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「あれ、隆史君、関口君たちも」
涼やかな声に振り向くと、フルートのケースを胸に抱いた堀川さんが立っていた。
「皆、来てくれたん?」とほほ笑む。
「いや、俺は母さんが出るから」
皆と一緒にされるのが嫌で、つい口走っていた。
「わぁ、ほんま? すごいやん。私も聴いていこ」
堀川さんがすぐ隣に立つ。その横顔をチラチラ見ていると、妹が振り返り、不気味な笑みを浮かべた。咳払いをした時、視界の隅を赤い色が横切った。
だが赤いドレスで颯爽と舞台に登場したのは、母ではなかった。
「あの人、スナック灯の英恵ママや」
父が言った。その人はマイクを持つと、物憂げに体を揺らしながら歌い始めた。堀川さんが「フライミー、トゥザムーン。私この曲好き」と呟いた。
長年、酒と煙草に燻され続けた声は、絶妙に歌の雰囲気にマッチしていた。皆がうっとりと聴き入る中、俺は嫌な予感がしていた。
英恵ママのドレスはヒラヒラもなくシンプルで、赤というより臙脂色に近い。母のドレスとは雰囲気が全然違う。
しかし最悪なことに、ママは正真正銘、ガリガリに痩せていた。
大きな拍手の中ママが舞台を去り、次の瞬間、俺はこの世の無常を感じた。
「続きましては松田雅美さんです。どうぞ、拍手でお迎えください!」
拍手が段々弱くなり、遂には途絶えてしまっても、母は姿を見せなかった。
「松田雅美さん、準備はできましたでしょうか?」
ざわざわと会場が騒めき出す。嫌な予感が、確信となった。
「隆史君のお母さん、どうしはったんかな?」
その時、心配顔の光江さんが人を掻き分けやって来るのを見て、閃いた。
「堀川さん、控室ってどこ?」
一か八かの賭けだった。
「頼む、案内して」
光江さんと堀川さんの腕を掴むと、俺は駆けだした。
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