いざ、せつ子街に!

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 翌朝台所に入ってゆくと、母はいつも通りの感じで「おはよう」といった。俺は無言で朝食を掻き込み、弁当を掴んで家を出た。少なくとも、怒っている振りは続けるつもりだった。  怒鳴った後引っ込みがつかなくなった俺は、自室に引きこもったまま夕飯にも降りて行かなかった。母は部屋の外におにぎりを置いてくれたけど、それすら手を付けず、机の引き出しにあったポテトチップスを食べて空腹を紛らわせた。  だから昼休みになる頃には、いつも以上に腹ペコだった。あんな酷いことを言ったのに、母はちゃんと弁当を用意してくれたのだと思うと、鼻の奥がつんとした。感謝を胸に、いそいそと包みを解き弁当の蓋を開けた。 「どないしてん、松田」  蓋を持ったまま固まっている俺に、隣の席の関口が声をかける。そして俺の弁当を覗き込み、グフッと喉を詰まらせた。関口は正義感の強いタイプだから、咄嗟に笑ってはいけないと判断したらしかった。 「何なん? どうしたん?」  前の席の堀川さんが振り返って、首を傾げた。すると肩までの黒髪がさらさらと揺れて、スズランの香りが漂ってきた。 「あれ? 隆史君、おかずは?」  白飯の上に、一本だけ横たわった竹輪を口に押し込んだ直後の俺は、ただ黙って首を横に振った。 「お母さん、体調悪いん? 私のふりかけあげるわ」  そう言って、ノリタマの小袋を差し出す。ほっそりとした指に、桜貝のような爪が付いていた。俺は急にきまりが悪くなって「ちょっと、喧嘩してるだけやから」とつっけんどんに答えた。 「喧嘩? 隆史君、何したん?」 「俺は何もしてへんよ。母さんが悪いねん」  なんだか子ども(ガキ)みたいで格好悪いな、と自分でも思った。堀川さんは「ふーん」と興味なさそうに頷くと、自分の弁当に戻っていった。隣から、関口の視線を感じた。  その日は、それ以上の会話はできなかった。だが、堀川さんがくれたノリタマは格別の味がした。
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