31人が本棚に入れています
本棚に追加
筒井さんより一回り小さい母だが、それでも背中のファスナーが必死の形相で歯を食いしばっている。肩紐なんて、今にも悲鳴を上げて飛んでいきそうだ。
全然、大丈夫ではなかった。
「いいやん、なぁ?」
虎の顔がプリントされたTシャツに、ゼブラ柄のスパッツといういで立ちの光江さんが、真顔で俺に同意を求めた。
「そやけどやっぱり、振袖は隠したいわ」
母が両腕を振ると、たるたるっと贅肉が揺れた。
「そしたらこれ貸したげるやん」
光江さんが首に巻いていたショールを母の肩に掛ける。ピンクのヒョウ柄に、キラキラしたスパンコールが付いたやつだった。
「ほら、ばっちりやん。舞台に映えるわ」
さっきからあわあわと小さく息を漏らしていた俺は、そこでやっと声を上げた。
「まさか、それでジャズフェスに出るつもり?」
「そやで。あかん?」
何か問題でも? と邪気のない目で問いかける。
「あかんに決まってるやろ!」
思ったよりも低くて大きな声が出て、自分でも驚いた。
「ハズイねん! クソババァ!!」
勢いに任せて怒鳴ると、ぽかんと口を開けている母から目を逸らし、俺は部屋を飛び出した。階段を駆け上がり自室の扉を力任せに閉めた。ドキドキしている心臓を押さえ、思った。
俺は自分が笑われるのが嫌なのではない。母が笑いものになるのが許せないのだ。そんな母を見るのが、悔しくて、悲しいのだ。
何故なら、俺はお母さんが好きだからだ。
最初のコメントを投稿しよう!