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「ただいまー」という俺の呟きは、けたたましい笑い声に掻き消された。玄関の三和土に、女物の靴が並んでいる。
「聖子ちゃんみたいや。松田さんだけに」
「真っ赤なスイートピーや」
居間の方から、訳の分からない冗談を言って大笑いする声が聞こえる。母のパート仲間の、光江さんと筒井さんだなと見当がついた。いつも仲良くしているメンバーだ。特に六十歳を過ぎても元気に働いている光江さんを、母は尊敬していた。
「隆史君、おかえりぃ」
「サッカー部か、お疲れさん」
顔を出した俺に、口々に声を掛ける。だが俺は挨拶を返すどころではなかった。
目の前で、真っ赤なドレスに身を包んだ母が、てらてらと光る口を開けて笑っていたからだ。
「隆史か、お帰り。どうやろ、これ。筒井さんに貸してもらったんやけど」
たっぷりとフリルの付いたスカートをつまんで言った。
「フラメンコやってたときの衣装やねん。私、あの頃は細かったんよ」
弁当店の入口を、横向きにならないと出入りできない筒井さんが、遠い目をして言った。因みに筒井さんにとって、細いは太っていないの同義語で、標準的な体形はガリガリとなる。
筒井さんとフラメンコ? だが俺には、そこに突っ込みを入れている余裕はなかった。
「これ、ほんまに大丈夫かな?」
母が姿見の前に立ち、首を傾げた。多少なりとも、疑問を感じているようだった。
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