2人が本棚に入れています
本棚に追加
第十四章
「では、やってみるか。
あ、あ、あ」
ゴホン‥‥
私は真人の前で気持ちを歌に乗せて歌って踊った。
踊り狂った。
我ながらなかなかの美声、踊りのキレ。
全てが完璧だった。
そして‥‥。
カチャリと音がして一年間開けられなかった扉がゆっくりと開いた。
真人は泣いていた。
私は真人を抱きしめた。
景子も涙を流しながら我が子を力いっぱい抱きしめた。
一年ぶりだ。
食卓で家族団欒なんて。
やはり良いものだな
「真人。久しぶりに一緒に風呂にでも入るか?」
真人は頷くと後からついて来た。
風呂に入って真人の体を洗ってやる。
それから背中を向けて洗ってくれるように声をかけて、背中を向けた。
「お父さんの歌声良かっただろう?
踊りもつけて。
いやー、生徒にも評判が良くてな‥‥」
言い終わるか終わらないうちに、背中に痛みを感じ、振り向いた。
真人が刃渡り20cmある包丁を握って震えていた。
刃先はこちらに向いており、真っ赤な血で染まっている。
「真人‥‥おまえ」
咄嗟に手を背中に回してみる。
ヌルッとした感触。
震える手を目の前に持って来ると手に真っ赤な血。
「何で‥‥?」
焼け付くような痛みが背中から全身に広がっていく。
そのままうずくまり、倒れ込んだ。
包丁を持った真人が上から覗きに込んでいる。
「あの時の父さんは本気だった。
本気で俺の事を叱ってくれた。
でも、今のはなんだよ!
馬鹿にしてるんだろ!俺の事!」
「え‥‥?」
「父さんに本気で叱って欲しかった。
あの時は真剣に叱ってくれて嬉しかったのに」
真人の目には涙が浮かんでいた。
「叱る価値もないと思ったんだ?
俺のこと真剣に考えてないのがよく分かったよ!」
待ってくれ!これは‥
「新しい法律だろ?
ダメだと言われたら、簡単に信念を曲げるのかよ!
自分が正しいと思えば信念を貫けって言ったのはあんたじゃないか!
クラスの優等生が万引きしているのを見て、先生に相談したら、黙っておけって言われた。
納得できなくて訴え続けたら優等生グループから虐められるようになった。
俺が引きこもりを始めたのは、信念を貫いたからだ。
間違えていなければ認める必要はない。
あんたが教えてくれたんだよ!
それを何だよ。こんな形で踏み躙りやがって!」
真人はがんとして謝らなかった。
自分が正しいと信じていたからだ。
その信念を貫く為のデモ行為だったのだ。
そうか。
それを一番分かってあげなければいけないのは私だったのだ。
真っ赤に腫らした目が真人が一年間背負って来た苦しみを語っていた。
扉を開けた時の涙は悔しさの涙だった。
尊敬していた父親に裏切られた悔しさの涙だったのだ。
私は今まで誰に何を言われても信念は曲げなかった。
真人にもその血が流れていたのだなと今更ながら知った。
彼の事を分かってなかったのは私の方だった。
「そっか。
やっぱりおまえは俺の子だ。
ごめんな」
目の前が暗くなって来た。
手探りをするように真人に向かって手を差し伸べる。
遠ざかる意識の中でかけたその言葉は、息子に届いただろうか。
それはもう、分からなかった。
(おわり)
最初のコメントを投稿しよう!