P6 夢の逢瀬(おうせ)

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 夢のようなひと時はあっという間に過ぎ去り、ふと気づくともう帰らなければならない時間。わたくしは後ろ髪を引かれる思いで屋敷に戻りました。  屋敷に戻れば使用人たちは丁重にわたくしを出迎えます。  彼らはわたくしを侯爵夫人として丁重に扱い、常に尊重してくれておりますが、その礼儀正しさにどこかよそよそしさが見え隠れしているのは、わたくしの思い過ごしではないはず。  少なくとも、彼らがあのお方に見せる親しみをわたくしに向けたことは、いまだかつてございません。  そんなことを訴えれば、旦那様は呆れたようにこうおっしゃるでしょう。 「使用人たちの立場を考えてやってください。侯爵夫人のあなたに、一代限りの子爵にすぎない彼に対するのと同じ態度を取れるわけがないでしょう」  そういう問題ではありません。  使用人たちがわたくしに向ける礼儀正しさは、あくまで身分と立場がそうさせているだけ。  嫌そうな素振りを見せることこそないものの、わたくしに仕える喜びも、心からの尊敬の念も、一度たりとも感じたことはございません。  侯爵夫人でなければ、あの者たちはわたくしを一顧だにしないでしょう。   それに引き換え、あの方に対する態度と来たら。  たかが成り上がりの下級貴族だというのに、あの方に接する時の使用人たちの眼差しからは、心からの喜びと尊敬の念がこもっています。  あの方が控えめになにか頼むたび、みな争うようにして役に立とうとする様子を見て、彼らが本心ではどちらに仕えたがっているのか、否が応にも思い知らされてしまうのです。  わたくしは出迎えた使用人に「疲れたのですぐに湯の支度をするように」と申し付けると、自室に戻りました。  今日は夕食の支度や給仕をしなくて済むようにしてやったのです。  深夜に湯あみをするくらい、どうということもありません。  今夜もどうせ旦那様はあの方とご一緒でしょう。  もうそれでも構わないと思えるほど、わたくしの心は冷たく乾いておりました。
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