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3. 爪
和音は抜群のセンスを持っていた。
「春よ、来い」はもともとピアノ用だった楽譜を箏曲用にアレンジしたもの。難易度が高いと言われていたのに、和音はあっという間に自分のものにした。
悔しくて、わたしは帰宅後も自作の箏――段ボールに糸を13本張ったダサい代物――を弾いてイメトレを繰り返した。
その成果もあって、6月に入るとわたしは「さくらさくら」も「うさぎ」もほぼ完璧に弾けるようになった。
それでも和音とわたしの差は開く一方だった。
「ひまちゃんも一緒に練習しようよ」
和音が課題曲の楽譜を見せて誘ってきた。
「春よ、来い」は切ないメロディーに胸がきゅんとする、大好きな曲だった。
「うん、ありがと」
無理に笑顔をつくる。だけど、と間を置く。
「先輩たちに遊んでると思われそうだし。ごめん、自分の曲に専念するね」
ああ、自己嫌悪。
不思議そうにこちらを見てくる和音と目を合わせられない。
一つ上のレベルに挑戦できるチャンスだったのに。
すぐにはできなくても、今までみたいに練習を続ければ、和音に追いつけるかもしれないのに。
でも、やっぱり無理だったら? 追いつけなかったら?
冷静で感情的な自分が、逃げることを選ばせた。
その日の帰り、わたしは過ちを犯した。
鍵のない私物ロッカーから和音の巾着袋を取り出して、隣に入っている真坂先輩のペンケースの裏に隠した。
誰にも見られていないことを確認して、そのまま帰路についた。
友達への憧れが、嫉妬に変わっていた。
巾着袋の中には、演奏時に指先にはめる「爪」が入っている。
弱いわたしに、それを盗んだり壊したりする勇気はない。
せめて和音が爪を探して、練習時間が短くなればいいと思った。
情けなくて惨めになったわたしは、自宅に帰るなり段ボールを思い切り蹴飛ばした。
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