幽霊になった彼女

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幽霊になった彼女

 いつもよりお湯の温度を二度下げて、詩乃からもらった入浴剤を入れると、浴室にいい香りがフワーッと広がる。 「お風呂はぬるま湯にして長時間入った方がいいわよ。それとこの入浴剤あげるから使ってみて。肌が艶々になるわ」  詩乃から教えられた通りに女を磨き、生まれ変わった自分の姿を湯船に浸かりながら想像してみた。詩乃のような大人の魅力のある美しい女性になって、複数の男性から言いよられる自分の姿を想像しほくそ笑んだ。湯船のお湯を手のひらに掬い上げ、自分の顔にバシャバシャとかけた。  すみれは詩乃みたいになりたいとは思うが、反面不安も感じている。実はそちらの方がすみれにとっては大きい。湯船から出てバスタオルで体を拭きながら考えた。詩乃と自分とでは外見は違うし、なにより性格が全く違う。不器用で口下手な自分が詩乃のようにうまく男性に声をかけられるだろうか、複数の男性と割り切って同時にうまく付き合うことができるのだろうか。  濡れた体を拭き終わってからバスタオルを顔に当てブルブルと首を振りネガティブな感情を追い出した。詩乃だって高校の頃は地味でおとなしい性格だった。きっと彼女もこの四年間努力して自分を変えたはずだ。詩乃と同じようにきっと自分にも出来ると、すみれは新しく買った派手な下着を身に付けた。  浴室のドアを開けると違和感を感じた。その違和感の正体はすぐにわかった。部屋の空気が流れていることだ。風呂上がりのこの風は火照った体には心地よいが、窓は閉めていたはずだから風が入ってくるはずがない。ベランダの方を覗き見ると、ベランダの窓が開いていた。おかしいなとベランダを見ると、そこには外を眺める誰かが立っていた。泥棒か強姦かと思い声を上げそうになったが堪えた。今は向こうがこちらの存在に気づいてないので、ここで下手に騒ぐと逆上して襲ってくるかもしれない。息を殺してゴクリと唾を飲み込んだ。ベランダにいる侵入者の様子を伺う。後ろ姿を見る限り、自分と体型が変わらない小柄な女性のように見える。一瞬、詩乃かと思ったが、部屋の鍵は間違いなく閉めていたはずだから、詩乃が部屋に入ってこれるはずがない。入ってこれるのは幽霊くらいだ。侵入者はベランダからずっと外を見ている。泥棒や強姦でもなさそうだ。 「だ、だれ?」  思いきって声をかけたが、その声は震えた。侵入者の肩がビクッと驚いたように上がるのがわかった。  侵入者はそれからゆっくりとこっちに顔を向けた。派手な外見をした女性だが、見た瞬間、彼女がこの世のものではないことを確信した。彼女は間違いなく幽霊だ。  彼女は「あっ、こんばんは」と言って一歩近づいてきた。 「近づかないで」  彼女が幽霊であることは間違いない。しかし、どういうことだろう。すみれは恐ろしくなった。幽霊が恐ろしいわけではない。何故彼女がそうなっているのかが恐ろしいのだ。 「あなたは誰?」  彼女の正体に見当はついていたが念のために訊いてみた。 「あなたこそ誰よ。勝手にわたしの部屋に上がりこんで何してるのよ」  彼女はここをわたしの部屋だと言っている。これで間違いなく、彼女の正体は自分の思った通りだ。そうなると、一体彼女の身に何が起こったのかを訊いてみなければならない。 「あなたはわたしが誰だかわからないの」  すみれは彼女に訊いた。 「わかるわけないでしょ。けど、もしかしてあなたが公園で倒れていたわたしを助けてくれて、ここまで運んできてくれたの。それだったら本当にありがとう。あなたは命の恩人だわ」 「公園に倒れていたって、あなたの身に何があったの。わたしが命の恩人て言うことは、あなたは危険な目にあってたわけよね」 「そうよ。本当に怖かった。殺されるかと思ったわ」  彼女は胸に手をあてて言った。その胸の上にキラリと光るものが刺さっている。そしてその辺りが赤黒く濡れている。 「誰に殺されそうになったの?」  彼女はすでに殺されていることに気づいてない様子だ。殺されて幽霊になってここに来ている自覚がないようだ。 「婚カツパーティで知り合った男友達に殺されそうになったの」 「婚カツパーティに行ったんだ。そこで男友達ができたわけ」 「そうよ。男友達がふたりもできたけど、そのうちのひとりがストーカーみたいになっちゃって、わたしが浮気してるとか言い出して襲ってきたの。彼氏でもなく男友達だって何度も言ってるのに、わかってくれない。それで、わたしは逃げたんだけど、すぐにつかまって殺されそうになったわけ」 「そうなんだ。男友達は一応ふたりもできたんだ」  未来のわたしは婚カツパーティで男友達をつくることには成功したようだ。しかし、その後、トラブルになっている。やはり不器用なわたしがふたりの男性を天秤にかけて付き合うのは難しかったようだ。 「あなたがわたしをここまで運んできてくれたんでしょ。けど、変ね。何故全く赤の他人のあなたがわたしの部屋を知ってたの。それに鍵はどうやって開けたの」 「わたしはあなたの正体がわかったわ」 「急になによ。正体って変な言い方やめてよ。わたしはここの住人の二宮すみれよ。あなたこそ他人の部屋に上がりこんできて何者なのよ」  彼女はプイと口を尖らせた。 「あなたは確かに二宮すみれなんだけど、あなたはもうこの世にはいない二宮すみれなの」 「あなたは命の恩人だから感謝してるけど、失礼なこと言うわね。わたしがこの世にいないって、それだと今のわたしは幽霊ってことになるじゃない」 「残念ながら、そういうことね」  すみれは唇を噛みしめた。 「あなたは一体何者なのよ」 「わたしはあなたなの。死ぬ前のあなたなの。婚カツパーティに行く前の二宮すみれなの」 「わたしがあなた?」  彼女は首を傾げて、少し考える様子を見せた。  すみれが「そうなの」と言うと、すぐに「変なの」と言って頭を掻いた。 「確かに変な話よ。わたしだって信じられない。でも、間違いないわ」 「わたしはどうすればいいのよ」 「あなたは何もしなくていいわ。あなたはもう大丈夫だから」 「あなたに何がわかるのよ。偉そうに言ってるけど、あなたがストーカー男からわたしを守ってくれるわけ」 「あなたをストーカーから守ることはできないけど、ストーカーになった男友達と会わせないようにすることはできるわ」 「あなたにそんなことができるなんて信じられない」 「あなたには信じられないけど、わたしにはできるわ。あなたがここに来てくれたおかげで、それができるの」 「わたしがここに来たおかげ? 意味がわかんない。ここはわたしの部屋だから、わたしがここに来て当たり前でしょ」 「そうね。でもそうなのよ。あなたのおかげで、わたしはこの先変わらなきゃいけないとは思うけど、欲を出して無茶をしてはいけないってことがわかったわ」 「わたしがあなたに教えたわけ」 「そういうことになるわね」 「変なの」 「本当、変で不思議なことだわ」 「不思議なことなの」 「ええ、それにしても、あなたの首にナイフが刺さったままなのは見てるだけでも痛々しいわ」 「わたしの首にナイフが刺さってるって」  彼女は自分を窓ガラスに映して見た。それを見た瞬間に「キャー」と声を上げた。 「首にナイフが刺さってるのが見えたでしょ」  すみれが言うと、「何よこれ。早く救急車呼んでよ。このままわたしじゃ死んじゃうわよ」と彼女は慌てて言った。 「大丈夫よ。あなたはもうすぐ消えるから」 「なぜよ、なぜわたしが消えるのよ」  彼女は悲壮な声をあげた。 「それはわたしが婚カツパーティに行かないと、今決めたからよ」
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