ロカとインティ

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 その夜の遅く。  奈々音は寝室を抜け出して近くの波止場まで散歩に出てきた。どうにも寝付けそうになかったからだ。……昼間に聞いたロカの言葉がまるでささくれのように耳の奥で心を騒がせる。  沖に漁火が薄っすらと残るだけの、眠りについた街並み。何処かで猫の鳴く声がしたかも知れない。と、そのとき。 「こんなところで何をしている。スペルーニャの連中が消えたとはいえ、夜は夜だぞ」  振り向いた背後には、いつの間にかインティがいた。 「インティ君……って呼んでよかったんだっけ? 今さらだけど」  何も事情を聞かされずほいほいと着いてきたのではあるが、「世が世ならこの国の跡継ぎ」と聞かされるとどうにもぎこちなくていけない。 「別に呼称なんてどうでもいいさ。今の僕は別に何者でもない、ただのインディルカ人に過ぎない。14歳の若造だよ」  そう。カインの港町こそ奪還したが、だからと言ってこの国全てのスペルーニャ勢力を追い出した訳でもないのだ。いまだ大半はスペルーニャ支配下のまま。 「私は……ちょっと寝苦しくって夕涼みってとこかな。インティ君も?」 「僕? 僕は今晩の寝場所を探そうと思ってさ。そしたら奈々音が港の方へ歩いていく姿が見えたからな。声をかけただけだ」 「寝場所?」  意味が分からないと、奈々音が聞き返す。 「ああ。今ここにはインディルカ人しかいない。だがこれだけ大勢の連中がいれば、スペルーニャと仲のいいインディルカ人がいても不思議はないだろ」  その場合、寝込みを襲われればひとたまりもない。そのために仲間にすら自分の寝場所を隠すということだ。何という警戒心。いや、警戒心を超えて病的ともいえる猜疑心。それだけの世界を、この歳にして生きているのだ。 「チャスカさんたちは『信じられる人』なの?」 「チャスカは元々魔法兵団上がりで僕の子守役になったんだ。けど」  ふと、インティの顔が曇ったように見えた。 「彼女は『ワカ国王』の寵愛を受けていたらしい。だからチャスカは僕に父の面影を重ねているんだと思う。時々、そんな気がする」  だからこその忠誠、なのか。 「サンタァさんやヘルメースさんは?」 「彼らはオルアンダやアテナから派遣されてきた連中だから『反スペルーニャ』という点では信頼できるけど、それだけだ」  では、インティにとっての味方とは。少なくともあの『ロカ』は違うだろう。彼はインティにもしもがあれば自身がとって変わってこの国の頂点に立つことを画策していたと見た方が間違いあるまい。昼間のも多分、そういう意図があったのであろう。 「……インティ君は、この国を取り戻したいって思っているの?」  何故だろうか、彼にその真剣味をあまり感じないのは。それはずっと気がかりで。  その問いかけに、インティは両手で何かを包むような仕草をしてみせた。 「ご覧、僕の掌で抱えられる程度なんてこんなに小さいんだ」  その大きさは、この国全体と比べれば何と僅かなものか。 「仲間がいればもっと広がる」  奈々音がインティの横顔に視線を送るが。 「かもな。だが他人に頼って、それが完璧に僕のためになると思うかい? そこには手を貸してくれた人の思惑が入るんだ。それは純粋じゃあない」  確かに、インディルカ独立が為されたとしてもアテナやオルアンダの干渉は避けられない。いや、ロカは言わずともだがチェスカとて内政に口を出してこないとは限るまい。  その世界は、インティが望むものかと問われると。 「だったら僕はこの掌で収まる世界で好きに生きる方がいい」 「……昼間、ロカさんに言われたの」  インティの頼りなげな両手を奈々音が上から包んでみせる。 「要するに『これ以上は関わるな』って、やんわりと」  だが、それは。 「私、それで考えていたの。私は『自分の意思で動くべき』なのか、それとも『【JOKER】の導きに身を任すべき』なのかって。でも、どっちにしても行く先は同じなんだと思う」  多分、それは最初から決まっていたことのように思えて。 「インティ君、いつの間にか私のことを『奈々音』って名前で呼ぶようになっていたよね。だから私も『インティ』って呼んでいい?」 「……それは何か意味があることなのか?」  ちょっと不思議そうな眼差し。 「とりあえず、私はあなたの味方でいたいと思ったの。対等な立場で。だから全ての遠慮を無くして呼び捨てにしようって」  この荒廃して狂った世界に、ひとりぐらい彼の味方がいても悪くないと。何かできるわけでもないが、せめて彼の荒んだ心に寄り添えれば。 「はは、抱えられる荷物が倍になるのも悪くない……かもな。とりあえず奈々音は早く宿に戻って寢ろ。慣れないと夜風は身体に堪える」  そう言い残し、インティは街の闇へと消えて行った。
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