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「杉野さん」  放課後、踊り場で名前を呼ばれて振り返ると、階段の上に長岡(ながおか)くんがいた。 「少し、いい?」  階段を降りるたびに黒地の大きなエナメルバッグが跳ね、音を立てる。坊主頭の彼は野球部だったと思うが、どちらかといえば華奢な体つきをしていて、背も私と大して変わらない。 「なに?」  同じクラスになるのは初めてで、これまでに話をしたことはない。  目の前まできた長岡くんは、遠慮がちに口を開いた。 「昨日は、その、凄かったな」  私は全身がかっと熱くなった。この日、みんなが腫れ物扱いしてくれたおかげで、なんとか放課後を迎えることができたのに。もしかして私をからかうために、代表して彼がやってきたのだろうか。とっさに、階段の上に意識を向ける。 「いや、そんなんじゃなくて……頼みたいことがあるんだ」 「頼みたいこと? 私に?」  長岡くんはうなずく。 「杉野さんの歌声を、録音させてほしい」 「はあ!?」   思わず、学校では出したことのない大きな声を出してしまった。 「なんで!? いや、どんな理由でも絶対に嫌だけど」 「試験勉強のときに聴きたいんだよ」 「意味わかんないし! 100%無理!」 「そういわずにさ、頼む、この通り!」  頭を下げる彼を置いて階段を降り始めたが、すぐにまたぴたりと横についてくる。走って逃げようにも、運動音痴の私が野球部の男子を振り切れるわけがない。 「来月の期末試験、頑張りたいんだ。けど俺、もともと勉強が好きでも得意でもないから、すぐ眠くなっちゃって。杉野さんの歌があれば、目も覚めると思う」  無視する私を無視して説明を続ける彼は、家までついてくる気かと心配になったが、昇降口まで来たところで、歩みを止めた。 「なんでもお礼はするから、少し考えてみてくれよ!」  もう一度キッパリ断ろうと思ったが、私が靴を履き替えている間に、彼の後ろ姿は部室棟へ続く廊下に吸い込まれてしまった。
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