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エンゲルスを失った駐屯地に、もはやその威厳と権威を保つことはできなかった。圧倒的抑止力を持つ【10】が消えたのだ。残るは雑魚ばかりと知れて形勢は一気に逆転した。
「いけぇぇ! 撃て撃て撃て、撃てぇ!」
「一匹たりとも残すな!」
「恨みを晴らすときがきたぞぉ!」
港で強制労働をさせられていたインディルカ人ちたが一斉蜂起し、倒したスペルーニャ兵から鹵獲した携行型の魔砲を次々と発射する。触媒として装填された仲間の血を怨念として叩き込むかのように。
勢いの差は明らかで、港湾部にいた警備兵たちを蹴散らしていく。個別に散らばったスペルーニャ兵は遠巻きに囲っていた元魔法兵団たちによって個別に撃破された。
主を失った駐屯地の行政建屋に火が放たれるまで、僅か数時間のことだったらしい。退路を失ったスペルーニャ兵は港に残っていた船で沖へと脱出するのが精一杯だった。
「カインの港を制圧したのは大きかったですね」
思わぬ大勝に勝鬨をあげるインディルカ人たちを眺めながら、ヘルメースが小さく頷いてみせた。
「インディルカで外洋から来た大型船をそのまま接岸できる港はここだけです。あとは浅瀬か座礁の危険がある岩礁帯ですから、攻めてきたとしても水際は小舟にならざるを得ない。そうなると守勢が圧倒的に優位ですから」
しかもカインは他の街と砂漠や山間部で隔てられている。主要な道路を固めてしまえば反スペルーニャの一大拠点になるだろう。
そして、勝利は人をも呼び込む。
「インティ様、お懐かしゅうございます。このロカ、生きて再びお目にかかれる日がくることを信じて待っていた甲斐がありました」
元魔法兵団たちが港で逆襲作戦を開始してすぐに、別の反乱軍が合流したのだ。
「ロカ殿。音信不通だったからすでに死んだかとも思っていたが元気そうでなによりです」
元大神官だったロカの合流。だがチャスカの言葉尻には明らかな嫌味が混じって聞こえる。
「はい、音沙汰なかったことは申開きのしようもなく。このロカ、すでに老体なれば何かあったときに素早く逃げることも叶いませぬ。さればあえて口を閉じ『そのとき』を信じて密かに仲間を集めておりました」
ロカがチャスカへ向かって慇懃に頭を下げると、チャスカはそれ以上何も文句を言わなかった。どうも珍しく機嫌がいいようだ。
多分それは勝利の余韻による高揚感だけが理由ではあるまい。
さっきインティに「エンゲルスはどうした」と聞かれ、チャスカは「潰しておきましたのでご心配なく」と答えていた。
さればその『潰して』が比喩ではなく、そのままの意味で『潰した』のだったなら。それが理由でご機嫌なのだとすれば……。
「いやー、近寄らんとこ」
奈々音はそんなチャスカに背を向けて、ちらりとインティの方へ視線を送った。
ちょっと怖い気もするが、どうしても聞いておきたいことがあったのだ。
「あ、あの! インティ君」
意を決して背後から声を掛ける。
「何?」
特に嫌そうな顔もしていない。機嫌はいいとみた。
「ひとつ教えて。あの、エンゲルスが【10】を使ったとき。どうしてインティ君は自分の身の危険もあったのに私を助けにきてくれたの?」
それだけが、疑問。最初は別に殺しても構わないぐらいの扱いだったのに。しかし「ヘルメースについていた方が死なずに済む」と気を遣ってくれて『雪でも降るのか』と驚いたら今度は身を挺して助けてくれた。これは、いったい。
「さぁね。自分でも分からない」
表情は険しくなり、返答は素っ気なかった。
「けど」
インティは奈々音から視線を外した。
「何か、放っておけないと思った。それだけだ」
返ってきた回答はそれだけだった。
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