夏と禍

2/2
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
 とぼけるように笑った羽住さんに感謝しつつ『ここってパソコン繋がりますか。あとマイクとかあれば借りたいです』と追い討ちをかけたのがその一週間後。 『火曜日だけ消灯時間伸ばしてほしいんですけども』ととどめを刺したのがさらに一週間後のことだった。  感情をあまり表に出さない彼女の顔が曇りはじめ、院長からの伝言が『もうムリ』になったのでそれ以上はやめておいた。十分すぎるくらいだ。  同時に、きっと私の病気が完治することはないのだと悟った。  この先長い病院生活を強いられることがわかっているから、病院側もここまで私の我儘を聞いてくれるのだろう。最悪だ。 「おかげでこの子が生まれたんだけどね」  SNSのプロフィール画面に表示されたアイコンを見る。円形に切り取られたトーカは今日も笑顔だ。  一年前、動画投稿サイトに『トーカの歌チャンネル』を開設した。  ただ歌うだけじゃ意味がない。誰もいない場所で花火を打ち上げたいわけじゃなかった。  歌って、沸かせたいんだ。  オリジナル曲の歌唱を中心に、時折カバー曲を交えたチャンネルは順調にフォロワー数を伸ばした。素人が始めたにしてはうまくいっているほうだと自負している。 「あれ?」  プロフィール画面を眺めているとダイレクトメッセージが届いていることに気づいた。  差出人は同じ音楽動画界隈のアカウントだ。私よりもずいぶん前に始めているベテランで、直接関わったことはまだなかった。  何だろうと思いながらメッセージを開く。 『トーカちゃん、最近調子のってない?』  初めの一文を目にして、私は息を呑んだ。  唐突な隠す気のない攻撃性に理解が追いつかない。  メッセージは続いている。吞みこんだ息を吐きだせないまま私はそれを目でなぞる。   『聞いたよ、ライブやるんだって? トーカ単独ライブだっけ。よくそんなこと言えるねえ。僕には無理だな。ここではもっと謙虚でいたほうがいいよ』  寒い。延々と続く心ない言葉が雨となって私の体温を奪っていく。  ここまでむき出しの悪意に触れたことがなかった。身体全体が揺れるほど鼓動が速くなる。 『てかちゃんと学校行ってる? 学生だったよね? 平日の昼間もSNSで見かけるけど。大事だよ学校は。いろんなこと勉強しなきゃ。あ、もしかして音楽一本で食ってく気なのかな。いい夢だねw』  無意識に自分の喉に手をやっていた。  息ができない。息がしたい。気持ち悪い。落ち着いて。息をしなきゃ。  考えれば考えるほど空気を吐きだせなくなって、震える指でナースコールを押し込んだ。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!