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『油断するな』とヘルメースからは釘を刺されているので、1日の『魔法特訓』は午前中の2時間ほどにすることにした。
何処で何が起こるか分からないから、何かあったときに即応するためだ。
だがそれは言い換えるなら『意外にも静かだ』という不気味さの裏返しでもある。もっと一斉に反撃してくるかと思いきや、スペルーニャ側は静寂を保ったまま。或いは様子見をしているのか。または、ただそうして焦れているのを待っているのか。
「ふぅ……」
『午前の授業』が終わってから、奈々音は一人で反復練習を繰り返していた。これで7日目、かなり勘は掴めてきたと思う。インティいわく『今でもすでに【4】くらいの力は使えるはずだ』という。実際にコインを使って試したわけではないが。
『コイン』を使うということは、それだけ血液を使うということだ。それも数字の大きいコインほど多くの血液を必要とする。
それを何処からもってくるのか。仮に【4】となれば、25ccほどの血液が要るそうだ。人体の総血量は4000ccほどで、1000ccほどを失うと出血多量で絶命するというから25ccなら多いというほどでもないだろう。でも、血は血だ。井戸の水を汲んでくるのとは訳が違う。迂闊に『やってみたい』とは言い難い。
そして多分、奈々音自身の血でもコインを発動できるのだろうという気はするが、インティみたいにいとも簡単に爪先で自分の指先を切って血を出すのはどうにも怖くて気が進まない。
と、そのとき。
「奈々音さん、ちょっと街まで食材の調達を頼まれてくれますか?」
チャスカの声に「は、はい!」と慌てて戻る。今は少しでも何かの役に立ちたいと思うのだ。
チャスカからメモと大きな買い物カゴを渡される。お金の話が裏でどうなっているか知らないが、とりあえず支払いはしなくてもいいらしい。
「ええっと、次は……」
左腕に抱えた大きなカゴに重い根菜類を詰め、次の店へと向かう。しまった、これは軽い買い物から先に済ませるべきであったかと思ったが後の祭り。
「いや、これ、まだ3軒も残ってるぞ?」
チャスカがどの程度分かっていたかは知らないが、最後の店を回った頃には持って動ける量の食材では無くなっている可能性が大だ。
「……ということは」
奈々音は何となくその意図を理解したような気がした。そういえばチャスカからは『多少でも魔法が使えるのなら、お守り代わりにもっておきなさい』と数枚のコインを借りているのだ。
「うー……深緑の【2】があるな。これならそこまで血を使わなくても済むか」
『出血大サービス』というのは、出す側にとって決して嬉しいことではない。
「多分これ、『使えるなら魔法を実際に使ってみろ』って意味なんだろうなぁ」
【2】と刻印された深緑のコインをしげしげと見やる。
「よ、よぉし。ここはひとつ大魔導士見習い奈々音様のデビュー戦といこうではないか」
大きくひとつ息を吸う。
そしてインティの真似をして伸ばした左手親指の爪で、隣にある人差し指の腹を擦ってみる。
「痛て!」
分かってはいたことだが、やはり皮膚が破れて血が滲むのは嫌なものだ。
「ま、まぁいい。こ、ここからだ。まずは体内を走るプルシュオンの流れを両手に集める意識をして……」
すると。
「やぁ、いいところで出会ったな。買い物の途中で申し訳ないが、道案内を頼めないか? 不慣れな土地で困っていてね」
不意に、奈々音の前方から親しげな声がした。
「え?」
見上げると、そこには灰色の古びたマントを頭からすっぽりと被った旅人風情の若い女性が立っていた。
上背がある。多分180センチ前後。引き締まったシルエットと整った顔立ちは女性でも見惚れてしまいそうなほどに美しい。そして、マントに隠れてはいるがその腰には長い剣が。
「隠し事は趣味じゃないんで、最初に名乗っておくよ」
軽く微笑む頬の、それでも目は鋭いままに。
「自分は【JACK】のアルテミス。スペルーニャ海軍インディルカ駐屯部隊の隊長を務めている。よろしく、奈々音」
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