4. ハサミ

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4. ハサミ

翌日の授業中は、ずっと悶々としていた。 やっぱり、謝ろう。逃げちゃだめだ。 結論として出たのは、どんな理由があっても八つ当たりはだめだということだった。 放課後、(おそ)(おそ)る和室へ行った。 和音はまだ来ていなかった。そうか、今日は委員会の日だったっけ。 自分のうっかりに(あき)れると共に、一人ほっと安堵(あんど)の息をついた。 上履きを靴棚にしまっていると、窓際から真坂先輩の声が聞こえた。 「やだぁ、なんで村上さんの袋がここに?」 いけない。爪の入った巾着袋を回収する前に、真坂先輩に見つかってしまった。急いで謝らないと――慌てて立ち上がった瞬間、予想外の言葉が耳をついた。 「あの子、最近調子に乗ってるよね」 スクールバッグを肩に掛けたまま、硬直した。 先輩たちは和室の奥にいて、入り口で立ち尽くすわたしに気付かず話している。 「もしかしてあたしのロッカーまで使っていいと思ってる? 1年生のくせに」 「演奏上手くてごめん、ってか?」 「大丈夫、『春よ、来い』はどうせ残念賞だから」 「パートナーのいない二重奏なんて寂しいだけだよね」 「ひまりちゃんには悪いことしたよね」 両頬がさっと冷たくなった。 それから、心臓がバクバク鳴り出して、毒っぽい血液が全身を駆け巡った。 何、それ。どういう、こと。 「文化祭、わたしたちの方が引き立て役になるのは目に見えてるからさぁ。村上さんにはまた糸締めでもさせようよ」 真坂先輩がペンケースからハサミを取り出した。鋭利な刃が、和音が普段使っている箏の(げん)をぎりぎりと切り付ける。 「や、やめてください!」 我慢できなかった。 畳にスクールバッグを投げ出して、わたしは真坂先輩に突進した。 「やめてください! これは和音の箏です!」 強引にハサミをもぎ取る。声が震えた。 「絃が――絃が――」 糸は切れてはいなかった。けれど、ぼさぼさに毛羽(けば)立ち、(ゆる)く伸びてしまっていた。 「ああ、ひまりちゃん。なに、どうかした?」 あざ笑う言葉とは裏腹に、声は湿っていた。 「なんてね、分かったでしょ。あたしたちはね、村上さんのことが嫌いなの」 何も言い返せなかった。 先輩の左手に痛々しい血豆が見えた。 弦を強く指で押さえつける、箏の奏者の証。 血豆ができて破けてを繰り返した、傷だらけの手。 手のひらに鉄の冷たさが広がった。まるでわたしたちの心のよう。 嫉妬に狂っていたのはわたしだけじゃなかったんだ。 帰る、と真坂先輩が和室を飛び出した。 取り巻きの先輩たちが追いかける。 箏が泣いていた。 わたしは何もしてあげられなくて、(うつむ)くしかなかった。
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