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ベンチに座った先輩がギターを爪弾きながら、流行りのラブソングを歌う。わたしは地面にしゃがんでじっとそれを見つめる。音が出るたびに震える、薄く口紅を塗っているらしい唇を。弦の上を滑る細くて白い指を。歌は正直二の次で、先輩の動きを見ていた。
先輩が軽音楽部に入っているとも、校外でバンドをやっているとも聞いたことがない。校内でギターを弾いている姿も、持っている姿すら見たことがない。
それなら、これはきっと、わたしだけが知っている秘密の顔。
この姿を、ずっと見ていたい。わたしのワガママな心が、ぐんぐんと膨らんでいく。
明日もこの時間、この公園に居るんだろうか。毎日聞きに来ても、迷惑にならないかな。どうすれば、違和感なく聞きに来れるだろう。
もっと、もっと近づきたいな。先輩の、隣に。
そうだっ。
「先輩っ。わたしもギター弾きたくなりました。教えて下さい!」
突然立ち上がったかと思えば突拍子もない発言をするわたしに、先輩はおかしなものでも見る目を向けてくる。視線が痛い。
「え? いや、私も練習中。教えられるほど上手くないし」
先輩は小さく首を横に振る。
「大丈夫ですっ。わたしのほうが下手なので。先輩に教えてもらいたいんです」
せっかく見つけた憧れの人との接点。どうにか繋ぎ止めようとわたしは必死に食らいついた。
熱意が届いたのか、それとも、ただ面倒な人間に絡まれて諦めたのか、先輩は一つ息を吐くと「分かった。でも、本当に私も練習中だから」と零した。
「ありがとうございますっ」
嬉しくなったわたしは、勢いよく頭を下げる。
「じゃあ、何から……」
「今日はもう遅いから帰ろう。明日から」
意気込むわたしの言葉を遮って、先輩は窘める。少しやる気を削がれた気もしたけど、明日からの約束をしてわたしたちは別れた。
夜の静けさに似つかわしくない上機嫌さで家路につく。羽が生えたように足取り軽く、先輩の歌っていた歌を口ずさみながら。
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