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お嬢様の話してくださった中で、一番印象深く残っているのは、やはり小鳥についてでしょう。
「私のくちびるは鳥の歌を歌えるの」
お嬢様はピアノを含む音楽全般を愛しておられましたが、中でも最も愛を注いでおいでなのは、お歌でございました。
お嬢様は歌うように口笛を使いこなすことができました。お嬢様がくちびるを窄めると、その赤く愛らしいくちびるの上を笛の音が転がっていきました。その音は正確で、繊細で、何よりも本物の鳥と聞き分けがつかないのでした。お嬢様は鳥と話すことができたのです。
旦那様を含め大人は皆お信じになられませんでしたが、私はそのことを知っておりました。
何故ならお嬢様の歌う求愛の歌に釣られてお部屋を訪れる鳥が存在したからです。
その鳥は、お嬢様と同じ白い羽と赤い瞳を持っておりました。そのために猛禽に狙われやすく、他の鳥たちも寄りつこうとはしませんでした。そういった孤独が、お二人を結び付かせることになったのでございましょう。
窓から射し込む光がお二人を照らし、白金の髪が透き通っていたこと、まるで絵画に描かれた一場面のように目に焼き付いております。
「小鳥はね、初めは上手に歌を歌えないの。だから私は小鳥に歌を教えているの」
辿々しい歌を囀る鳥を鳥籠に迎え入れながら、お嬢様は言いました。お嬢様の指の上で、小鳥は悠々とくつろいでいる様子でした。
「求愛は本能に基づく行為なのに、鳥は求愛のための歌を後天的に学ぶの」
お嬢様のお膝には鳥の図鑑が開かれておりました。図鑑にはこの国に住む様々な鳥の絵が描かれておりましたが、お嬢様のお手元にいるような色の鳥はひとつも存在しないのでした。
「愛を知らない私が、小鳥に愛の歌を教えるなんて、とっても滑稽だわ」
そう自嘲しながら、お嬢様は歌を歌っておいででした。小鳥はその心を知ってか知らずか、お嬢様の歌を真似して囀っておりました。
「旦那様はお嬢様を愛しておいでですよ。私と違って働きに出させることもなく、こうして素敵なお屋敷までお与えになったのですから」
それに、私も。私も、お嬢様のことをお慕いしております、と口にすることは憚れました。私たちの間には多くの壁が隔たっておりました。それは同性であることでもあり、身分の差でもあり、何より、お嬢様の深い孤独に寄り添えるほどの孤独を、私は持ち合わせていなかったのです。
「……そうだと、いいわね」
その時お嬢様がどんな顔をしていたのか、レース越しの薄暗い部屋の中では見ることができませんでした。
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