猿真似おじさん

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東京都某A駅始発、16時52分発M駅行き。 私がいつも乗っているこの電車では――毎日必ず乗り合わせる乗客がいた。 始発駅であるA駅から乗って来る老紳士だ。 ロマンスグレーの髪がよく似合うこの男性は、毎日上質なベルベット生地のスーツを身に着けており、一見すると一流企業の幹部の様にすら見えていた。 しかし、この男性……実は、とある奇行で、他の乗客達からはかなり有名だったのだ。 男性は一体何を行うのか。 それは――【目の前の座席に座った人間と全く同じ行動をする】事だった。 そう……所謂、猿真似(さるまね)である。 男性は毎回、自分の目の前に座った人間と全く同じ行動とるのだ。 例えば、目の前の人がお茶を飲めば自分はペットボトルを持っていなくても飲む真似をし、お菓子を食べればお菓子を持っていなくても何かを口に運ぶ仕草を見せる。 この様に、目の前にいる人間の行動を全て模倣する男性。 そんな彼は、乗客達の間では【猿真似おじさん】と呼ばれ、気味悪がられていた。 と、そんなある日、男性の噂を聞いたのであろう学生の集団が電車に乗り込んでくる。 同じ学生服を着た5人組の彼らは、早速おじさんの前の座席に陣取ると、交互に目の前に座り、わざと変な仕草をしてはおじさんに真似をさせ始めた。 そうして電車も出発し、15分程経った頃。 リーダー格の少年が声を上げた。 「なぁ?面白いからこのおじさんの写真撮って拡散させようぜ!」 「賛成!」 リーダーの提案に、すかさず他の少年達が同意を示す。 こうして少年達は、自分達と同じ行動をとるおじさんの撮影を始めた。 電車の中だというのに他の乗客の事などお構い無しに歌を歌ったり、踊ったり、ときには叫び声を上げたりしては、それを真似させる少年達。 それから数分後。 撮影が終わり、リーダー格の少年が撮った写真の確認を始める。 と、写真の確認を進めるにつれ、少年の顔色がどんどん悪くなって来た。 そうして、しまいには写真を撮影していたスマホを床に落としてしまう少年。 彼はだらりとその場で両腕を弛緩(しかん)させるや、そのままガッと勢いよく顔を上げた。 その瞳の焦点は全く合っておらず、死人の様に虚ろだったのをよく覚えている。 「……やっと成れた……やっと成れた……」 虚ろな瞳のまま、口からだらだらと涎を垂れ流しつつ、そう呟き続けるリーダー格の少年。 彼は仲間の少年達に引き()られる様にして次の駅で降りていった。 一方、いつ降車したのか。いつの間にかいなくなっていた猿真似おじさん。 以降、猿真似おじさんが車内に現れる事は無くなった。 あの少年がどうなったのか、私は知らない。
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