呼吸のできない僕たちは

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ただ一度だけ、小学校の時に家に遊びに来た近所の女の子が持ってきた人型の人形の唇がやけに気になって、僕は衝動的にその人形の唇をマジックで赤く塗ったことがあった。  女の子は大泣き、母親にもこっぴどく叱られた記憶がある。今思えばその時から、メイクをすることで自信の欲求を満たそうとする他人には理解できない何かが僕の中にはあったように思う。 そして高校一年生の春、まわりの同級生の女の子たちがメイクをするようになり、僕の中でずっと不透明で灰色に燻ぶっていた心の片隅の欲求は確信に変わった。 登校すれば自然と女の子ではなく女の子の持ち物に視線がいく。恋愛に興味なんてまるでない。クラスメイトの女の子たちの可愛いメイクポーチを見ては、家に帰ってどこのメーカーのものなのか検索したり、人気の化粧品の話題を耳にすればXXの動画や写真を何度も見てひどく興奮した。 ──『僕もやってみたい』 純粋にそう思った。今まで何かをやってみたいと思ったこともなければ特別興味を持ったこともなかった自分が初めて自らの意志でやりたいと思えたことがメイクをすることだった。 男がメイクなんて……そんな葛藤は数回繰り返すとすぐに消えた。高校一年生の春、変装した僕はお小遣いを持って買える範囲のもので化粧品を一式揃えると、母親の外出の時間を狙って一心不乱にメイクをした。 勿論アイラインだってジグザグだし、リップは唇からはみ出ている。マスカラだって上手に塗れなくて涙袋に何度もついた。けれど生まれた初めて「感動」を知った。 その命の喜びは「生きている」と真央が実感できる原動力として心臓に深く刻まれた。わずか数十分で綺麗に可愛くキラキラさせてくれるメイクは僕にとって魔法以外の何物でもなかった。 「でも僕の趣味がメイクだなんて……母さんにはさすがに言えないや」
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