8. といきん

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8. といきん

「そういえばさぁ」 文化祭を終えて3年生が引退した。 それから最初の練習日、がらんとした和室でわたしは和音に尋ねた。 「どうしてうちの箏曲(そうきょく)部に入ったの? 師範のいる教室に通い続けても良かったんでしょ?」 和音は絃に琴柱(ことじ)を立てる手を止めた。 「……友達が欲しかったんだ」  全国コンクールに執着するあまり、仲間が互いに蹴落とす関係になってしまったと話した。 「成績も大事だけどさぁ、違うんだよ。箏って、みんなで楽しむものなんだよ」 「初心者のふり、できてなかったけどね」 わたしは入部したてだった4月頃の姿を思い出した。 「普通の1年生に紛れるのは無理があったよ」 「才能を隠しきれなかったと言ってよね」 穏やかな時間が流れた。 「失礼します」  唐突に、か細い声が聞こえた。  振り向いてびっくりした。真坂先輩が和室前の廊下に立っていた。 「村上さん。こないだは、ごめんなさい」  気まずそうに、和音に頭を下げる。 「何ですか。こっちはもう練習中なんですけど」 冷ややかな視線を送る和音に、真坂先輩はきゅっと唇を噛んだ。 泣き腫らした目が、いつも集団の中心にいた真坂先輩らしくない。 「部長から聞いたの――その、退部届を出そうとしたときに――『村上さんが、辞めなくていいと言っている』って」 わたしは驚いて言葉を失った。 「和音、どういうこと?」 それには答えず、和音は質問で返してきた。 「あの日、真坂先輩の絃が切れたのは、どうしてだと思う?」 どうして? その答えは探していなかった。いや、探そうとしていなかった。 「――『()()れ』。箏の糸は丈夫だからね、本来は簡単には切れないんだよ」 和音は真坂先輩を(さと)すように呟いた。 「今回の件は許せませんが、人一倍練習していた先輩を、わたしは尊敬もしています」 先輩の目がじわ、と潤んだ。 「ひどいことをしたって、分かってる――だけど、やっぱり箏が好き。3か月が経ったら、もう一度、一緒にやらせてもらえないかな」 その真坂先輩を前に、ふと脳裏に「斗為巾(といきん)」の文字が浮かんだ。 思いやり、道理、智恵、礼儀、正義。 そして誠実さ。 わたしたちに足りなかったもの。 まだ、取り戻せるもの。 「来年は、みんなで合奏したいなぁ」 天然を演じて、わざと独り言っぽく言ってみた。 「流行の曲とか人気曲とか、みんなで楽しくやりたいなぁ」 「おー、いいねぇ」 和音が乗ってくれた。 「……ほら。先輩、何かアイデアを出してくださいよ」 ぶっきらぼうに、だけど会話に誘うように。真坂先輩に話を振る。 「え? ええと……あ、『アイドル』とか?」 「それ、いい! 採用!」 すかさずわたしが盛り上げる。 これがわたしたちの答えだった。 2か月後、先に復帰していた2年生と真坂先輩が合流して、箏曲部は少しずつ前に進み始めた。 新しい部長の拍子で、全体練習が始まる。 ぴん。 爪の先から、心地よい音が響く。 箏は、生きている。 わたしたちの音は、「斗為巾(といきん)」を超えていく。
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