遺品

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遺品

 戻ってきた。看取りだ。今まで何人も看取ってきた。そういう場所なのだ。大半は病院で亡くなり戻らないから実感はない。部屋は片付けられすぐに次の入居者が入る。看取りで戻ったものは静かに亡くなっていく。初めて看取ったときはショックだった。食べなくなる。食べないのだ。何日も。食べなければ餓死をする。私は調べた。枯れるように死んでいく。当たり前の死だ。理想的な死だ。  娘が通い詰めた。意識のない父親に話しかける。パパ、パパ、パパ……  娘が席を外したときに別れの挨拶をした。 「ロカさん、頼朝の頼子よ」 耳元で囁いた。手を握った。変化はない。  娘はすぐに戻ってきた。互いに会釈した。  息子は来なかった。連絡も取れなかったのだろう。昼で私は帰った。夜、スタッフからメールがきた。 『徳冨さん、亡くなりました』  翌日、遺品を整理した。多くはない。箱にたくさんの映画のDVDが入っていた。中に古いビデオテープが。自分でも忘れていた映画だ。初めてふたりで観に行った。ロカさんは観たくはなかっただろう。話題性だけはあったがベルサイユのばらの外国映画。笑いながら付き合ってくれた。観終わったあと、主演女優、きれいだったね、と聞くと 「モモエのほうがいい」 そう言った。モモエのファンクラブに入っていると。  いつ買ったのだろうか? 別れたあと? ビデオテープだからかなり前だろう。もうビデオデッキなんてないだろう?   あなたは私を思い観てくれたの?   涙が頬を伝った。涙など忘れていた。大きな悲しみと怒りが涙の出ない女にした。 「欲しいものがあったら貰って。あとは処分してって」 捨てるのにも金がかかるのだ。私はビデオテープを貰うことにした。マジックで落書きしてある。入居してすぐにマジックを借りて書いたらしい。  入居してすぐ? それは落書きではない。『子』と『へ』は読めた。  頼子へ    私には読めた。入居してすぐ? あなたにはわかっていたの?  葬儀は身内だけで行われた。出席はしない。冷たい女なのだ。  有給休暇を消化した。昔暮らしていた場所を訪れた。借家はなくなり小道は舗装されていた。小学校と中学校は同じような形で残っていた。高校は様変わりしていた。あなたも通った学校、私の10年前にあなたは通っていた。文学少年、スポーツもできたのだろう。人気もあっただろう。青春を謳歌しただろう。なのに、晩年があんなに寂しすぎるなんて……  駅のそばのあなたの家、聞いていた場所は飲食店のビルになっていた。あなたの家も、もうないのね。おそらくすべて取られた。息子の借金のために。不遇な晩年。妻には出ていかれふたりの子どもを育てた。その手塩にかけた息子は……?  もう来年の手帳には書き写すまい。繰り越すのはやめよう。遺品になってしまったら辛い。  怒りを忘れるな  あの子を愛さないように  決してあの子を愛さないように  消そう。マジックで消そう。そして代わりに書こう。  怒りは忘却の彼方へ  あの子は私の愛するただひとりの娘  あの子への遺品は用意してある。きれいな菓子の空き箱に。あの子が家に入れていた生活費、私にくれたお年玉、小遣い……手を付けずに取ってあるのよ。現金でそのまま。積んだところで利息は微々たるものだから。それからあの子を産んだ母親の謄本と死亡診断書。眠っている墓、戒名。私が死んでからでは遅いかしら? あの子に知らせないのは私のエゴ? だって私はあの子の反応が怖かった。  空き箱の蓋にマジックで書いた。きちんと書けるうちに。   美月へ  
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