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救世主
「誰か、助けてぇ!!」
鼓膜が張り裂けんばかりの女性の叫び声と赤ん坊の泣き声が、海上で虚しく響いていた。
母親らしき女性は自宅の玄関扉の前で座り込み、子供を庇うようにひしと抱きしめている。そして、眼前に迫りくる脅威に恐怖と怯えを隠せていなかった。
海上住宅街は既に半壊状態で、海面にはコンクリートの残骸やガラスの破片が無惨に漂っている。その中に遺骸が紛れていないのは、住民全員が常備している水上バイクや電動サーフボードで無事に難を逃れたからだ。
だが、運悪く女性のバイクは数日前から故障しており、家から離れられない。
八方塞がりの最悪な状況も相まって、女性は差し出されることのない救いの手を探し続けることしか出来なかった。
「だ、誰かっ……」
もう何度目か分からない「誰か」を口にしたその時、女性の喉がひゅっと鳴いた。
数百メートル先で住宅街を喰い荒らす脅威――一匹の青黒い巨大な鮫と数匹の丸太のように太くて長い海蛇が、こちらを睨んでいたからだ。
それらの生き物は通常の個体よりも数十倍の巨躯を誇り、それこそ一軒家を丸呑みしたり噛み砕いたりできる程の大きな口と、強靭な牙や顎を持っている。
所謂、海の魔物――通称〈海魔〉と呼ばれている特定危険生物だ。
巨大鮫は獲物を視認するや否や、凄まじい咆哮をあげて猛進した。子分らしき海蛇たちも後に続く。
海面すれすれを浮遊しながらこちらに迫りくる魔物の群れ。
奴らとの距離が縮まる程、その大きさと獰猛さを思い知らされた。
「いやああぁぁぁぁ!!!」
母親の絶呼に伴って、子供の泣き声も激しくなる。
遂に目と鼻の先にまで海魔たちがやってきたところで、女性は死を悟った。
せめて息子だけでもどうにかして助けられないだろうかと、僅かに残っていた理性が必死に突破口を見つけんとする。
だが、そんな考えはすぐに恐怖に打ちのめされた。
反射的に息子を抱く両腕に力が籠る。
両目も堅く閉ざされ、透明なものが溢れては頬を伝った。
――ごめんね……。
怖い思いをさせてしまっていることへの謝罪。
まだ生まれて数か月しか経っていないのに、もうこの世を去らなければならないことへの謝罪。
そして、親だというのに我が子一人すら守れないことへの謝罪――。
数多の謝罪を心の中で呟きつつ、女性は最期の喚声をあげた。
だが、巨大鮫の鈍く光る牙が赤く染まることは無かった。
むしろ、青黒の体躯の方から血潮が繁吹いた。
先ほどの猛々しい咆哮とはうって異なり、痛烈な鳴声が周囲の空気を震わせる。
「え……?」
一体何が起きたのか。
恐る恐る目を開けたのも束の間、女性は信じられないと言わんばかりに瞠目した。
そこには、巨大鮫の背を疾走しながら十字剣で斬撃を入れる小柄な少女がいた。
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