単純計算して輸送船30隻を一度に沈められる、途方もない一撃。
それが今、奈々音たちに向かって牙を剥いたのだ。
目を閉じていても明るく感じるほどの閃光。とっくの昔に鼓膜の限界を超えた爆音。まるで空気自身が燃えるかのような熱量。その一瞬が途方もなく長い時間に感じられる。
奈々音はとっさに自身が持つ【JOKER】を両手で握りしめた。
お願い……何か少しでも、このコインが役に立ってくれるなら。
やがて瞼の内側に入ってくる光が収まった。耳はまだキーンとして聞こえていない。とりあえず、大きな怪我はしていないようだ。手足がちゃんと動くのを確認する。
死には、しなかった。
「よ、よかった……」
ホッとはするが、「ただ終わった」わけではあるまい。途轍もない火力が行使された後なのだ。周囲が無事で済むはずもなく。
神殿を形作っていた石柱の名残は一つ残らず消し飛んでいた。地面はドス黒く変色し、所々でまるで煮えたぎったかのように泡を吹いている。焼け焦げた強い臭いが鼻を突く。
「サンタァさん!」
全員を庇ってくれたサンタァの後ろ姿に声をかけると。
「むふう……」
と声を上げ、そのまま倒れて大きな背中を地面へ預けた。
「サンタァさん! 大丈夫ですか?!」
直撃を受けた正面のコインはそのほとんどが衝撃に耐えきれず割れてしまっている。そして肝心なサンタァ自身からも焼けるような臭いが。
「応急手当てですが、とりあえずの傷口を塞ぎます」
ヘルメースが神蒼のコインを取り出した。そして自身の指先に少し傷をつけ、滴る血液に魔力を送る。
「ちょうど良かった。エンゲルスさんから貰った魔力がありますから、それを流用しましょう。【神蒼の壁】……【4】!」
次の瞬間、神蒼のコインからまるで淡い雲のような輝く光がサンタァに降り注いだ。そう、あたかも『神の祝福』のように。
「私が分かりますか、サンタァさん」
「サンタァさん! 聞こえますか?!」
必死の問いかけに、サンタァが薄っすらと両目を開いた。
「むう……悪運よくも死ななかったか。まさか【10】を使ってくるとは想定外。甘かったな」
「だいたいの怪我は塞がったと思いますが、魔力の消耗が大きすぎます。暫くは療養されるといいでしょう。私が手配しておきます」
「……療養か。アテナ国、ヘーラ教皇の教会だな。そんな聖地に儂みたいな虫けらが入れるのか?」
自虐に嗤うサンタァにヘルメースは「私の恩人とあれば何の不都合もありません」と、断言してみせた。
「ところで」
インティが心配そうな顔で奈々音の方を向く。
「奈々音は無事だったのか?」
「は、はい! インティ君が飛び込んできてくれたお陰で」
よく見ると擦り傷程度の怪我こそあれ、大怪我もないし衣服にも損傷はない。
「それは不思議な」
ふう、とサンタァが息をついた。
「例え直撃でないにせよ、あの威力に巻き込まれて無事なはずがないのだが。……【JOKER】が、お嬢ちゃんを守ったなのかもな」
その頃。
「はぁはぁ……く、くそったれめが!! まさか【10】まで使って誰一人仕留められんとは!」
フラフラになりながら、エンゲルスは山肌を隠れるようにして降りていた。もう魔力は使い切った。体力にも余裕はない。もしここで見つかったのなら。
「ここにいましたか。もっと先まで逃げたかと思いましたが、意外とへばっていたようで」
闇から聞こえるチャスカの声に、エンゲルスの背筋が冷える。
「お、お前は! ま、待て! た、頼む! 見逃してく……ぎゃぁぁ!」
エンゲルスの嘆願を聞き終わる前に、彼の左小指から生爪が引きちぎられた。
「ぐわぁ! 分かった、分かった! 【10】を引き渡す! だから……」
のたうち回るエンゲルスだが、姿を現したチャスカは無表情のまま。
「今ので深緑の【2】。なるほど、あなたの言う通り『弱いコイン』も使いようですね」
次の瞬間、今度は右小指の爪がメリメリと音を立てて剥がれていく。夜の森林にエンゲルスの悲鳴が響く。
「やはりインティ様を連れて来なかったのは正解だった。あなたの悲鳴を心置きなく聞かせて貰える」
チャスカの口元からは、微かに白い奥歯が顔を覗かせていた。
「さぁ、あなたの犠牲になったインディルカ人の苦しみをなるべく分かりやすく教えてあげましょう。時間をかけて、じっくりとね」
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