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彼女は運命を告げる女神のような声で俺の知らなかった真実を告げた。
『あなたのセイレーンは《お乳》しかくれなかったのね、オルカ…
血か肉を分けてくれたら、あなたは《完全》になれたのに…あなたに《お乳》を与えたセイレーンはあなたを作り変えるのを途中でやめてしまったのかしら?』
『…セイレーン?』
『広い海で生きるセイレーンにはセイレーンがわかるのよ。あなたはセイレーンの子供でしょう?あなたからは私と同じセイレーンの気配がするもの』
驚きの真実を伝えて、彼女は俺の手を握ると海に引き込んだ。
海は飛沫を上げて俺を抱いた。水の中に居場所を見いだせない泡沫が水面に向かって駆け上がり、障害物の無くなった水の中で視界がクリアになる。
俺を水の中に引き込んだ人魚の笑顔も水に揺らめく髪も、はっきりと見えた。
『ほら。あなたはセイレーンの子』と、嬉しそうな彼女の声が水の中でもはっきりと聞き取れた。
実際には耳で音を捉えたのではなく、額に震えるように伝わったのだが…
人間の感覚とは違うそれが、彼女の言う《仲間》である証なのだと悟った。
同時に、母が人ではなかったのだと納得した。
『あなたはもう《仲間》だから、私の血と肉を分けてあげるわ。そうしたら、あなたは本当に私の《仲間》になって一緒にいてくれるわよね?』
彼女はそう言って我が身を削ろうとしたが、それを受け取ったら最後、俺はあの人を裏切ってしまうような気がした。
考える時間が欲しかった。少なくとも今すぐ決められるようなことではない。
義理は通さねば俺はただの恩知らずの裏切り者だ…
この時、義理も恩も捨てて彼女と海に消えなかった事を、俺は今でも後悔している。
俺の立ち去った少し後に、立入禁止のフェンスに囲まれた海で大量の魚の死骸が浮かんだと、新聞の小さな記事で知った。
《潮の流れが変わって、工場から廃液が流れ込んだ》とか《軍の新兵器の実験》などと噂されたが、陰謀論者もオカルト信者も科学者も、誰も真実にはたどり着かなかった。
人魚を手に入れるために海に高圧電流を流すなんて、誰が気づくだろう?
彼はセイレーンを諦めていなかった。そして、俺がセイレーンを知っていると薄々気づいていたのだろう。
自分で覚えていないだけで、何かふとした時にそれを伝えてしまっていたのかも知れない。
俺があの岬に戻ったから、セイレーンは自由に歌うことを奪われてしまった…
セイレーンは歌えないと弱って死んでいくのだと、知ったのはそれからだ…
セイレーンを求めた男は、人魚を自分だけの水槽という宝石箱に閉じ込めてしまった。
結局、俺が義理を通そうとしたから、彼女を無駄に苦しめて、父親を裏切る結果になってしまった…
セイレーンを海に帰して、父の制裁を受けたのは、俺自身が楽になりたかったからだ。
覚悟してやったことだ。どんな結果でも受け入れるつもりだった。
ただ、一つ誤算だったのは、そんなことでは俺は楽になれなかった…
そして、俺は本当に人間を辞めて、《冥界の者》の《オルカ》になった…
全身に風穴が空こうが、頭が消し飛ぼうが、死ねないこの身体は彼女を守り、彼女と共にあるためだけに存在しているのだ…
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