この海に破戒の歌声を

18/31
前へ
/31ページ
次へ
 僕の母はキフカ会の幹部だった。母はそこで歌を歌い、幾日も信者らの穢れを浄化させていた。  そのうちキフカ会は有名になり、母は『キフカ会の歌姫』と称され、度々テレビで取り上げられるようになる。それがあるプロデューサーの目に留まり、母は東京へ行くことになった。  そうして母はプロの歌手になり、「山代紅葉(やましろもみじ)」という実名で活動を始めた。歌番組には引っ張りだこで、CDは出す度に売れた。そんな多忙の中、母はプロデューサーと関係を持ち、僕を妊娠した。彼らは結婚という道は取らなかった。  妊娠中は歌手活動を休止し、無事僕が生まれることとなる。母はその後すぐに復帰し、歌手としての活動を再開した。
/31ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加