双星の漂流者

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第3話 ︎︎協定 「ちょっと待った!」  今まさに口を開こうとした少年に、テオは待ったをかけた。驚く少年を他所(よそ)に、苦笑いを零しながら問いかける。 「なんか長くなりそうだし、先に名前教えてくんない?」  そう言えば、少年は分かりやすく顔を(しか)めた。整った柳眉を吊り上げ、黄金の瞳が鋭く光る。 「……尊き私の名を、貴様が如き下賎な輩に教えろだと? ︎︎無礼極まりない。知りたくば、這いつくばって請い願え」  少年は指で地を指しながら、傲岸不遜(ごうがんふそん)に言い放つ。テオはあまりの態度に畏まるかと思えば、逆に笑ってみせた。 「なるほど。んじゃ、今日からお前は(うじ)と呼ぼう。で? ︎︎蛆はどうして地上にいるんだ? ︎︎計られたって何を?」  輝かんばかりの笑顔でとんでもない事を口にするノムンドに、少年は呆気に取られる。エデイシアでもこんな仕打ちは受けた事は無い。その顔はみるみる紅潮していき、大声で不届き者に激怒した。 「なっ、言うに事欠いて蛆だと!? ︎︎貴様、死にたいようだな……そっ首跳ねてやる……!」  その声と共にふわりと腕を(ひるがえ)すと、空中に幾何学(きかがく)模様が浮かび上がる。無数の線が交差し、複雑な曲線を描くそれは、空気を震わせ、壁面にひびが広がっていく。狭い洞窟だ、このままでは崩壊の可能性もあった。  だが、テオは何食わない顔で提言する。 「おいおい、そんなんじゃお前も生き埋めだろ。まぁ、エルデルヴェオ様には毛ほどの傷もつかないのかもしれないけどさ。なぁ、取引しようぜ」  取引、という虚をつかれた少年は呆けてしまった。力から解き放たれ、空に舞う砂塵があるべき場所へと戻る。 「……取り引き、だと?」  値踏みする不躾な視線にも、テオは笑っている。食い扶持が増え、ただでさえ少ない食料が圧迫されても、テオの心は高鳴っていた。古い寝物語が真実だった事、肌で味わった脅威の力。それらがまだ見ぬ冒険へと駆り立てる。 「そ! ︎︎お前も地上の事は分からないだろ? ︎︎だから俺が面倒見てやるよ。その代わりエデイシアの事を教えてくれ! ︎︎どんな所なのか、どんな人達がいるのかをさ」  瞳を輝かせ、はしゃぐテオだったが、返ってきたのは冷たい声だ。 「話にならんな。取り引きとは、同等の価値をもってしか成り立たない。貴様が私の面倒を見るのは当然だろう。むしろ感謝すべき事だ。(こうべ)を垂れて(はべ)るがいい」  少年は変わらず強気の姿勢を崩さない。自分の優位を疑わず、テオを見下(みくだ)した。  しかし、テオはそれまでの笑顔を引っ込め、無言で立ち上がる。脇に置いていた荷物を抱えると、そのまま洞窟を出た。  それに狼狽(うろた)えたのは少年だ。 「お、おい。どこへ行く!?」  その声に振り返る事もせず、テオは歩を進める。休ませていたオプタに跨ると、頭上から言い放った。 「ん~? ︎︎取り引に応じないなら、お前なんて邪魔なだけだし。足手まといを連れ歩くほど、お人好しじゃねーよ。んじゃ、せいぜい一人で石ころ相手に威張り散らしてろ」  それだけを告げ、手綱を引き荒野へと向かう。  その背に、焦りを含んだ声が投げかけられた。 「ま、待て!」  だがテオが止まる気配は一向に無い。少しずつ遠くなっていく姿に、少年の焦りは高まっていく。自分は選ばれし民。だが、食も得ず生きる事は不可能だ。エデイシアでは衣食住が無償で手に入る。いかし、この地上ではそうもいかない事を、この数日で嫌という程思い知らされていたのだ。天から堕とされ、乾きに苦しんだ先で、やっと掴んだ枝がテオだった。  このままでは命も危ない。少年は去りゆく背に声を張り上げた。 「分かった! ︎︎応じる! ︎︎応じるから置いていくな!」  するとオプタが(いなな)き、歩みを止める。テオは馬上から首だけ振り向くと、ニヤリと笑った。 「……私の名はイリアムスエル。かつては天上二位にまで上り詰めた智天使だ。だが、下位である座天使の策略に嵌り、こうして地に堕ちた。今の座天使はキュリエルといって、狡猾な奴だ。取り巻きも多くいる。私とて智天使だ。支援者は多かったが、キュリエルに買収され、寝首をかかれた」  テオは洞窟まで戻ると、焚き火を囲み、少年イリアムスエルの身の上話に耳を傾ける。イリアムスエルは苦しそうに顔を歪め、ぽつぽつと話した。 「この姿も、本来の私では無い。金の髪も、七色の瞳も、全てキュリエルに奪われた。宝玉に封じられた私の力が、キュリエルに注がれているんだ。エルデルヴェオを治める天使は、知と力が求められる。それが神に認められれば、上の階級へと登っていく。きっと今頃は、キュリエルが智天使の座に収まっているだろうな」  そこで溜息を吐くと、顔を上げ、テオを見つめる。 「どうだ? ︎︎私を天に帰す手伝いをしてくれないか? ︎︎その代わり、お前の望みを叶えるために私の力を貸そう」  テオはがっしりとした顎に手を当てて考え込む。実の所、イリアムスエルが本当にエルデルヴェオなのかは疑わしい。しかし、先に見せた魔法のような力はそれを裏付けている。  しばらく唸ると、ぽんと膝を叩き、テオが頷いた。 「よし! ︎︎いいぜ、イル。俺がお前を天に帰してやる。俺の望みは黄金だ。この荒野にまだ残されている鉱脈を見つけ、黄金を手に入れる。それには過酷な旅をしなくちゃならない。荒野には魔物や、野盗が出る。日銭を稼ぐためには、村の役場でそいつらを退治する依頼も受けるからな。その時に力を貸してくれ」  そう言いながら、手を差し出すと力強くイリアムスエルを見つめ返した。イリアムスエルも、それに応え、手を結ぶと頷いた。  と。 「ん? ︎︎イル……? ︎︎まさかとは思うが……私の事か?」  頬をひくつかせて問うイリアムスエルに、テオは眩い笑顔で返した。 「おう! ︎︎お前の名前、なげーんだもん。いいじゃん、イルで。今後ともよろしく!」  強く握った手を上下に振りながら、テオは豪快に笑う。それに対して、イリアムスエル、イルは顔を真っ赤にして憤慨した。 「ふ、ふざけるな! ︎︎神に賜いし尊き名をなんと心得る!? ︎︎ちょ、まっ! ︎︎手を離さんか!」  こうして、二人の旅は始まるのであった。
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