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7. 新しい音
文化祭当日はあっという間に訪れた。
先に登場した3年生部員と入れ違う形で、わたしと和音は体育館のステージに立った。
ぴん。
挨拶替わりの高音が、体育館の奥まで浸透する。
「箏って、こんな音も出るの?」
最前列に座る女子生徒の口が、そう言っていた。
「すごく、綺麗」
コンディションは最高、掴みも完璧だ。
わたしたちはアイコンタクトを交わし、頷いた。
さあ、行くよ――。
優しい旋律が、優雅に体育館を泳いだ。
「淡き 光立つ 俄雨」
箏の絃を弾く指先に、全神経を集中させる。
左手で絃を押すと糸が伸びたり、戻ったり――「押し手」と呼ばれる技法で自在に操り、張力を調整する。
張力が変わると、琴柱の右側の音色も変わる。
音階が少し高くなる、それだけじゃない。ぴん、とスタッカートを刻んだり、びぃん、と余韻を残したり。
音で遊ぶ、自由な世界だった。
楽しい。幸せ。このまま弾いていたい。
けれど夢中な時間はあっという間に過ぎ去って、終盤がやってくる。
一瞬の静けさ。
観客がはっと息を飲んだのが分かった。
わたしたちはクライマックスに、新たな技法を「切り札」として取っていた。
今までの十三の音の、どれでもない。
「ハーモニクス」――右手の爪が絃を弾くのに合わせ、左手も瞬間的に絃に触れて1オクターブ高い音を引き出すテクニック。
押し手が「絃を伸ばす」なら、ハーモニクスは「絃に触れる」。
完璧に調整された箏だからこそ奏でられる、繊細で儚い音色。
【春よ まだ見ぬ春
迷い立ち止まるとき
夢をくれし君の
眼差しが肩を抱く】
糸が生み出す、命の音色。
箏が、生きている――。
清らかな鼓動が、指先の心地よい振動となって伝わってきた。
2年生が1〜3か月の練習停止処分となり、文化祭を見送ると決まってから猛特訓の日々だった。
触れる位置をミリ単位で確認し、絃に印を書いて練習してきた。
「2年生が出演しないなら、その分の尺は、わたしたちのアレンジに使ってもいいってことですよね?」
楽譜を少し変更し、終盤にBメロとサビを1回多く繰り返した。
ハーモニクスに挑戦したいと提案したのはわたしだった。高難度の技術を披露して、観客を驚かせたいという作戦だった。
しかし実際、驚いていたのは観客だけではなかった。
ステージの裾で、伊東部長が目を輝かせてこちらを見ていた。
そして観客から離れた体育館の隅っこで、真坂先輩が一人泣いていた。
練習の成果を出し切った。
無事に演奏を終えたわたしたちは、大きな拍手の中、しっかりと抱き合って喜んだ。
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