2人が本棚に入れています
本棚に追加
「杉野さん」
放課後、踊り場で名前を呼ばれて振り返ると、階段の上に長岡くんがいた。
「少し、いい?」
階段を降りるたびに黒地の大きなエナメルバッグが跳ね、音を立てる。坊主頭の彼は野球部だったと思うが、どちらかといえば華奢な体つきをしていて、背も私と大して変わらない。
「なに?」
同じクラスになるのは初めてで、これまでに話をしたことはない。
目の前まできた長岡くんは、遠慮がちに口を開いた。
「昨日は、その、凄かったな」
私は全身がかっと熱くなった。この日、みんなが腫れ物扱いしてくれたおかげで、なんとか放課後を迎えることができたのに。もしかして私をからかうために、代表して彼がやってきたのだろうか。とっさに、階段の上に意識を向ける。
「いや、そんなんじゃなくて……頼みたいことがあるんだ」
「頼みたいこと? 私に?」
長岡くんはうなずく。
「杉野さんの歌声を、録音させてほしい」
「はあ!?」
思わず、学校では出したことのない大きな声を出してしまった。
「なんで!? いや、どんな理由でも絶対に嫌だけど」
「試験勉強のときに聴きたいんだよ」
「意味わかんないし! 100%無理!」
「そういわずにさ、頼む、この通り!」
頭を下げる彼を置いて階段を降り始めたが、すぐにまたぴたりと横についてくる。走って逃げようにも、運動音痴の私が野球部の男子を振り切れるわけがない。
「来月の期末試験、頑張りたいんだ。けど俺、もともと勉強が好きでも得意でもないから、すぐ眠くなっちゃって。杉野さんの歌があれば、目も覚めると思う」
無視する私を無視して説明を続ける彼は、家までついてくる気かと心配になったが、昇降口まで来たところで、歩みを止めた。
「なんでもお礼はするから、少し考えてみてくれよ!」
もう一度キッパリ断ろうと思ったが、私が靴を履き替えている間に、彼の後ろ姿は部室棟へ続く廊下に吸い込まれてしまった。
最初のコメントを投稿しよう!