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「箏は奈良時代、中国から伝わったといわれていてね」
伊東部長は昔の絃の呼び名だよ、と優しく教えてくれた。
「もともとは『仁、智、礼、義、信、文、武、斐、蘭、商、斗、為、巾(じん、ち、れい、ぎ、しん、ぶん、ぶ、ひ、らん、しょう、と、い、きん)』と呼ばれていたみたい」
「えぇ……むず」
「そう、だからシンプルな漢数字になった。だけど例えば『十一』と書くと、『十一』なのか『十』と『一』なのかが分からない。ややこしいから、結局『斗為巾』だけ残ったのだとか」
和音が続けた。
「仁は思いやり、智は道理、礼は礼儀、義は正義、信は誠実さ。箏は、わたしたちに大事なことを教えてくれていると思うの」
「うん、そうだね……」
わたしは和音の言葉を繰り返した。
思いやり、道理、礼儀、正義、誠実さ。
箏の絃には、そんな意味が込められていたんだ。
ハサミのせいで伸びてしまった絃を思い出す。
勝手に動かした巾着袋も。蹴飛ばした段ボールも。
それから、課題曲が発表された日、わたしのことで発言してくれた和音。
まだごめんねとありがとうを伝えてなかった。
「和音、ありがと」
「何、いきなり」
「わたし、頑張ってみたい。和音と一緒に」
「ひまちゃん――」
和音の返事を待たず、わたしは伊東部長に向き合った。
「部長、お願いです。和音と一緒に『春よ、来い』をやらせてください」
「え、あぁ、うーん。私も悪かったし、いいよと言いたいところだけど」
伊東部長は少し考え込んだ。
「実際、レベルの差がありすぎるんだよなぁ……残り1か月切ってるし」
簡単にOKがもらえるとは思っていなかった。
だって、ペアを組むのは、全国経験者の和音なのだから。
猛練習しないと置いて行かれる。
一人だけ下手で、ステージで笑われるかもしれない。
それでも、こんなチャンス、なかなかない。
わたしはぎゅっと目を閉じて、頭を下げた。
「わたしも。ひまりさんと二重奏、やってみたいです」
隣から、思いがけない言葉が降ってきた。
「ちゃんと努力できる子だって、わたしは知ってます。自主練してなきゃ、こんなに上達が早いはずがないです。わたしたちは絶対、文化祭までに間に合います」
わたしたち、という言葉に力を込めて、和音もばっと頭を下げた。
その勢いに押されて、伊東部長はそうかと困ったように笑った。
「分かったよ……わたしも、本当は2人の二重奏が聴きたかったんだ」
チャンスを奪ってごめんね、頑張ってね、とほほ笑んでくれた。
「和音!」
「ひまちゃん!」
「一緒に、頑張ろう!」
子どもみたいに、わたしたちは箏の横でぴょんぴょん飛び跳ねた。
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